食べ物の恨みが歴史を動かす

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人類の歴史上、食べ物が原因で戦争や革命に発展した例は枚挙にいとまがない。そこで今回は歴史上の大きな出来事を題材とした映画と、その出来事を誘発した食べ物について見ていこう。

「マリー・アントワネット」のブリオッシュ

シャルダン《ブリオッシュのある静物》
シャルダン《ブリオッシュのある静物》

 1789年に起こったフランス革命では、飢饉と貧困によってパンを食べられないという国民の訴えに対し、フランス国王ルイ16世の妃マリー・アントワネットが「パンがないのならケーキを食べればいいじゃない」と言い放ったことが国民の怒りを買ったと言われている。

 ここでいうケーキとはフランスの菓子パン(ヴィエノワズリー)の一種であるブリオッシュのことで、通常のパンとは違ってバターや牛乳、卵、砂糖等がふんだんに使われていることからケーキと意訳されたようだ。今でこそ一般的な食べ物となっているが、当時は富裕層向けの贅沢品であった。発言の真偽はともあれ、王侯貴族の無知を示すエピソードとして伝えられている。

 実はこの言葉、マリー・アントワネットが発したものではなく、「エミール」(1762)や「社会契約論」(1762)等の著書で知られる哲学者ジャン・ジャック・ルソーの自伝「告白」(1770)の中の記述がもとになっていると現在では考えられていて、「マリー・アントワネットの生涯」(1938)、「ベルサイユのばら」(1979)、「マリー・アントワネットの首飾り」(2001)、「王妃マリー・アントワネット」(2006)、「マリー・アントワネットに別れをつげて」(2012)といったマリー・アントワネットが登場する映画にもそのようなセリフはない。唯一、本連載第196回でご紹介したソフィア・コッポラ監督の「マリー・アントワネット」(2006)でマリー役のキルスティン・ダンストが発しているが、それはマリーの発言を報じる雑誌のゴシップ記事にかかる偽のイメージシーンであり、すぐさま現実のマリーが「そんなこと言ってないわ」と否定する流れになっている。

 しかし、「レ・ミゼラブル」(1862)の文豪ヴィクトル・ユゴーが「もし新聞がなかったらフランス革命は起こらなかっただろう」と述べているように、マスメディアの発信するフェイクニュースが拡散して世論をミスリードするのはインターネットの発達した現代でも起こりえることであり、その後のギロチンが象徴となる恐怖政治につながったことは容易に想像できる。

「戦艦ポチョムキン」のボルシチ

 1925年製作のセルゲイ・エイゼンシュテイン監督作品「戦艦ポチョムキン」は、日露戦争末期の1905年6月14日にロシア帝国海軍黒海艦隊の戦艦ポチョムキン・タヴリーチェスキ公(艦名は18世紀ロシア帝国の貴族に由来)で起こった水兵による反乱という史実をもとにしたフィクションのサイレント映画。

 映画の誕生以来経験則で行われてきた複数の映像をつなぎ合わせること(モンタージュ)によって、さまざまな意味が生まれる効果(クレショフ効果 ※)を、ソ連の映画理論家レフ・クレショフが体系としてまとめたモンタージュ理論を、エイゼンシュテインが映画で実践した「ストライキ」(1925)に次ぐ長編第二作である。

 本作は映画史上屈指の名作として知られており、とりわけポチョムキンが停泊した港町オデッサで、反乱を起こしたポチョムキンを支持する市民を政府軍が弾圧するシーンの、階段を乳母車が転がり落ちていくカットは、ブライアン・デ・パルマ監督の「アンタッチャブル」(1987)をはじめ多くの映画で引用されている。

※同じ男の顔のカットが前のカットによって異なる意味を持つクレショフ効果の例

  1. おいしそうな食べ物のカット + 男の顔のカット = 空腹
  2. 棺に納められた遺体のカット + 男の顔のカット = 悲嘆
  3. 横たわる美女のカット + 男の顔のカット = 肉欲

うじのわいた腐った肉を水兵に食べさせたことが、ポチョムキン号の反乱の原因となった。
うじのわいた腐った肉を水兵に食べさせたことが、ポチョムキン号の反乱の原因となった。

