国税庁醸造試験所(現独立行政法人酒類総合研究所)第3研究室長(当時)の戸塚昭先生は、ワインを高温にさらして起こる変化を見る実験をしてくださった。その結果は、驚くべきもので、また高温にさらされたボトルのワインが劣化するしくみの本質を読み解く上でたいへん示唆に富むものであった。
ワインは何℃の高温で劣化するか?
六本木のヴァンテックスの事務所では醸造試験所の戸塚昭先生のお目にかかることも増え、テイスティングを御一緒させていただくことも多くなった。他方、さまざまなダメージ・トラブルを引き起こしたワインを携えて相談に訪れる輸入業者や中間業者の方々も現れ出していた。
そんなある日、ワインは何℃の高温を体験したら明確な劣化を確認できるのかを戸塚先生に質問してみた。先生は試験場第3研究室で実験してみると約束してくださった。数日後、先生から連絡をいただいた。その結果は驚くべきものだった。ヴァンテックスの西尾氏と私は王子駅近くの滝野川にある醸造試験場へ駆け付けた。
実験室には、完璧に外気流入を遮断した実験装置が作られていた。私としては密閉型の実験装置は期待していなかった。密閉状態での加熱実験は爆発事故を起こしかねないからだ。だが戸塚先生は加熱装置と冷却装置を連結し、実験温度をアップさせた時に蒸気は排出できるが、温度をダウンさせる時に外気吸引はさせない装置を作ってくれていたのだ。
実験の結果は、「煮沸の温度帯になっても明確な劣化は発生しない」というものだった。
私は唸ってしまった。そして「大塚のボン・カレーは安全なんだねぇ!」と呟いていた。当時の私は、高温高圧をかけて製造するレトルト食品の安全性をまだ信用していなかったので、食べたことがなかったのだ。
そして、ドイツの「ヨハニスベルグ城」(Schloss Johannisberg)のケラーマイスターの言葉、「液体の溶存酸素は、液温が高い方が少ない。酸素がなければ酸化したくても酸化は起こらない」が思い出された(第10回参照)。
「先生、このコック開けていいですか?」と聞いて了解をいただいてからコックをひねった。すると、酸化度を計測する装置の数値がドンドン上昇した。
数分で加熱と冷却を繰り返す実験装置を眺めながら思い出していたのは、第12回で資料掲載した電動丸ノコの刃のような温度計測シートだった。
ワインが吹きこぼれるメカニズム
酸化の話からは少しそれるが、ここでワインの吹きこぼれのことを考えた。
戸塚先生の実験装置では蒸気排出装置があるので吹きこぼれ事故は起きない。しかし、コンテナの温度コントロールを怠り、1日1回15~20℃前後の幅で温度変化を体験しながらヨーロッパから到着したワインの場合では、ビン内のワインの20~40%が吹きこぼれてしまう事態も起きている。
沸騰したわけでもないワインが、容量の半分近くを吹きこぼしてしまうメカニズムを理解していただけるだろうか? 私の推理はこのようだ――。
コルク栓を使用したワイン・ボトルは、コルクの乾燥を防いで密閉度を維持するために、ボトルを横たえるか倒立させた状態で船積みされる。ワインとコルクは直に接した状態にある。
周辺温度が上がり、ビン内温度が上昇を始めると、ビン内に閉じ込められた液体と気体は膨張を始める。そして、ビン口の内壁と圧縮打栓されたコルク栓との摩擦抵抗よりもビン内の膨張圧力が勝ると、コルク栓は押し出される。
しかしパッケージ(木箱、段ボール等)で頭を押さえ付けられたコルク栓は多少飛び出すが、抜け落ちることはできない。そこでコルク栓の押し出しがそれ以上不可能になると、膨張したワインはビン口の内壁とコルク栓の間に侵入し、やがて吹きこぼれを起こす。
それと同時に、密着していたビン口の内壁とコルク栓との間が一度液体で洗われることで、摩擦抵抗は著しく低下する。以後、液体も気体も通りやすくなるのだ。
さて、周辺温度が下がりビン内温度も下がると、ビン内に閉じ込められた液体と気体も収縮してビン内は陰圧化し、外気吸引を始める。そして、同じ温度に戻ったときには、吹きこぼれで減ったワインの容積の分だけ、液体が気体に置き換わることになる。
ところで体積膨張率は液体と気体でどちらが高いか。一般に、温度が上昇したときには液体より気体のほうがより体積を増し、下降したときには液体より気体のほうがより体積を減じる。
だから、この次に温度上昇が起きると、体積膨張率の大きい気体の割合が増えているのだから、吹きこぼれ量は前回より増加し、再び温度が下がるときにはより多くの気体を吸引することとなる。