「フランス料理ハンドブック」(辻調グループ 辻静雄料理教育研究所 編著、柴田書店)が発行されました。フランスの地方料理、調理の基本、材料と料理、飲料、食事の組み立て、レストランのしくみ、行事食、そしてフランス料理の歴史と、フレンチに関するあらゆる事柄を網羅した内容で、500ページ近くという大作です。
この内容、ボリューム、書き手の信頼性から考えれば、編集者によってはこんなことを考えたでしょう――書名は「百科事典」に類するものとし、上下2巻、革装金箔押し、函入りとしてン万円という値段を付ける……。
しかし、この編著者と版元はそう考えませんでした。常に手元に置いて活用されることを願って「ハンドブック」というタイトルとし、薄く丈夫な紙を選んでコンパクトさと実用性を実現、表紙はビニール張りで水に強くページを繰りやすいものに仕上げています。価格は3800円(税別)で、最近の書籍としては高めですが、読者が得るものから考えれば破格の廉価と言えるでしょう。
これならば、フレンチに限らず、また料理人に限らず、食に携わる仕事の誰にとっても大切な道案内として活用されていくことでしょう。
私もさっそく取り寄せ、少しずつ読み始めつつ事典として活用していますが、実証に基づいて理論化され体系化されたフレンチの世界のすごさを改めて感じます。科学、技術、歴史学、そしてこれを楽しむ文化が渾然一体となってフレンチが完成されたのだと思うと、ユネスコの無形文化遺産に登録されたこともうなずけます。
以前、FoodScienceに連載していた「食の損得感情」で「ヨーロッパでは、料理人という職業は錬金術師の系譜に連なる」ということについて触れたことがあります(「食の損得感情「新しい調理法に積極的なヨーロッパ。日本が保守的に見えるのはなぜか」」参照)。
今日の化学の基ともなった錬金術を乱暴に大ざっぱに説明すれば、物質を混ぜたり温度を変えたりなどの作業で構成される所定の手順によって、その物質が持つエリクシール(elixir/精)を引き出し、そのエリクシールによって不老不死などの目的を達成しようというものだと言えます。
フレンチの料理人がその系譜にあるとすれば、素材に隠されたその素材に特有の性質を所定の手順によって引き出し、それを利用して美味や滋養を提供する、ということになるでしょう。たとえば、フォン(だし)は肉や魚から取り出したエリクシールであり、それを利用してソースとしたりスープとしたりすることが一皿の料理という目的だと考えることができます。
「フランス料理ハンドブック」を読みながら、そのことを“まさに”と思い返します。
日本で最初の「ミシュランガイド」が発行された頃(2007年)のことですが、このガイドブックにちなんだテレビ番組で、フレンチの巨匠ジョエル・ロブション氏が「すきやばし次郎」を訪ねる場面がありました。ロブション氏がそのすしのうまさを讃える話の中で、「すしは料理ではない」という言い方をしていたのが印象に残っています。別にこれはすしやこの店を侮辱することではなくて、仕事の種類が違うことを言ったようです。
すし(とくに高度成長期以降の)は、“素材を上手に管理して、上手に切って、上手に握る”わけですから、フレンチの“混ぜる・加熱するなどの所定の手順によって”というのとは確かに様子が違います。
また、料理ではなく製菓のお話ですが、あるとき日本の洋菓子メーカーがフランスのパティシエを招聘して教えを乞うたときのエピソードを聞いたことがあります。その人は、焼き菓子に生のフルーツを合わせることを禁止したのです。ルールから外れたものだとして。スポンジに生のイチゴが乗った日本式ショートケーキというのは、論外である由。《つづく》
※このコラムはメールマガジンで公開したものです。