有望に見える栄養週期農法が受け容れられない理由は

栄養週期農法によるトマトを示す石塚達之輔氏。6月29日、茨城県下館市にて
栄養週期農法によるトマトを示す石塚達之輔氏。6月29日、茨城県下館市にて

栄養週期農法によるトマトを示す石塚達之輔氏。6月29日、茨城県下館市にて
栄養週期農法によるトマトを示す石塚達之輔氏。6月29日、茨城県下館市にて

ナシやブドウが店頭をにぎわす時期となってきた。ブドウで人気があるものの一つに「巨峰」があるが、この名称は実は日本巨峰会(東京都杉並区、大井上静一代表取締役)という株式会社の登録商標であって、品種名は石原センテであるということは、意外と知られていない。

 日本巨峰会は、無許可で石原センテに「巨峰」の名を付けて売る“海賊版”の出荷が後を絶たないことに頭を痛めている。同社が恐れているのは、ロイヤルティー収入などの目先の問題よりも、むしろ品質基準が守られていない「巨峰」の氾濫によって招かれ得る「巨峰」というブランドの低下、崩壊の方だ。

「巨峰」の高い品質は、単に石原センテというユニークな品種の特質のみに由来するのではなく、ある栽培法によって実現する――それが日本巨峰会の考え方だ。同社は株式会社の形は取りながら、実際にはその栽培法の普及のための会員組織としての性格が強い。

 彼らが実践する栽培法は、「栄養週期」(略称「栄週」)と呼ばれる。石原センテを育成した農学博士大井上康氏が、植物の観察と実践の中から発見し体系化した方法で、戦時中に発表した。対象作物はブドウに限らず、イネ、ムギから各種野菜、果物まで広い。

 茨城県下館市の農家で若い頃から栄養週期を実践し、現在は日本巨峰会取締役でもある石塚達之輔氏は、「戦後の肥料が手に入らない時期、少ない肥料で増収できる非常にありがたい知恵だった」と述懐する。その栄養週期の考え方を一言で言えば、植物の生長をいくつかのステージに分け、そのそれぞれのステージで最も必要とされる養分を適期に与えるというもの。逆に、その時期に不要な養分は与えない。いわばジャスト・イン・タイム、施肥のカンバン方式だ。

 これにより、植物が吸収しなかった養分の流亡を減らし、コスト削減と地下水汚濁などの環境負荷低減が可能になる。量によっては食味や健康への影響が懸念される硝酸態窒素含有量を上げたりということも避けられる。その上、植物は強く育ち、病気が出にくいという。茎葉、果実とも乾物重が上がり、組織が丈夫で日持ちが良い。ミネラルが多く、味の良さも特徴となる。

 実際の栽培では、苗を作る作物ならば密植して窒素を与えずに小さな苗を作る。移植(植え付け)後、植物が体を作る時期には窒素を与え、リン酸とカリは抑える。花芽分化を行う時期の初期にはタイミングを逃さずにリン酸を与え、次いでカリを与える。そして、果実を肥大させる時期にはカルシウムを与える。この他、各種微量栄養素についても、施用時期と量などが、多くの作物について体系化されている。

 人間でも他の動物でも、子供の頃と青年期と中高年とで、体が必要とする栄養分の種類や量は変わる。だから植物でも同じことがあるだろうと想像されるが、さて、この栄養週期理論、従来の農業界では無視され続けてきた。その半面、多くの作物で、生育の全過程で必要な全成分のほとんど(またはそれ以上)をあらかじめ土にくれてしまうような、無理・無駄の多い「元肥主義」とも言える方法が主流とされてきたのだ。

 理由はいくつか考えられる。まず、前述のような窒素、リン酸、カリ、あるいはカルシウムの与え方や時期が、従来伝えられてきた方法からすると突飛に見えたということがある。また、“小さな苗”というものに抵抗を感じる農家も少なくない。

 さらに、何と言っても手間と時間がかかる。栄養週期を実践するためには、作物の生長を端でじっと観察していなければならない。例えば、本業たる会社勤めに忙しい兼業農家に向く方法とは言えない。

 行政や農業関係団体、メーカー等にも、栄養週期を推奨せねばならないような理由は全くなかった。肥料の効率が上がったり病気に強くなったりしては、化学工業の振興にならないし、農協はじめ肥料・農薬を扱う店にとっても嬉しい話とは言えない。

 しかし現在、多数の兼業農家による農業から、少数のプロが活躍する農業へと時代は変わって来ている。海外産地との競争力を身に着けるために営農コストの削減が必要だと、行政も言うようになってきた。だから、栄養週期が見直されるべき時期は来ているのだ。

 ただし、メジャーでなかった以上、これまでに栄養週期が大学などの研究機関で取り上げられた例は多くない。このため、他の理論・方法に比べれば、第三者の目は行き届いているとは言えない。また、理論の誕生から50年以上が経過し、この間に発表された他の新しい研究成果や新しい検査方法によって、当初の理論が十分に更新されているとも言えない。

 だが、栄養週期理論に対する新たな厳しいチェック、適切な改良を待っているのは、むしろ故大井上博士自身だろう。修善寺の彼の研究所跡にある碑文にはこう書かれている――「何よりもたしかなものは事実である」。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →