東北のサクランボの旬はまだ1月近く先ですが、スーパーなどにはアメリカンチェリー(ビングチェリーなど)が並ぶ季節になっています。
フランス文学者の鹿島茂さんという方がいます。あまり本は読まないという方でも、グローバルダイニングの長谷川耕造社長の高校時代の友人で、長谷川社長の「タフ&クール」(日経BP社)をプロデュースした方と言えばおわかりではないでしょうか。
その鹿島茂さんの「クロワッサンとベレー帽」(中央公論新社)所収の「ア・プロポ」というエッセー集の中に「サクランボ」という項目があって、フランス人について面白いお話を紹介されています。
曰く、フランス人はサクランボが出回る頃に「幸福感」のボタンが押されて、それが2~3カ月続くのだそうです。それがつまり5~6月の頃のこと。それで、彼らにものを頼むならこの時期に限る、というお話です。
私も緯度の高い地方の出身なので、フランスに行ったことはありませんが、こういうのがなんとなくわかります。
雪国の春というのは、実はちょっと憂鬱なところがあります。テレビでは春だ春だと言い、3月~4月の雑誌には何かと桜の花の写真や絵が使われますが、この頃は「こんなにお日様が照っているのに、何でこんなに寒いんだ!」とガタガタ震えながら無理に薄着をして歩くのです。その足もとは雪解け水で泥だらけ。乾けば埃が舞って目に入るのですが、昔、北海道ではこの頃のこういう風を“馬糞風”(乾燥したそれが風と一緒に舞うので)と呼んだものです。
まあ、あまり気分のいい季節ではありません。
ところが5月に入ると、未舗装路も地面らしく締まり、あらゆる花が一斉に咲きます。6月~7月はじめ頃は本州以南は梅雨ですが、北海道では最も過ごしやすい季節になります。フランス人がうきうきする季節はそういう頃のことではないかなと想像するわけです。
さて、フランス人はこの時期に恋をすると鹿島さんは続けます。恋人とサクランボ狩りに出かけるのだと。そのはかなくも幸せな季節を歌ったのが、「さくらんぼの実る頃」というシャンソンなのだそうです。
私は音楽には全く詳しくないので、その歌は知らないなと思っていました。しかし、宮崎アニメの「紅の豚」(飛行機好きにはこたえられない作品です)をご覧になりましたか? あの作品の中で、加藤登紀子さんが歌っていた歌が、「さくらんぼの実る頃」だそうです。
春のはかなさ。多くの日本人が桜の花に感じるものに近い何かで、もう少し色っぽい感じが、フランス人にとってのサクランボなのかもしれません。
おじさんである私にも実は幼稚園時代というものがあったわけですが、あの頃、サクランボの季節になるとお弁当にサクランボをタッパーに入れてくる子が何人もいました。その中に2個つながったものがありますが、子供たちはそれを耳にかけて遊びながら食べていたものです(ばっちい)。そんなことを思い出しながら、「さくらんぼの実る頃」の歌詞の訳を調べていたら、女の子たちがサクランボで「胸や耳を飾る」とありました。
もう一つ。「地下鉄のザジ」(レーモン・クノー、生田耕作訳、中公文庫)という、ちょっと変わった小説があります。田舎に住む女の子が、恋人に会いに行くお母さんといっしょにパリに来て、預けられた叔父の家を飛び出してドタバタの追いかけっこを繰り広げるという話なのですが、これにシャルルという独身のタクシードライバーが出て来ます。そのシャルルについて、「彼の春のサクランボを進呈するのにふさわしい」女性を、彼は何年も探している、といったセリフが出てきます。これなど、いよいよなまめかしいスラングめいていますが、何しろフランス人にとってのサクランボのイメージが伝わってくるような話です。
本を読むのが億劫という方は、ルイ・マル監督の手になる映画がありますからDVDをどうぞ。セリフはほぼ原作のままです。これはFoodWatchJapan隔週土曜日連載の「スクリーンの餐」でrightwideさんに書いてもらうべきかもしれませんが、いろいろな食べ物が出て来て、その意味でも面白い映画です。
ちょっと触れておきますと、少女ザジをかどわかそうとするナゾの刑事がザジとレストランに入って、ムール貝とミュスカデを注文します。彼はそのミュスカデに角砂糖を入れてかきまわし、スプーンですすります。ザジは終始「カコ・カーロを買え、買え」ばかり言っている。「コカ・コーラ」のことです。それから、オニオン・グラタン・スープが出てきたときの人々のうれしそうな様子も、この食べ物のイメージをちょっと変えてくれるでしょう。
サクランボからだいぶずれてしまいました。かわいらしく、人をうきうきさせるこの果物が、今年も東北からたくさん出荷されますように。
※このコラムはメールマガジンで公開したものです。