醗酵食品の多くは、静置長期熟成の中で他にはない品質が得られるものだ。ところが、昨今のコスト削減の要求の中、その手間と技術がないがしろにされている。今一度、静置長期熟成の意義と価値を見直してほしい。
香味を訴求できない酒が市場を縮ませ社会問題を起こす
さて、視点を変えた考察もしてみよう。
酒の攪拌を最小限に抑える流通を惰れば、香味は損なわれるというのが私の主張だ。
であれば、香りや味わいを楽しむために酒を求めるお客に味覚・嗅覚の満足を与えることはできず、彼らにそれのための対価を支払ってもらうことはできなくなる。その結果、酒のビジネスは、酒に酔うことを求めるだけのユーザーを対象とするしかなくなる。致酔性と価格だけを訴求するマーケティングにならざるを得ない。
この場合、酒の販売量は一時的に少しは伸びる余地があったとしても、やがて市場規模は大幅に縮小するはずだ。単価の上昇は期待できないし、酔っ払うほど飲む必要はないという人たちの需要がすっぽりと抜けるのだから。
これは酒類業界全体の弱体化へとつながる。さらにはアルコール依存症患者の急増という社会問題を引き起こすだろう。これは“もしも”とか“将来”の話ではない。まさに現在進行している社会現象である。
本来はかけた時間の長さも価格に含まれていた
食品・飲料に対して、消費者が容認する価格というのは、本来は“素材・鮮度のよさ”と、製品になるまでにかかる“時間の長さ”に対する対価であったはずだ。だからこそ、生鮮品は食べる現場に届くまでの時間の短縮に腐心し、かたや保存食品である乳酸醗酵食品や酒類の多くは、熟成の頃合いの見きわめや静置長期熟成のソフトとハードの充実に腐心してきた。
ところが、大量生産の流れとコスト削減の圧力のある今日の食品産業はどうだろうか。
生鮮品の“時間の短縮”は、需要サイドの本来の要求と供給サイドの課題が相互に奏功する部分があって技術革新が進んだ。
では、乳酸醗酵食品や酒類はどうか。こちらは、製品が出来上がった後の時間短縮だけでなく、製品が出来上がるまでの時間短縮にまで手を出し、熟成の頃合い見極めと静置長期熟成にかかわる伝統技術をないがしろにする時代をつくってしまったと言っていいだろう。一週間で仕上がってしまうと聞くだし入りみそやだし入り醤油、味の出ない鰹節、乳酸醗酵していない漬物、熟成させないビールなど、首を傾げる商品の登場例は枚挙に暇がない。
十年熟成させた魚醤の味は格別
そんな中でも、最近は海外旅行や海外への関心からキムチ、ナンプラー、ニョクマムなどの外国産乳酸醗酵食品が人気を集めた。そうした流れの中で醗酵食品全体にも目が向けられた結果、消滅寸前の伝統技法を守っていた国産乳酸醗酵食品にも陽が当たり始めた。
だが、静置長期熟成の力と重要性が広く認められるのはまだこれからだろう。たとえば、能登のイシルなど多くの国産魚醤を手に入れたら、それを手元で十年熟成させてみてほしい。その香味は新しいものとは全く違い、言葉では到底表現できないような味わいを持つ。10年かかるとは言え、これは静置長期熟成の重要性を認識するために誰もが体験できることの例だ。
酒類でも、高級ドイツ・ビールやベルギー・ビールの輸入を契機に、長期熟成酒が注目されている。この2種類のビールの大半は、瓶入りで縦箱正立輸送である。そして、これらのアルコール度数は日常用ワインよりも低く、瓶の容量も少ないから、単位アルコール当たりの対価は日常用ワインよりも高い場合も多い。つまり、明らかに付加価値が認められている酒類である。