日本リカーの吉崎氏は勘の働く男だった。ネゴシアンとシャトーに詳しくないかと思わせながら、何でもないように鉱脈を掘り当ててくるようなところがあった。
ヒット・メーカー
部下を信じてワインのリーファー輸送参入にゴー・サインを出した日本リカー湯沢社長ではあったが、後日、吉崎氏は「社長、何にもわかってないみたいよ!」と言って不満顔であった。
それはそうに違いない――数年後、湯沢氏は日本リカーを退職して八王子の酒類販売会社の顧問に就任したのだが、その時湯沢氏から電話があり、「あの時のリーファー輸送の話、私聞いてないんだよね。もう一度教えてくれる?」と言ってノートを持って来店したことがあった。
日本リカーの社風は穏やかで、和気と活力があい溢れるという会社であった。その中で、何と言っても特筆すべき人物は吉崎和明氏であった。彼は驚くべき勘働きを持った男だった(実際には陰で地道な調査の努力をしていたのかもしれないが)。
ジャン・ピエール・ムエックス
日本リカーがワインのリーファー輸送に参入する直前であっただろうか、吉崎氏が「展示会で気になるボルドーのネゴシアンがあったんだよね。ケチでさあ、試飲させてくれないんだよ。信じられないよね」と言っていた。「サンプルを頼んであるから着いたら試飲してくれる?」と言うので、「いいよ、何て言うネゴシアン?」と尋ねると「これなんだけどね」と言って簡素なワイン・リストを手渡してくれた。
ジャン・ピエール・ムエックス(Jean-Pierre Moueix)の文字と、シャトー・ペトリュス(Chateau Petrus=このシャトーはすでにに毎日商会がエージェント契約していた)を除く同社の看板シャトー16~18種類ほどが綺羅星のごとくに並んでいた。
「吉崎君この蔵のこと、本当に知らないの?」と問うと、「知らないよ。聞いたことないシャトーばっかりだし」と言う。「あのねえ! シャトー・ペトリュスは知っているでしょう?」と聞くと、「もちろん知ってますよ! 最近有名になってきているワインでしょう」と言う。
当時の日本ではサンテミリオン(Saint-Emilion)はある程度知名度があったが、ポムロール(Pomerol)の知名度は著しく低かった。「だからこれはそのペトリュスのジャン・クロード・ベルーエ(Jean-Claude Berouet)が造ったりアドヴァイスしているワインたちが並んでいるリストなんだよ」と言うと、「エッ! 造ってるのはジャン・ピエール・ムエックスじゃないの?」と言う。「ジャン・ピエール・ムエックスは会社名、ジャン・クロード・ベルーエは同社の醸造管理責任者の名前だよ」と教えると「ヘェ!」と言って納得してくれた。
6銘柄を選べ
それから1カ月後だっただろうか。吉崎氏はハーフ・サイズ6本入りの段ボール箱3個を携えて現れた。開口一番、「ケチなんだよね! 信じられる? 全部ハーフ・サイズだよ! こんな扱いされたの会社始まって以来、お初だと思うよ」とまたしてもブツクサ文句を言っていた。
「ここで開けちゃっていいのかい? オレが会社へ出向いてみんなでテイスティングした方がいいんじゃない?」と聞くと、「構わないよ! その代わり残りは持って帰ってもいいでしょう?」と言う。
「でね、ムエックス社はね、日本はシャトー・ペトリュスの毎日商会以外に販売特約社として3社と契約したいらしいんだよね。それでウチにはこの中から6銘柄選べって言うんだよね。全くイチイチ高飛車なんだよね!」と憤慨していた。
シャトー・トロタノア(Chateau Trotanoy)、シャトー・ラフルール(Chateau Lafleur)、シャトー・ラ・フルール・ペトリュス(Chateau la Fleur Petrus)、シャトー・ラトゥール・ア・ポムロール(Chateau Latour a Pomerol) シャトー・ルジェ(ChateauRouget)、シャトー・ラ・グラーヴ・トリガン・ド・ボアセ(Chateau la Grave Trigant de Boisset)、シャトー・プランス(Chateau Prince)、そしてサンテミリオンのシャトー・マグドレーヌ(Chateau Magdelaine)などが秀でていた。