ソムリエ下野隆祥氏の不満と願い

赤提灯で、下野隆祥氏が私に国産ワインのテイスティングをさせたのは、ダメージのない健康なワインを切望する心を語るためだった。ワインのリーファー輸送が業界にさまざまな波紋を呼ぶことを予想して躊躇する気持ちがあった私だったが、その夜の出来事をきっかけにその成功を誓うこととなった。

ダメージのないフランス・ワインを

「サッポロ ワイン 北斗」の赤を一升瓶から注いで「これをどう思う?」と問う下野隆祥氏。私が恐る恐る「痛みがなくて飲みやすいですね。バルク輸入の傷んだワインは混ざっていないような気がします……」と答えると、氏は言った。

「そうだよな! お前なら判るよな!」――下野氏はそう言って、空になった私のコップに「北斗」を注いでくれた。顔に笑顔が戻っていた。その後の同氏は饒舌だった。

「今日、店で、前任者が仕入れてサービスするのを躊躇う程のダメージのあるワインの最後の1本を売り切ったんだよ! ホッとしたよ! 明日からは、ダメージがないわけではないが、供するに恥じないと納得できる、自分でチョイスしたワインで仕事ができるんだよ! 一緒に祝ってくれ!」とまくしたて、「でもな、健康度だけで言えば、輸入ワインはこの北斗に適わないんだよ! いつかダメージのないフランス・ワインだけでサービスしたいもんだよ!」と目を潤ませながら言われる。私たちは「北斗」で乾杯した。聞けば、当時の「ポレール」や「北斗」は販売力が未だなく、全量国産(岡山産)原料であったらしい。

「下野さん、覚悟ができたよ。もう少し時間ちょうだい。ダメージのないフランス・ワインで仕事できるようにして見せるから!」と言って、また北斗で乾杯した。

「ギャラリー・デュ・ヴァン」在庫からチョイスした2銘柄

 実はこれは、私がアストル・ジャパンと日軽商事に「ワインのリーファー輸送提案」アドバイスを始めていた頃のことだった。第13回で述べたように、この提案は、恩師山岡寿夫氏の逆鱗に触れることが予想されるものだった。しかし、下野氏と乾杯したこの時、たとえ山岡氏と対決する事態になろうとも、「ワインのリーファー輸送提案」を実現させようという踏ん切りがついたのだ。

「リーファー輸送」第1便・第2便の南仏ルーション(Roussillon)産ワインは、第14回で述べた経緯で全量山岡ゾーンへ渡り、第3便は完全予約輸入品であったため、下野氏に提供できたリーファー輸送ワインは実質第4便であったと記憶している。

 しかしこの時のセレクトはパリの「ギャラリー・デュ・ヴァン」(La Galerie du Vin)の在庫から(第17回参照)、初めて私がチョイスしたワイン群であり、日本では未だ知られていないアイテムが多かった。とくに記憶に残っているのは「シャトー・ソシアンド・マレ」(Château Sociando-Mallet)と「メゾン・ルモアズネ」(Maison Remoissenet)である。

「シャトー・ソシアンド・マレ」は高すぎる

「シャトー・ソシアンド・マレ」はその後富士醗酵が新ヴィンテージの輸入を始めたのを契機に十数社が輸入し、数年後には価格が3倍以上に大暴騰してしまった。だが、このとき私が付けた価格は5500円である。1万5000円超えの価値などであろうはずもない。

 日本のユーザーは噂に弱い。本来そこまでの価値のない代物に大枚を惜しまず、価値があっても無名な品には見向きもしないといった傾向が顕著だ。「いい加減、自分の舌で値決めしてくれと!」と叫びたくなる。

 私の感覚では「シャトー・ソシアンド・マレ」は今でも5500円が適正価格である。「シャトー・グロリア」(Château Gloria)や「シャトー・シャス・プリーン」(Château Chasse-Spleen)を超える品質と寿命は望めないし、「シャトー・ブラネイル・デュクリュ」(Château Branaire-Ducru)には遠く及ばないのだ。

「ドゥモアゼル・ド・ソシアンド・マレ」(La Demoiselle de Sociando Mallet)は2800円が限界だろう。それ以上出すつもりなら、これを上回るコストパフォーマンスのワインは枚挙に暇がない。

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About 大久保順朗 82 Articles
酒類品質管理アドバイザー おおくぼ・よりあき 1949年生まれ。22歳で家業の菊屋大久保酒店(東京都小金井市)を継ぎ、ワインに特化した経営に舵を切る。「酒販ニュース」(醸造産業新聞社)に寄稿した「酒屋生かさぬように殺さぬように」で注目を浴びる。また、ワインの品質劣化の多くが物流段階で発生していることに気付き、その改善の第一歩として同紙上でワインのリーファー輸送の提案を行った。その後も、輸送、保管、テイスティングなどについても革新的な提案を続けている。