自店の地下セラーでの観察では、一度吹きこぼれを起こしたワインの液体喪失は止まらないことがわかった。そのことから、ワインの熟成には微量の酸素供給が不可欠とする定説に疑問を抱かざるを得なくなった。
吹きこぼれで半量を失うこともある
ワインの吹きこぼれと言っても、ビン口からわずかにしみ出す程度ではないかと思われるかもしれない。しかし、温度変化の振れ幅が大きければ、10日を待たずに半分の量を失う場合もある。
ビール系のある会社がボルドーのネゴシアンの日本販売権をバークレー商会から移譲された際、バークレー商会が所有する在庫の健康度チェックを依頼され、湾岸エリアの某倉庫会社に出向いたときのことだ。たまたまそこへビール系会社が輸入したオーストラリア・ワインが到着したのだが、そのワインは所要日数1週間強程度であるにもかかわらず、ビン内の半分近くを失っていたのだ。
ちなみにそのときのバークレー社在庫に関しては、買い取りをするべきではないと提案した。バークレー商会には酷な判断ではあったが、すでに到着していたリーファー輸送品とはあまりにも違いすぎたのだ。
第5回で触れたように、バークレー社のオーナーは高校の同級生だと後でわかった。あのとき、元のオーナーであったゲイマー氏が存命であったり、経営権を相続した人物が誰であるかを知っていたら、私もつい甘い判定を下して信用を失っていたかもしれない。
そんな状態のワインは輸入業者と倉庫業者以外の目に触れることもなく、もちろん販売に供されることもなく廃棄される。そのため一般の消費者の目に触れることもないわけで、だから「ご安心いただきたい」と言いたいのだが、一抹の不安はある。1980年代までは、大手国産ワイン業者が、そうしたワインを自社ワインの原料ワインとして二束三文で買い取っていたとの内部証言を聞いたことがあるからだ。
「微量の酸素供給で熟成」は本当か?
他方、わずかな吹きこぼれだけのワインは市場に出回る。もちろん、吹きこぼれを起こさない程度の膨張収縮体験ワインは販売される。だが、見た目には支障のないように見えるボトルでも、ビン口内壁とコルクの間に通り道を作ってしまったワインや、劣化したワインはあるのだ。
そのようなワインは時間経過の中でどのような道をたどるのだろうか? 自店で実験観察してみると、最初の吹きこぼれで液体の通り道ができてしまったワイン・ボトルは、自店の地下ワイン・セラーのわずかな温度変化の中でも液体喪失が止まらないことを確認できた。
吹きこぼれた微量のワインは乾燥してしまうので注意深く観察していないと見逃すが、長い時間経過の後に、キャップ・シールの腐食とビン口にこびり付いた結晶物、そして大きく目減りした中身を目撃することとなる。
これはつまり、このボトルは緩やかに、微量ずつ、外気を取り込み続けているということにほかならない。
ここで私は、ワイン業界の常識の一つを疑わざるを得なくなった――「ワインの熟成には極めて緩やかで微量な継続的酸素供給が必要であり、コルク栓はその状況を提供してくれるワイン熟成に不可欠なファクターである!」というあれだ。
このフレーズの「極めて緩やかで微量な継続的酸素供給」の吸引酸素総量と、「吹きこぼれを起こしていなくても劣化しているワイン」が吸引した酸素総量には、どれほどの差があると言うのか? 吸引酸素総量が同じでも、吸引に要した時間の長短だけで「熟成」と「劣化」に分かれてしまうのか? この件に関しては、戸塚先生も明確な回答をお持ちでなかった。
ある物質の酸素吸着力は一定ではない
一方、ヴァンテックスの事務所が六本木から広尾に移転してしばらくしたころだったと思うが、そのころから急激に台頭し始めたカリフォルニア・ワインの、酸化防止剤アスコルビン酸塩について戸塚先生に質問したことがある。
先生は丁寧に解説してくださった。その会話の中で「アスコルビン酸は温度が高いときには旺盛な酸素吸着力を発揮するが、低温にさらされると吸着していた酸素を手放してしまう欠点があるんだよ」と教えてくださった。
この時私は大きな衝撃に襲われ、「これだ!」と心の中で叫んでいた。ワインにまつわる「?」マークの山に大雪崩が発生したのだ。