新しい調理法に積極的なヨーロッパ。日本が保守的に見えるのはなぜか

ヨーロッパでスピリッツを得るために使われた蒸留器(国立民族学博物館)。日本ではこの種のものは発明されず、渡来して使われるようになった
ヨーロッパでスピリッツを得るために使われた蒸留器(国立民族学博物館)。日本ではこの種のものは発明されず、渡来して使われるようになった

ヨーロッパでスピリッツを得るために使われた蒸留器(国立民族学博物館)。日本ではこの種のものは発明されず、渡来して使われるようになった
ヨーロッパでスピリッツを得るために使われた蒸留器(国立民族学博物館)。日本ではこの種のものは発明されず、渡来して使われるようになった

「日経レストラン」7月号で、飲食店向けの新製品を集めて、実際に料理人や経営者にも使ってもらい、所感を聞くという特集を担当した。高級な醗酵バターの風味を持ち、トランス脂肪酸はバターよりも少なく、価格もバターの半値程度というマーガリン「アロマーデ」、新機軸の調理機器、資材などなど、面白いものが多数集まった。料理人諸氏は経営の観点から、それぞれに冷静な判定を下したが、実験では誰しも面白そうに目を輝かせていたのが印象的だった。

 この特集の中で、個人的に特に興味を引かれたものが2つある。1つは、直火でなければ焼いても平気、揚げても溶けない、230℃まで耐えるラップ「カルタ・ファタ」。もう1つは、圧力鍋とは逆に、容器内を減圧することで味をしみ込ませる減圧調理器「ガストロバック」だ。

 ガストロバックは沸点に達しない状態で食材に味をしみ込ませるという点で、真空調理に似た工程を行うものと言えるが、より低温に設定し、ほとんど生の状態で調理を行うこともでき、食材の形を崩しにくい特徴も持つ。

 加熱する、あるいは加圧することは、もっと原始的な機構で実現できるが、減圧となると、機械本体も、調理工程そのものも、より工業的な雰囲気を帯びる。事実、ガストロバックは減圧器とヒーターを組み合わせた、それなりに大仕掛けなものだが、そこが面白い。このガストロバックはスペイン製だが、少し前に話題になった、野菜のピュレなどを泡状にする「エスプーマ」もスペイン製。今までにない味を得るために、いろいろな仕掛けを考える文化がある国のようだ。

 一方、カルタ・ファタはイタリアの料理人の発案で製品化されたもので、現在は特にフランスの料理人たちの間でもてはやされているという。私は最初、食材に油をしみ込ませることなく揚げができるという点に注目したが、それならば従来からある他の調理工程との差が着きにくいということで、揚げにはあまり使われていない。

 お薦めは、これを使って魚介を巾着絞りのように包み、それを鉄板の上にいくつも並べてアクアパッツァを作るといった使い方だ。食材が泡を立てながら透明な袋を丸く膨らませ、その中でうまい料理ができる様子を、立食パーティなどで見せるというのだ。

 ヨーロッパの料理人は、この“見える”という点にこの新素材の魅力を感じている。ところが、日本では日本料理はもちろん、フレンチやイタリアンの料理人も、その点にはあまり積極的になれないようで、販売サイドではそこをどうクリアするかに、目下知恵を絞っているという。

 それを聞いて、日本とヨーロッパとで、料理に対する考え方が全く違うようだと、改めて気付かされた。

 歴史的な証拠があっての話かどうかは分からないが、ヨーロッパでは、料理人という職業は錬金術師の系譜に連なるという説明を聞いたことがある。

 錬金術は、神が創った神秘に迫ろうというという衝動の実践で、元々は宗教的あるいは哲学的なものだった。彼らの多くは、ある物質をその物質たらしめている“精”(エリクサー)を得れば、別な物質をもその精による完全な物質に変えられると信じた。そして、その方法として、いろいろなものを混ぜたり、温めたり、冷やしたり、加圧したり、減圧したりといったことを行い、そのために様々な器具も開発した。その中で見出された方法や知見が、今日の化学の母体となったという。

 ヨーロッパの料理人が彼らの末裔であり、化学者とは親戚筋に当たると考えた上で、厨房でのシェフと部下たちの行動を観察すると、特別な感興が湧いてくる。様々な器具と方法を動員して、彼らは食材の“精”を引き出し、操ろうとしているのだ。そして、例えばガストロバックの機構やカルタ・ファタの巾着には、その面白みを増す演出効果がある。

 翻って、日本の料理人はどこから来たのか。料理人の先祖として特定の職業を考えることは難しい。ただ、多くの日本の料理に、呪術や宗教的な儀式の形跡を見出すことができる。

 例えば、日本では米には稲霊(イナダマ)という霊魂(タマ)が含まれると考えられた。そこで米を精白し、米粒や米粉や搗いた米の固まりを丸くするなど、ある形に整えると、それが稲霊そのものとなり、固定できる。それがおむすび(結びは霊魂を固定するための呪術の一つ)であったり、シトギ、団子、丸餅であったりするのだ。

 あるいは、魚という食材から“本質”を引き出すには、しかるべき手順で、しかるべき形に切ってお造りにする。焼くのであれば、その魚らしい形によく整えて焼く。野菜もしかり。

 また、いろいろな食べ物を、青々とした木の葉に載せたり、木の葉で包んだりする。桜餅や柏餅の類、柿の葉寿司のような寿司の類がそれだ。木の葉は、単なる食器や包装材料ではなく、青い葉が持つ生命力を写し取るために用いる。

 祭りでは、そのように調製した食べ物を、最初に神前に供え、後でそれを下ろして、共同体のメンバーが神と同じものを口にする(直会/ナオライ)。

 日本の料理も、ヨーロッパの料理と同じように、対象の真髄(タマあるいはエリクサー)を求めるといった宗教的、哲学的な背景があるとは言え、実際にやることは逆に向かった。日本では、ヨーロッパのように、あまりいろいろなものを混ぜることはせず、むしろ対象の純度を上げたり、切り分けていこうとする。そのための刃物は発達したが、大仕掛けな機器は発想さえせずに来た。生きた樹木から得たのではない、“生命力”を感じさせない樹脂のラップで包むことも、呪術的なメリットがないため、技術力はあっても作ろうとしなかったし、それを使った料理もなかなかありがたいものに見えて来ない。

 日本人のこうした感覚は、神道によるものというよりも、それ以前のもっと原始的な野生の思考で、ほかの国々の宗教のようにはしっかりと体系化されていない。だから、近代的な目では甚だとらえにくい。ところが、これを無視してかかろうとすると、ものが売りにくい。それは、近代的、合理的なものの考え方が一般化するよりも先に、消費文化が発達したこの国ならではの難しさなのかも知れない。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →