ワインのリーファー輸送を業界に提案した大久保順朗氏が、リーファー輸送が必要と考えるに至ったワイン物流の問題の本質を語る。今回は、あるドイツワインの「気がかりな味」の原因を産地で見つけた話と、ドイツで理解した地下貯蔵の狙いの話をお送りする。
産地でも感じた「気がかりな味」
1978年、私はシュミットが参加者募集した「ジャーマン・ワイン・アカデミー短期セミナー受講ツアー」に参加した。初めての海外旅行であった。当初、セミナー参加者は日本人だけで完全通訳付きという企画だったが、参加者が定員に達しない。結果、世界中からの寄せ集めセミナーとなった。語学に弱い私はひるんだが、「ダメージのないワインを飲んでみたい! 原産地での香味を体験すれば、ダメージ原因の特定もできるはずだ!」という気持ちが勝った。
晩秋のフランクフルトに到着し、ワイン生産地域ラインガウ(Rheingau)のエストリッヒ(Oestrich)の村へバスで向かい、家族経営のプチ・ホテルに投宿した。夕刻からは「エーベルバッハ修道院(Kloster Eberbach)」で歓迎レセプションだが、待ち切れずに昼下がりのブドウ畑へ飛び出した。
収穫の終わった畑は静かだったが、収穫されなかった未熟果が残った樹もあった。粒を摘んで口に入れた。何の品種だかよくわからないが、日本の生食用葡萄と異なり、小粒で皮も果肉も硬く、香味が濃いことだけはわかった。
歩いて行くと少し広い道路に出た。大樽の形をしたワイン・スタンドが、間隔をおいて数軒並んでいるのが見渡せた。最寄の一つに立ち、リストを見て日本で飲んだ経験のあるワイン名を探した。「ラインハルツハウゼン城」(Schloss Reinhartshausen)醸造の「エルバッハ村」(Erbach)産の「マルコブルン畑」(Marcobrunn)と「シュロスベルグ畑」(Schlossberg)の※カビネット(kabinett)を見つけ、オーダーした。
日本でテイスティングしたものとは明らかに違う。香味に曇りがない。だが銘酒「マルコブルン」には、健康なのだが「気がかりな味」があった。その「気がかりな味」は、日本でのテイスティングでも感じていたものだったが、これで日本への輸送段階に生じた変質ではないことは確認できた。
その後もそのワイン・スタンドで十数種類のワインを試飲して宿へ帰った。
夕刻からのレセプションは、なんとも国際色豊かだった。パリコレのモデルをしているブラジル国籍の5人組美女、イギリスの新婚さん、フィンランド人の大学生、オランダのワイン商父娘、カリフォルニアのワイナリーの親爺、南アフリカのワイナリーの醸造責任者、カナダのワイン・ジャーナリスト。日本人は、シュミット大阪支店長成廣氏と大阪の酒屋さん、京都伏見の清酒「日出盛」の松本酒造会長松本夫妻、カゴメの山田義造氏、小田急百貨店ワイン担当の女性安田氏と野口氏、通訳兼任の近畿日本ツーリスト添乗員前田女史、そして私であった。
ディナーと共に供されたワインは20種類を越えていた。
畑の形と位置を確認する必要
翌日、朝食を済ませてバスに乗り込む。すぐに最初の訪問地「エルバッハ村マルコブルン畑」へ到着した。ここで「気がかりな味」の原因に気付いた。
バスを降りて畑へ向かい、「マルコの泉」の大理石のモニュメントの前で呆然とした。畑の土を見渡しさらに愕然としてしまった。白いはずの大理石のモニュメントも畑も一様に「伊予柑の皮の色」なのである。周りの人たちの様子をうかがうと、嬉々として写真撮影に夢中で、私が感じた異常には気付いていないようだった。
私がかねて感じていた「マルコブルン畑」産ワインの「気がかりな味」というのは、「鉄の赤錆様の味」であったのだ。それでも一帯の「伊予柑の皮色」を「鉄の赤錆色」と断定したくないという気持ちは心の片隅に留まっていたのだが、それはわずか数分後に木っ端微塵に粉砕されてしまった。狭く細長い長方形をした「マルコブルン畑」の長辺に沿って、電車が通過したのである。
思わず「アァ! なんてことだ!」と呟いてしまった。「伊予柑の皮色」は、鉄路が散らす鉄粉の酸化色そのものであり、「気がかりな味」は「赤錆の味」そのものであった――私がそう断定したのには、私の体験に基づく理由がある。
