「大日本基準コクテール・ブック」をついに実際に手にとって読むことができたとき、筆者はそのことに感激すると同時に、あるカクテルのレシピを見て愕然とした。ほかでもない、昭和8(1933)年、国際カクテルコンクールで佳作入選したJBA版「マウント・フジ」である。
JBA版「マウント・フジ」の色
「大日本基準コクテール・ブック」を筆者が入手するまでの顚末を書いた前回までのコラムの中で、どこかに“違和感”を覚えた読者はおられるだろうか。
「話が脇道に逸れすぎる」という抗議というか提案は、バーテンダー諸氏からすでにいただいている。しかし、そこのところは今回はご容赦願いたい。と言うのも、「大日本基準コクテール・ブック」は、50年以上前のバーテンダー向け専門誌にたった1行書かれた記述に触発された筆者が探していたカクテルブックであり、これを追い求めた話はやはり個人的な話にならざるを得ない。今回はそのようなわけで「筆者の、筆者による、筆者のための」コラムになった感がある。お付き合いいただいている読者諸氏に感謝申し上げたい。
今回、“違和感”がなかったかとお尋ねするのは、その点ではないのだ。それは、第18回=III 幻の「大日本基準コクテール・ブック」(2)で「色は後段で述べる」と記したJBA版「マウント・フジ」についてのことだ。
プロのバーテンダーなら、日本で誕生した「マウント・フジ」カクテルには2つあること――一つは世界一周ツアーで日本に立ち寄った旅行団をもてなすために大正末期に考案されたとされる通称“白富士”=帝国ホテル版の「マウント・フジ」。いま一つは昭和8(1933)年スペインはマドリードで開催された国際カクテルコンクールで佳作1等になった“赤富士”=JBA(現NBA)版の「マウント・フジ」――を思い出されることだろう。
筆者も「大日本基準コクテール・ブック」(以下「大日本基準」)を手にした2カ月前までは、そういう認識だった。“白富士”に関しては、生誕の謎にかかわる帝国ホテルと日本初の外国人向け観光ホテルである富士屋ホテルを巡る興味深い話があるのだが、それを語ると別に1シリーズ分の話になってしまう。まず今回は“赤富士”に焦点を絞ろう。
イタリアン・ベルモットの“白”
このカクテルの色の基調となるイタリアン・ベルモット(第20回=III 幻の「大日本基準コクテール・ブック」(4)で書いた通り筆者はベルモットをバームスと呼んでいるが、わからなくなる方もいると思うので、今回はベルモットで統一する)は通常は赤であり、フレンチ・ベルモットと書かれていればそれは白で、「マティーニ」にお約束のように使われる「ノイリープラット」(Noilly Prat)のドライ・ベルモットを指すと市販のカクテルブックでも説明されている。
実際には「マルティニ」(Martini & Rossi)や「チンザノ」(Cinzano)といったイタリア勢も白を出しているし、フランスの「ノイリープラット」のラインナップにも赤はある。しかし、“イタリアン・ベルモットの白”や“フレンチ・ベルモットの赤”は発注を間違えたバーでたまに見るくらいなもので、一般の方がバーで見ることはまずない。
これもバーテンダーの方はご存知と思うが、ベルモットは基本的には安価な白ワインにさまざまな薬草を加えたものであり、赤と白は原料となるワインの色ではなく後から付けた色である。ベースのワインに製品の色の違いから想起されるような違いはない。浸け込むボタニカル(薬草類)も赤と白で体系的な特徴があるわけではなく、一般的にオレンジ系フレーバーを含むものが白には多く、黄色ナツメグのフレーバーを含むものが赤に多いというかすかな違いはあるものの、「赤にはこの材料が必須」とか「白にはこの材料は入れない」という約束事がない、薬酒に近いジャンルの酒だ。
ジュニパーベリーを使うことが特徴のジンや、コーンを原料とするバーボンと違って、かなり定義に苦労するのだが、それはともかくカクテルの世界では“イタリアン”ないしは“スイート・ベルモット”と言えば大概赤を示すから、これにラムとレモンを加えるレシピならば、仕上がりは深い赤色ということになる。
再び「大日本基準」に戻ろう。同書の巻頭には「去る昭和八年七月西班牙國マドリツド市で開催されました萬國コクテール競技會へ當協會も参加し下記處方のコクテールを出品しました……」と書かれたページがある。そのレシピを忠実に書き写すと以下の通りだ。
Mt. “Fuji” Cocktail
1 dash Orange Bitters.
2 teaspoonful Lemon Juice.
1/3 Ron Bacardi.
2/3 Martini e Rossi Vermouth (Bianco.)
Shake well, and strain into cocktail glass.
― By Japan Bartender Association. ―
思えばこの連載はモダン・ガールで取り上げたプース・カフェのときから筆者は頭を抱え通しのような気もするが、今回はそれに「あわわ」という声も加わった。材料と配分を記した、いちばん下の部分(英文5行目)に注目いただきたい。ここに記された「Bianco」の一語が、日本のカクテル史をひっくり返すことになろうとは、著者である村井洋も当時想像しなかったに違いない。
オリジナル・レシピには「マルティニ・エ・ロッシのベルモット」すなわちイタリアン・ベルモット=スイートの「白」とはっきり書かれているわけである。
「そもそも『マウント・フジ』という日本を代表するカクテルには“赤富士”と“白富士”があって、ですな……」とバーで隣り合わせた女性客に「お酒、お詳しいんですね」と持ち上げられたことに気をよくして講釈を垂れていた筆者の立場は。明日への希望は……。
淡い桜色にしかならない
大変なことになった。これは1933年を1939年に書き違えたカクテルブックやブログを上から目線で叩いている場合ではない。布団にもぐって「大日本基準」のページを繰っていた筆者は慌てて飛び起き、ホットケーキを作るときくらいしか使ったことがないパイレックスの計量カップを食器棚から取り出した。バーテンダーも含めて筆者の周囲の人々には誤解されているが、筆者の自宅には得体のしれないケルテのパーリンカ(洋梨で作られたハンガリーのブランデー)やマガダン(ロシア沿海州)のウォッカはあるが、バーテンダーの必需品であるシェーカーもメジャーカップ(ジガー)もない。自分でカクテルを作ったこともない。
手もとに”バカルディのラム”はないし、ましてや“マルティニ・エ・ロッシのベルモット(白)”なんて実物を見たことさえない。しようがないからお湯を沸かして指定にあるバカルディ・ラムに近い色になるまでティーバッグを揺すってそれらしい色に近付けたラム替わりの紅茶と、ドライ・ベルモット(白)とレモンジュース代わりの水を準備し、パイレックスで目分量を計ったものを晩酌用の蕎麦ちょこに入れて割り箸で掻き回してみた。
小学生のころから図画は苦手だったが、そんな筆者でも絵の具ならぬ着色した液体と液体を混ぜればどんな色になるかくらいは察しが付く。案の定、淡い茶色はますます淡くなっていくしかない。最後の頼みの綱はビタースだ。モスコフスカヤ・クリスタル(ライ麦ウォッカ)を飲むときのチェイサーに使うアンゴスチュラ・ビタースを振ってみる。指定通りの1 dash(一振り)では淡い桜色にしかならない。
本当にこれ以上赤くはならないのか。昨日まで筆者が“赤富士”と呼んでいたカクテルは赤ではなかったのか。祈るような気持ちに押され、筆者は「大日本基準」の指定通りの「マウント・フジ」を探しに夜の街に飛び出した。