 作中の水兵の反乱のきっかけとなったのは、艦内食のスープ(ボルシチ)に使われている肉の保存状態が悪く、腐ってうじがわいているのを目の当たりにしたこと。こんなものが食えるかという水兵の訴えで軍医が肉を検分するが、海水でうじを洗い落とせば食べられると言って取り合わず、水兵たちの不満が日増しに高まっていく。クレショフ効果で言うと、枝肉をはううじのアップは水兵の嫌悪感を、腐肉の入ったボルシチの大鍋が煮え立つカットは沸き上がる水兵たちの怒りを表していて、後の展開への伏線になっている。

 さて、見た目の気味悪さだけでなく、ウイルスや病原菌を媒介するものとして毛嫌いされるハエの幼虫うじであるが、昨今では品種改良を繰り返したイエバエの幼虫に排泄物や残飯を食べさせて肥料化し、幼虫自体は魚の養殖の飼料として利用するというバイオマスリサイクル資材としての研究が進んでいて、食料問題解決策のひとつとして期待されている。それは将来つくられる歴史をどう変えるだろうか。

参考文献:ハエ幼虫で肥料や飼料 福岡新興のムスカ、量産にメド(日本経済新聞)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33731340S8A800C1LX0000/

【マリー・アントワネット】

「マリー・アントワネット」(2006)

作品基本データ
原題:Marie Antoinette
ジャンル:歴史劇
製作国:アメリカ、フランス、日本
製作年:2006年
公開年月日:2007年1月20日
上映時間:123分
製作会社:アメリカン・ゾエトロープ
配給:東宝東和、東北新社
カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
スタッフ
監督・脚本:ソフィア・コッポラ
原作:アントニア・フレイザー
製作総指揮:フレッド・ルース、フランシス・フォード・コッポラ
製作:ロス・ケイツ、ソフィア・コッポラ
共同製作:カラム・グリーン
撮影監督:ランス・アコード
プロダクション・デザイン:K・K・バーレット
音楽プロデューサー:ブライアン・レイツェル
編集:サラ・フラック
衣装デザイン:ミレーナ・カノネロ
キャスト
マリー・アントワネット:キルスティン・ダンスト
ルイ16世:ジェイソン・シュワルツマン
デュ・バリー夫人:アーシア・アルジェント
マリア・テレジア女帝:マリアンヌ・フェイスフル
ノアイユ伯爵夫人:ジュディ・デイヴィス
ルイ15世:リップ・トーン
メルシー伯爵:スティーヴ・クーガン
フェルセン伯爵:ジェイミー・ドーナン
ポリニャック伯爵夫人:ローズ・バーン
シャール公爵夫人:オロール・クレマン
ソフィー内親王:シャーリー・ヘンダーソン
ヴィクトワール内親王:モリー・シャノン
ヨーゼフ2世:ダニー・ヒューストン
プロヴァンス伯爵夫人:クレメンティーヌ・ポアダッツ

(参考文献:KINENOTE)


【戦艦ポチョムキン】

「戦艦ポチョムキン」(1925)

作品基本データ
原題:Броненосец Потёмкин
製作国:ソ連
製作年:1925年
公開年月日:1967年10月4日
上映時間:66分
製作:ゴスキノ第一製作所
配給:ATG
カラー/サイズ:モノクロ/スタンダード(1:1.37)
音声:サイレント(発声版も有)
スタッフ
監督・編集:セルゲイ・M・エイゼンシュテイン
脚本:セルゲイ・M・エイゼンシュテイン、ニーナ・アガジャノヴァ・シュトコ
撮影:エドゥアルド・ティッセ
美術:ワリシー・ラハリス
音楽:ニコライ・クリューコフ
録音:イ・カシケヴィッチ
助監督:グリゴーリ・アレクサンドロフ
キャスト
水兵ワクリンチュク:アレクサンドル・アントノーフ
先任士官ギリヤロフスキー:グリゴーリ・アレクサンドロフ
艦長ゴリコフ:ウラジミール・バルスキー
神父:セルゲイ・M・エイゼンシュテイン

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。