急速に発展する国々が集まるASEAN、その中でもとりわけ期待されている国がインドネシアです。商業では2億4000万人でさらに増え続ける人口と経済の発展が注目されていますが、農業生産では数えることが困難なほどある島々が今後の可能性を秘めていると言えます。
施肥の概念があることの重要性
筆者が最初に訪れたのは2012年6月末でしたが、想像以上に未だ途上段階の国という印象を受けました。と言うのは、筆者が相当に奥深い農村にばかり行っているからということもあるのでしょうけれども、このところの発展が注目されている国とは言え、人々の生活は未だ前近代的です。
農村では働くことのない若い男性が昼間からのんびりした生活と言うのか、時間をつぶしています。そして注目の畑や田んぼの作業風景は、実に悠長なものです。
ただし、東南アジアの水田によく見られる肥料の気配すらないような状態は見つけることができませんでした。イネの葉の色は濃いです。つまり、施肥は行われているのです。
この施肥の概念があるかないかということは、開発途上国の農業の近代化の成否を考える上で、重要な判定基準となります。施肥を行うという考えそのものがない国では、施肥以外の農業技術も受け容れられないものです。
肥料を与えることで、そのときは葉の緑色が濃くなりますが、それはすぐに増収に結び付くようには受け取られないので、高い肥料を買って与えるということを行わないのです。それよりも、何も与えないで、それだけで出来ただけのものを穫る方が得だと判断するわけです。
実は、日本でも収穫物の価格が下がったときに同じ現象を起こすものです。得にならないことはやらないというのは、やはり世界共通です。それでも、やはり日本でも採算が合えば当然施肥を行います。
ところが、施肥の概念のない開発途上国では、このことを理解してもらうだけでも、多くのエネルギーを必要とします。
農作業を楽に早く行う農業機械が有効なものだということは、実演すればわかります。殺虫剤は使えば実際に害虫がいなくなるのがわかるので、その有効性も伝わります。
一方、肥料は葉が緑色を濃くしても、それが何の意味を持ち、どういう結果になるか、何が向上するのかということを理解することは難しいのです。
以前、ミャンマーの農業について書きましたが、10年前に筆者がミャンマーを訪ねたときには施肥の概念がありませんでした。これが今は施肥を考えるようになっているとしたら、それはたいへんな成長です。
水稲作は急速に発展する
さて話は戻りまして、インドネシアの農業です。
人々の生活はのんびりと書きましたが、インドネシアの水田は、ヒト・モノ・カネを集中する集約的な農業と言えます。今後、ここが急成長するための次の要因はイネ品種の改善ということになるでしょう。
そして品種の概念が変われば、それにつれて収穫・調製のやり方も改善されていくのが通例です。この流れは、人間の思考回路がそうなっているという、農業技術の進歩の法則のようなものだと考えておいてください。
つまり筆者は、インドネシアの水田稲作はこれから速やかにに技術改善が行われ、収穫量と品質がよくなっていくという予測を立てています。
次に畑ですが、これはその都度お金になりそうなものを作付けているので、年によって作るものの種類と量が変わっている状況です。したがって、その作物をよく理解してから作付けているという場合とは、少し様子が異なります。このあたりも、インドネシアの第一次産業の特徴と言えます。
そんなパターンで畑は動いていきますが、今年あたりはトウモロコシが高騰しているので、おそらくその作付が増加するでしょう。
また、インドネシアの畑は、水田に比べて場所による収量の差がたいへん大きくなっています。次回はその理由についてお話します。