踏み潰し搾られるブドウたち

[52]ジョン・スタインベックとアメリカ農業(2)

ルート66
ジョード一家がオクラホマからカリフォルニアへに移動したルート66

今回紹介する「怒りの葡萄」(1940)はスタインベックがピューリッツァー賞を受賞した原作の映画化である。「荒野の決闘」(1947、本連載46参照)と同じく、ヘンリー・フォンダが主演しジョン・フォードが監督を務めた。第13回アカデミー賞では監督賞と主人公の母親役を演じたジェーン・ダーウェルが助演女優賞を獲得している。

ダストボウルとオーキーズ

1935年テキサス州の砂嵐
1935年テキサス州の砂嵐(the U.S. National Oceanic and Atmospheric Administration “Dust storm approaching Stratford, Texas. Dust bowl surveying in Texas.” 4/18/1935)
アメリカ合衆国の小麦の価格動向
アメリカ合衆国の小麦の価格動向/1801~1984年(ジェームス・ボヴァード著、小林裕幸他訳「アメリカ農政の大失策」農文協より)

 物語は1930年代前半のアメリカ中部オクラホマ州から始まる。殺人罪で刑務所に服役していたトム・ジョード(フォンダ)が、4年の刑期を経て仮出所となる。ところが、故郷に戻ってみると家はもぬけの殻であった。ジョード一家はダストボウル(dust bowl)によって40エーカーの畑が壊滅的被害を受け、地主に土地を追い出されて叔父の家に身を寄せていたのである。

 ダストボウルとは、1930年代にグレートプレーンズ(アメリカ中部の大平原地帯)を断続的に襲った砂嵐のことである。前回「エデンの東」で主人公のキャルが第一次世界大戦で需要が増えた穀物の先物取引で大儲けする場面があったが、戦後のアメリカ農業は機械化による農地の拡大と収量増もあって生産過剰となり、穀物価格は暴落した。これによって耕作放棄地が増加し、行き過ぎた耕起によって剥がれやすくなった表土が干ばつによって土埃となり、強風によって巻き上げられたことがダストボウルの原因の一つと言われており(※1)、その凄まじさは映画の冒頭でも描かれている。

 この災害と1929年以来の大恐慌によって、多くの小作農が住み慣れた土地を地主に返さざるを得なくなった。地主たちは大型トラクタを導入して農地の整備に乗り出し、土地を追われた農民たちの多くは職を求めて西海岸のカリフォルニア州などに移動した。オクラホマ州からの移民がとくに多く、彼らは「オーキーズ」(Okies)と呼ばれ、他州の人々から蔑みの目で見られていた。

●「怒りの葡萄」映画化に至る20世紀初頭アメリカの出来事
出来事
1917 アメリカが第一次世界大戦に参戦
1918 第一次世界大戦が終結
1929 ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落(世界大恐慌の勃発)
1931~1939 グレートプレーンズ広域にダストボウルが発生
1933 農業調整法が成立
1939 スタインベックが「怒りの葡萄」を発表
1940 「怒りの葡萄」映画化

※1:Lester R. Brown “World on the Edge: How to Prevent Environmental and Economic Collapse”Earth Policy Institute
http://www.earth-policy.org/books/wote/wotech3

「乳と蜜の天地」の現実

ルート66
ジョード一家がオクラホマからカリフォルニアへに移動したルート66

 叔父の家でトムの帰還を迎えたジョード一家は、高給を保証したオレンジやブドウの摘み手募集のビラを信じ、元説教師のケーシー(ジョン・キャラダイン)も加わった総勢13名で家財道具をおんぼろの中古トラックに満載し、カリフォルニアへと出発する。しかし、オクラホマからテキサス、ニューメキシコ、アリゾナを通るルート66を西に向かう旅の途中で、トムの祖父と祖母が相次いで命を落とす。

 そしてやっとたどり着いた「乳と蜜の天地」カリフォルニアで彼らを待っていたのは、ビラで摘み手を過剰に集めたうえで賃金をカットするという搾取の構造であった。彼らはバラックの立ち並ぶ貧民キャンプに押し込められ、安い賃金で桃摘みに駆り出される。

