筆者が抄録ではなく「大日本基準コクテール・ブック」そのものをぜひ読みたいと考えるのにはわけがある。二次資料を無批判に信用すれば、誤った情報を残す連鎖に荷担することになるからだ。「マウント・フジ」にまつわる誤解などはよい例だ。しかし、問題はいかにその原典にたどり着くかだった。
「マウント・フジ」発祥は1939年ではない
話を高田馬場のバーに戻そう。カウンターの筆者の前にあるのは、幻の「大日本基準コクテール・ブック」の主要な部分を丹念に写して製本した、40ページほどの冊子だった。筆者は過去の経験から写本などの二次資料は疑ってかかることにしている。いったん間違って書き写されたものが次々に伝播していく有様を、実際にカクテルブックで目の当たりにしているからだ。
試みに「マウント・フジ」というカクテルを書店かネットで確かめていただきたい。「マウント・フジ」は、国際的なカクテル・コンクールで日本人が創作したカクテルが初めて入賞したカクテルという画期的なエピソードを持つが、多くの記述は、その由来を実際に受賞した1933年ではなく1939年としているはずだ。この誤りは1960年代に書かれたカクテルブックまで遡ることができるのだが、それが誰の検証も経ることなく半世紀以上経過して現在に至っている。
「スペイン市民戦争」のキーワードで検索していただければ1939年のスペインがどういう状況であったかをおわかりいただけるはずだが、このカクテルの由来を「1939年、スペイン、マドリードにおいて行われた国際カクテル・コンクールにおいて佳作一等を……」とバーテンダーから説明されれば、それを疑う客は、よほどスペインの歴史に詳しい方か筆者くらいのものだろう。
また、ブログの中には、色も味も異なる帝国ホテル版の「マウント・フジ」(ジンとパイナップルのクリーム系、白色)とJBA版の「マウント・フジ」(ラムとベルモットのクラシック系、色は後段で述べる)を混同しているものさえある。
JBA版、すなわちマドリードで昭和8年に佳作となった「マウント・フジ」本来の受賞レシピは、オレンジ・ビタース1dash、レモンジュース2tsp、1/3バカルディラム、2/3マルティニ・エ・ロッシのベルモットをシェークしてカクテルグラスに注ぐ、というものだった。
これは、昭和8(1933)年7月に行われた「萬國コクテール協議會(Gran Concurso Internacional de Cocktails)」がマルティニ・エ・ロッシ社の後援で行われた関係で、募集要項にも同社の製品を使うことを明記してあるからなのだが、それはひとまずおいておこう。
カクテルブックを書いた人間の思い違いやちょっとした転記ミスが、その後も検証されることなく何十年も続いていく例の一つが「マウント・フジ」だ。これを理解していただければ、戦前のカクテル・ブームでカフェーやバーが賑わっていた昭和初期、日本で「決定版」たることを目指して日本バーテンダー協会が監修したカクテルブックの、しかも国会図書館にさえ現存しない現物、幻の一冊、それも原典に直接あたることになぜ筆者がこれほどこだわるかをご理解いただけるだろう。
適切な手順が必要だ
高田馬場のバーで見せていただいた冊子には、現在の所有者は神戸にいると記されている。二次資料を避けるためにも、どうしても「大日本基準コクテール・ブック」そのものを直接この目で見て、できればすべてのページを複写させてもらいたい。
しかし、これほどの代物になると、
「お宅にあるカクテルブックは貴重なので、複写させてください」
「はい、どうぞどうぞ」
と簡単にことが運ぶほど話は単純ではない。筆者は神戸には震災の時にボランティアで単身向かったことがあるだけで知り合いがいるわけでもないし、筆写したノートを高田馬場のバーに置いていってくれた河原慈英という方とももちろん面識はない。現在の所有者である神戸のバーの、おそらく長年通い続けたなじみ客という信頼で、貴重な「大日本基準コクテール・ブック」を借り出した方でさえ、何らかの理由でコピーの倍以上手間のかかるワープロによる写しにとどめていた77年前の貴重な資料だ。見知らぬ男がいきなり東京から乗り込んできて「お宅にかくかくしかじかの本があるはずだ。ついては貴重な資料なのですべての頁をコピーさせてもらいたい」などと切り出したらどうなるか、あらかたの察しはつく。
しかるべき段取りがなければ、神戸まで出かけていって頼んでも体よく断られるか、せいぜい表紙と何ページかを写真に収めるくらいが関の山だろう。
しかし、何をどうやって足掛かりをつければいいのか皆目見当がつかない。
コピーはできるだろうか
70年以上前の書籍だから、コピー機の強い光線を当てることを所有者が嫌う可能性も高い。筆者が高輪台にあった飲食専門の図書館で明治38年の雑誌からカクテル関連の記述をコピーしたときは、原本がかなり腐食していてコピーするたびにページの端の部分が細かく崩れてしまった。几帳面な館員だったら複写させてもらえなかっただろう。
国会図書館でせっかく見つけた資料が、マイクロフィルムやマイクロフィッシュ(microfiche/葉書大のシートタイプのマイクロフィルム)への変換中だからという理由で断られたことも珍しくない。紙は傷むものなのだ。
しかも、今回の資料は酸性紙(かつて書籍等で主流だった用紙。50~100年で劣化、崩壊するとされる)が普通だった戦前だから、出版から77年が経過した現在、良好な保存状態を予測できる好材料は見つからない。
懸念は、こうして予想できることのほかにもあり得る。人がやらないことを、それも見知らぬ人間が突然現れてやろうとするとき、些細な雑音がほんの少し脇から入るだけで、野心的な計画や画期的な試みは挫折する。
自分の思い込みから始まったプランを実現に移そうとしたとき、それがいかに些細な雑音で挫折しそうになるかを、筆者は過去のある苦い経験から知っていた。