「Tokyoインターナショナル・バーショー」は、海外のバーテンダーに直接話を聞き、実演にも接する貴重な機会となった。レポート第2回では、アジアのスター・バーテンダーたちに、日本とアジアのカクテル、バー、そのお客たちの違いについて尋ねたことをお伝えする。
海外バーテンダーに会う貴重な機会
今回の「Tokyoインターナショナル・バーショー」(TIBS)取材の目的の一つが、海外のバーテンダーの方から直接お話をうかがうことだった。ウイスキーやワインの場合、作っている方々が日本に来てプロモーションを行う機会がないわけではない。わからないことがあれば、かなり遠回りにはなるが輸入代理店に尋ねることもできる。ところが、世界中のバーでカクテルに腕を振るうバーテンダーたちと話すことのできる機会は、現地に行くか、たまたまカクテルコンクールの世界大会があって、しかも各地で勝ち抜いてきたバーテンダーが一堂に会する決勝戦が日本で行われるときくらいしかない。
戦後、日本のバーテンダーの同業組合が海外の同業者たちとの交流を復活するきっかけも、昭和32(1957)年、SAS(スカンジナビア航空)が北極回り欧州航路でコペンハーゲン―羽田航路を世界に先駆けて開設した際のイベントとして行われた「北極圏開通記念カクテル・コンペティション」まで待たねばならなかった。このとき優勝したバーテンダー、P.ドシャール氏が、SASの一番機DC-7C型機で日本にやってきた際に、日本のバーテンダーが接触することができたのだ。
日本のバーテンダーと海外バーテンダーとの交流は、日本バーテンダー協会(当時JBA。後にNBAと改称)のカクテル「マウント・フジ」が国際コンクール入賞をきっかけに出来た(第18回および第22回を参照)。しかし、JBAが戦争の影響で実質活動を停止せざるを得なくなった昭和15(1940)年からは途絶えてしまう。
長年鎖国状態にあったとされる江戸時代日本を開国させたのは黒船に乗って浦賀にやってきたアメリカ人のペリーだが、日本と海外のバーテンダー交流を復活させるきっかけとなったのは、ベルギー人のドシャール氏だったことになる。そして、海外のバーテンダーとの交流中断から再開までは20年近くあったことになる。この長いブランクは、バーテンディングというサービス業従事者の海外交流再開のプロセスが、すでに輸入が再開されていた洋酒の、醸造という製造業と比較してはるかに難しかったことを示している。
海外のバーテンダーに接触する機会は、それほどに貴重なのだ。そんな事情もあって、筆者はにこやかにサンプルのコップを並べたトレーを持って会場のそこかしこに立っている美女たちには見向きもせずに(と言うと掲載写真でウソがばれてしまうが)、来場者でごった返す会場内をひたすら海外から来たバーテンダーを追いかけ続けた。
そこで第2回と第3回は、フランス、台湾、韓国、シンガポールから今回のTIBSのために来日したバーテンダーの方からうかがったお話をお伝えすることにしよう。
韓国ではオリジナルが主体/Do-Hwan Eom氏
最初にインタビューに応じてくれたのは韓国のリッツ・カールトン・ソウルで10年以上の経験を持つDo-Hwan Eom氏。氏はアテネで行われたDIAGEO Reserve World Class 2010で2位を獲得している。氏の風貌や物腰には、日本のホテル系バーテンダーに共通するものがある。
彼によればオーセンティック・スタイルが多い日本のバーと異なり、韓国ではクラシックとモダンが混在しており、ソウルでは屈指の品格を誇るリッツ・カールトンに勤務する自分のスタイルもクラシックとモダンの混合だと言う。日本のお客はスタンダード・カクテルを注文することが多いが、韓国のお客は、彼自身が考案したオリジナルを頼むことが圧倒的に多いとのこと。
TIBSで披露したオリジナル・カクテルも、クラガンモア(スコッチ・モルトの一つ)のフィニッシュと共通点を感じたタイムと、朝鮮人参をトデー・スティックでマッシュしたものを隠し味に加えた独創的なカクテルだった。
シンガポールでは調製の数・速さ・質が必要/Vince Ang氏
続いてお話をうかがったのはシンガポールから来たVince Ang氏。ミラノで行われたJohn Whyte Club Cocktail Competitionの優勝者だ。
彼がTIBSで披露したカクテルは今回のために考案したオリジナルだ。ガーニッシュ(カクテルの飾り)として添えられた金箔に目を留めた筆者が、「やはり中国系の方は赤い色と金色(縁起がいいと春節などで使われる)がお好きなんですね」と言ったところ、「これは、今回が初となるTokyoインターナショナル・バーショーが未来に向かって輝くように、という思いを込めて添えたものです」と答えてくれた。アジアで初のバーショーであることに特別な思いを抱くのは、日本人だけではなかった。
日本とシンガポールのバーの仕事の違いを問うと、シンガポールの場合は、日本人が「バー」と聞いてイメージする客席が10前後の小さな箱はほとんどなく、たいていは客席が100近くで、一晩に170杯のカクテルを作る日も珍しくないという。そのため、品質を落とすことなくどうやって調製のスピードを上げるかが求められるとのことだった。
台湾のオーセンティック・バー人気は始まったばかり/Aki Wang氏
さて、先のVince Ang氏のインタビューを終えた頃から来場者が増えてきた。その混雑の中、筆者は、台湾からやってきたAki Wang氏を探した。ロンドンで行われたBelvedere Vodka International Bartender Competitionで優勝したバーテンダーだ。氏はプロレスラーのような大きな体格と風貌で場内でも目立つはずなのだが、なかなか見つからなかった。
ようやく見つけた彼に、まず東日本大震災のときの台湾からの支援について感謝の言葉を伝えてからインタビューを始めた。
彼によれば台湾で本格的なバーが認知されたのは最近10年ほどのことであり、技術や接客を学ぶために日本の有名なバーにもしばしば足を運ぶという。一方、Aki Wang氏自身は台湾のバーテンダーとしては“第2世代”に属しており、彼が師と仰ぐ人は台湾に2人いると言う。William Wang(王靈安)氏とAlex Whang(黃毓禮)氏で、40年以上にわたってバーテンダーという職業を台湾で認知されるように努力してきた両氏はAki Wang氏以外の台湾のバーテンダーたちからも尊敬される存在だという。
この後の話にも関連するが、どちらかというとアメリカ型バーテンディングのフレンドリーさの韓国と、厳しい修業と徒弟制度的な日本型に近い台湾の違いが興味深かった。
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P.ドシャール作「ポーラー・ショートカット」
- ラム(ダーク) 1/4
- ホワイトキュラソー 1/4
- チェリーブランデー 1/4
- ドライ・ベルモット 1/4
ステアしてカクテルグラスに注ぐ。
(日本バーテンダー協会 ザ・カクテルブックより)
※このレシピでは北欧素材がとくに指定されていないが、SASの主催という点から考えて、当初のレシピではチェリーブランデーにピーター・ヒーリング(デンマーク産)が指定されていた可能性が高い。(石倉)
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※DC-7Cの同型機の写真について
概要:Scandinavian Airlines System (SAS) Douglas DC-7C Seven Seas OY-KND Rolf Viking at Stockholm-Bromma Airport.
日付:1967年8月
原典:http://www.airliners.net/photo/Scandinavian-Airlines-System/Douglas-DC-7C-Seven/0234066/L/
作者:Lars Söderström
(FoodWatchJapanがトリミング、色補正をして使用)