 そして、ストライキ寸前の不穏な空気が流れる中、トムは否応なしに揉め事に巻き込まれていく。

「怒りの葡萄」とは何か

 前回の「エデンの東」は旧約聖書の「カインとアベル」のエピソードをモチーフとしていたが、本作のタイトルの出典は新約聖書の「ヨハネの黙示録」である。

また、別の第二の天使が続いて来て、こう言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。怒りを招くみだらな行いのぶどう酒を、諸国の民に飲ませたこの都が。(黙示・14・8)

その者自身も、神の怒りの杯に混ぜものなしに注がれた、神の怒りのぶどう酒を飲むことになり、また、聖なる天使たちと小羊の前で、火と硫黄で苦しめられることになる。(黙示・14・10)

そこで、その天使は、地に鎌を投げ入れて地上のぶどうを取り入れ、これを神の怒りの大きな搾り桶に投げ入れた。(黙示・14・19)

搾り桶は、都の外で踏まれた。すると、血が搾り桶から流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンにわたって広がった。(黙示・14・20)

新共同訳新約聖書「ヨハネの黙示録」

 南北戦争で北軍の進軍歌として使われたアメリカ民謡で「ごんべさんの赤ちゃん」や「おたまじゃくしはカエルの子」の元歌として有名な「リパブリック賛歌」の歌詞に、

He is trampling out the vintage where the grapes of wrath are stored.

彼は怒りの葡萄が鬱屈した絞り桶を踏みつける。

という「ヨハネの黙示録」に由来した一節があり、これがタイトルの直接の由来となっていて、映画でも主題曲として使用されている。

 また、ジョード一家とケーシーの13人はキリストと十二使徒の数に符合し、カリフォルニアへの移動は旧約聖書の「出エジプト記」、ジョードの父が「乳と蜜の天地」と形容したカリフォルニアは「約束の地カナン」になぞらえていると思われる。

 なお、実際にカリフォルニアはアメリカのワイン生産量の9割を占めるほどの一大ブドウ産地であり、ブドウを足で踏み潰して搾汁するワイン作りのプロセスを力あるものに踏みつけにされる下層の人々にたとえているともとれる。

 しかし、こうした解釈を抜きにしても、ジョン・フォード監督の確かな人間観察に裏打ちされた演出や、撮影を担当したグレック・トーランドのフットライト(人物の下からライトを当てる技法)の多用による不安の表現、アルフレッド・ニューマンの情感あふれる音楽など、宗教やイデオロギーの枠を越え、純粋に映画としての達成度の高い作品である。

レタス王のレタスと大豆先物/ジョン・スタインベックとアメリカ農業(1)
https://www.foodwatch.jp/strategy/screenfoods/34000

作品基本データ

【怒りの葡萄】

「怒りの葡萄」(1940)

原題:The Grapes of Wrath
製作国:アメリカ
製作年:1940年
公開年月日:1963年1月2日
上映時間:128分
製作会社:20世紀フォックス映画
配給:昭映フィルム
カラー/サイズ:モノクロ/スタンダード(1:1.37)

◆スタッフ
監督:ジョン・フォード
脚本:ナナリー・ジョンソン
原作:ジョン・スタインベック
製作:ダリル・F・ザナック
撮影:グレッグ・トーランド
美術:リチャード・デイ、マーク・リー・カーク、トーマス・リトル
音楽:アルフレッド・ニューマン
編集:ロバート・シンプソン
技術顧問:トム・コリンズ

◆キャスト
トム・ジョード:ヘンリー・フォンダ
トムの母:ジェーン・ダーウェル
ケーシー:ジョン・キャラダイン
トムの祖父:チャーリー・グレイプウィン
ローザシャーン・ジョード:ドリス・ボードン
トムの父:ラッセル・シンプソン
アル・ジョード:O・Z・ホワイトヘッド
ミューリー:ジョン・クオウルン
コニー(ローザシャーンの夫):エディ・クィラン
トムの祖母:ゼフィー・ティルバリー
ノア・ジョード:フランク・サリイ
ジョン伯父:フランク・ダリアン
ウィンフィールド・ジョード:ダリル・ヒックマン
ルーシー・ジョード:シャーリー・ミルズ
トーマス:ロジャー・イムホフ
管理人:グラント・ミッチェル
ウィルキー:チャールズ・D・ブラウン
デービス:ジョン・アーレッジ

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。