日本の外食産業や小売業のチェーンは、スクラップアンドビルドを前提に展開し、商品も各店舗もチェーンも短命な傾向がある。これではブランドとして育つことは難しい。強いブランドは歴史を持ち、また対面販売で顧客との人間対人間の関係を築いている点に注意されたい。
小売チェーン・外食チェーンにブランドはあるか?
チェーンの中でも、外食産業はとくに変化の激しい業界である。そのため、ブランドに対する生活者の認識の移り変わり、新業態の出現によるブランドの浮沈は留まるところを知らない。日々、次々と新しいブランドが生み出され、次々と古いブランドが消え去っていく。
さらに、日本の外食産業がチェーンを主体に興ってからは基本的に価格訴求型であり、近年はとくに低価格競争に走ることが多くなっている。この経営環境の中、商品と店・チェーンの多くは短命である。したがって、一時的には有名になり、マスコミやクチコミでも取り上げられ、生活者に店名・商品名などを想起され、実際によく利用されたものでも、それを“超過収益力”のある本来のブランドとは考えにくい。
厳しい言い方になるが、こういうものの場合、人の心の中に蓄積される“価値”は生み出されないのである。前回、故水口健二先生の表現として、ブランドを「選択の手掛かり、信頼の根拠」と定義したが、現れては消えていくようなものに“信頼”はないのであり、いざ利用しようとしたときになくなっているのであれば、“選択”のしようもない。
外食産業に限らず、この種の擬似的な“ブランド”は“感動の象徴”とは言えないし、「Focus To Being Special」(特別であることに焦点を合わせる)と表現できるほどの“こだわり”や“差別性”を実現しているのでもない。
そもそも、日本の小売業や外食産業に見られるほとんどのチェーン自体がスクラップアンドビルドを前提としており、これではいずれなくなる各店の商圏でブランドを育てることは難しい。また、特定のチェーンの業態・フォーマット自体もしばしばスクラップアンドビルドされるため、育てかけたブランドをスクラップしてしまうことはしばしば躊躇なく実行されもする。
また、多くのチェーン企業は、各業態・フォーマットごとに店名・チェーン名を付けるが、それが必ずしも企業名と一致しないだけでなく関連性もなく命名されていることが多い。そのため、一般の生活者にはそれらのチェーンを束ねて運営している企業がわからず、店名・チェーン名がある程度浸透しても、その展開企業のブランドを引き上げることに貢献しない。
また、付け加えれば、日本のチェーン企業の名前は、英語やカタカナの造語であることが多いが、このためにその企業やそれの事業が理解されにくくなっていることも、また多く見受けられる。
強いブランドは歴史を持ち、対面販売重視である
重要なことは、有名で、認知率や想起率が高い名称であったとしても、それがイコール“ブランド力”とはならないということである。
そのことを前提に、チェーン・ビジネスのさまざまなブランドが、真の意味での、価値あるブランドであるかを検証してみていただきたい。
一般的に言って、チェーン・ビジネスの中では“対面販売重視型”のところでは本来の“超過収益力”を目指したブランド構築努力がなされている。人間対人間の絆を作ることが、忘れにくい強い絆を生み出すためだ。
小売業、外食産業の各チェーンはどうか。それに対してたとえばガソリンスタンドの各ブランドはどうか。ガソリンスタンドは、もともと差別化しにくいガソリン等を主力商品としている上に、流通の過程でいくつかの元売りの製品が“ブレンド”されてしまうことさえある。そのような商品を扱いながら、それでも特定のガソリンスタンドのブランドを“指名買い”する顧客はいる。そのように成功しているガソリンスタンドの場合は、顧客がガソリンという商品の善し悪しを評価できなくとも、顧客接点としてのイメージやサービスを評価していると考えられる。
同様に、自動車販売店(自動車メーカー)についても検証してみていただきたい。車自体の好き嫌いは、車のスタイルや性能だけで決まるのかどうか。たとえば、メルセデス、BMW、アウディ、フォルクスワーゲン、トヨタ、あえて別に言えばレクサス、ホンダ、日産、マツダ、スズキなどはどのような方法で、どのように顧客の心に価値を蓄積しているだろうか。それには、商品の善し悪しだけでなく、店舗のビジュアル、雰囲気、接客なども大きくかかわっているものだ。
チェーンストアの方は、百貨店をチェーンとみなしていないようだが、複数店舗を面で展開するという意味ではチェーン・ビジネスの一つだ。これらはどうか。「伊勢丹」「三越」などの強みの第一は、その長い歴史を通じて、顧客とのかかわり、顧客の心の中への価値の蓄積を重ねてきたことだろう。