中国の土はその土色で大きく4種類に分けられます。南の赤い土、揚子江流域から山東半島の黄色い土、北京郊外から長春あたりにかけてのオリーブ色の土、そしてチチハルから内モンゴルに分布する黒い土という具合です。この分類は実はかなり古い中国の土壌研究の文献にも登場しています。
ゴビ砂漠から飛んできた微細な粒子
今回は、この中から北京郊外から東北部に分布するオリーブ色の土について話をしていきます。
この土は色がオリーブと記しましたが、オリーブよりもう少し灰色が混じった色のものもあります。山東半島にある鮮明さのある黄色とは全く違う色であることがポイントです。
日本人のこの土とのかかわりは、戦前の満州進出に始まります。満蒙開拓そして終戦という日本と中国の暗い時代の舞台になった土地でもあり、テレビドラマなどでご覧になった方も多いでしょう。また近年この地に仕事や観光で訪れた方も多いのではないかと思います。筆者もその一人です。
この土を最初に触ったときの感触は、今でも明瞭に覚えています。それはたいへんに土の粒子が細かく、その粒子がある一定の大きさでそろっています。
この種の土が中国の広大な面積に存在する原因がどのようであるか、筆者にはしばらくわかりませんでしたが、その答えは単純なものでした。それは、この地の西に位置するゴビ砂漠から、風によって運ばれてきた細かな土の粒であったということです。
風によって運ばれるゴビ砂漠の土は、日本でも「黄砂」という春先の風物詩となっているものです。これが中国の東北部を中心に長年降り積もった結果が、その地域の微細で粒のそろった土の正体なのです。
海底で形成される土壌の粒子はさらに微細になる
あまりにも粒径がそろっているので、筆者は最初、海底に沈んだ細かな粒子の土が隆起によって現れたものかとも思いましたが、それにしては分布域がある時代に海であった場所とは違っていたり、あまりにも大陸の内陸までその分布域が入り込んだりしているため、自分自身もこれでは説明がつかないと感じていました。
それがゴビ砂漠から運ばれてきた土の粒子が成因と気付いたヒントは、日本の鳥取砂丘でした。鳥取砂丘が出来たのは、山陰の海岸線の砂が風によってあの場所に集められたことか原因だということです。
もちろんこんな風に自分でいろいろ考えなくても、学術書に当たるなり、学者さんに聞くなりすればわかることでしょうけれども、それをわかるまで自分で考えることが面白さであると思うのです。
ちなみに、この灰緑色の微細な土の出来方が、かつてそこが海の時代があり、その海底に沈んだ細かな粘土や砂の粒子が集まって堆積してできたのだろうという見方は、筆者がこの土の粒子に出会ってから3年ほどは、頭から離れなかったのです。その背景には、秋田県大潟村の水田土壌の記憶があります。
大潟村にもある細かな粒子の土は、八郎潟が干拓によって大半が陸地化される前の汽水であった時代に、湖水に沈んでいた粘土に由来します。海水の中では、淡水よりもさらに細かな粘土が互いにくっつき合って沈むのです。こうした例は各地の干拓地にも見られるものです。
この場合は、中国のこの微細な土よりもさらに細かな粒子の土になります。そのことも、この土壌の成因が海ではないはずと気付くきっかけになりました。
さて、次回はこの土壌の利用についてお話しましょう。