昔、私の父方の祖父の生家はJR中央線武蔵小金井駅の線路際にあった。母方祖父の実家も、隣駅の同様の立地にあった。厳密に言うと私が感じていた「気がかりな味」とは、幼少期から味わい尽くしてきた、少し機械油の匂いがして鉄分の多い両祖父の家の農作物の味であった。中央線の連結車両数も少なく運行頻度も少なかった時代は未だしも、やがて通勤電車がひっきりなしに往来する時代になると、両祖父の実家は線路沿いの畑を植木畑に変えてしまった。
帰国後、「マルコブルン畑」産ワインをお客様に売る気にはなれなかった。ただ、幸いなことに鉄粉は重い。数十m離れれば、鉄錆の影響はほぼ解消する。ワインを選ぶ時に、畑と線路との位置関係を注意するようになったのはこの時である。
ヨハニスベルグ城地下の温度
さて、「マルコブルン畑」を後にして、昨夜のレセプション会場、ジャーマン・ワイン・アカデミー本拠地のエーベルバッハ修道院に戻り、30種類前後のワインをテイスティングした。
「シュタインベルガー」(Steinberger)のカビネットは、リースリング種(Riesling)以外にも複数の原料品種の単独あるいはブレンドの商品があることを知った。また日本ではこの国立醸造所のワインの中で「シュタインベルガー」の価格は「ラウエンターラー・バイケン」(Rauenthaler Baiken)や「ラウエンターラー・ゲールン」(Rauenthaler Gehrn)の価格を上回っていたが、同醸造所内売店では逆の値付けであった。私自身も以前から“筋肉質の「バイケン」”や“少し皮下脂肪の付いた「ゲールン」”の方が、“モダンに変身した「シュタインベルガー」”よりも好みであった。
次に徒歩で「キードリッヒ」(Kiedrich)村を訪れ、さらにバスで「ラインハルツハウゼン城」へ向かい、その日二度目のやはり30種類近くのテイスティングと昼食。
午後は「ヨハニスベルグ城」(Schloss Johannisberg)を訪れた。この日の午後は晴天の午前中とは打って変わって寒い曇天となった。この地が北緯50度にあることを思い知らされるような天候であった
地下1階にある醸造場に下りるために、まずは1m以上階段を昇り、頑丈な扉を開けて屋内に入る。その屋内にはすぐに降下する長い階段がある。降りて2回扉を開けて醸造場へ入ることとなる。降りる前にいったん階段を昇るのは、冬の寒気が地下の醸造場内に流れ落ちるのを防ぐ工夫であると見抜けた。
同行のカゴメの山田氏はドイツ語が堪能な方であった。山田氏にお願いして案内のケラーマイスターに確認していただいた。ケラーマイスター氏は満面の笑みを浮かべて頷いて、日本人の男4人だけをさらに降下する階段に案内してくれた。長い階段であった。途中でトレンチコートを脱ぎ、スーツの上着とベストも脱いだ。額に薄っすらと汗を光らせて階段の終点に降り立った。
牢獄のような鉄格子の向こうには、シュミットのカタログに掲載されていた写真そのままに、1688年を筆頭に同城の大古酒コレクションが鎮座していた。しかしそれにしても暑い。山田氏にこの場所が何度あるのか聞いていただいた。ケラーマイスター氏はこの質問を予期していたように「25℃」と答えた。私も山田氏も驚いた。山田氏は「ワインに悪影響はないのか?」と質問してくれた。ケラーマイスター氏の返答に山田氏は目を丸くしていた。通訳していただいて、私も目が丸くなってしまった。「液体の溶存酸素は、液温が高い方が少ない」との返答だった。
以来私は、自店の地下室に抱いていた不安を完全に払拭できたのである。北緯45度以北に大半の大都市のあるヨーロッパでは、冬の寒気(氷点下20℃前後であろう)から守るための地下貯蔵であったのだ。酒屋として日本で恐らく最初に地下セラーを設置した札幌の奥野酒店の奥野氏のコメントが思い出された。「当初はワイン・セラーではなく、凍結・破損防止のビン類商品の貯蔵庫であった」とのコメントである。
そして日本のワイン業界で言われている「9℃」や「11℃」のセラー温度が認識違いであり、地下室を「冷暗所」と思い込んだことによる誤解であろうと推察できたのである。
※カビネット(kabinett):ドイツの公的ワイン分類プレディカーツヴァイン(Prädikatswein)、旧クワリテーツヴァイン・ミット・プレディカート(Qualitätswein mit Prädikat=QmP)の肩書の一つ。
※リースリング:白ワイン用ぶどう品種。ドイツ・ワインにとって重要なブドウ品種の一つ。