これまで見てきたそれぞれの土壌の性質をまとめて、全国的な視点を持ちながらおさらいをします。日本の土壌が実は優良な性質を持ったものではないことが明らかとなり、抜本的な対策が打たれるようになったのは戦後のことです。まず、何がわかったのかを見ていきます。
GHQが明らかにした日本の土壌の実態
今年9月~10月にかけて、NHKが「負けて、勝つ ~戦後を創った男・吉田茂」というドラマを放映しました。このドラマには、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)民政局局長のコートニー・ホイットニー (Courtney Whitney)という人がたびたび出てきました。たいていの人は、日本国憲法の草案作成を指揮した人という印象を持っているでしょう。
実は、この人が民政局で行ったことには、日本の農業の現場に大きな影響を与えた事業もあります。このホイットニーこそが、我が国の土壌の欠点をいち早く見抜いた人物と言ってもいいでしょう。
これまでにも何度か述べたように、日本の畑は水田と違って農業生産上とても不利なものです。なぜかと言えば、日本の土はそもそもやせきった土だということです。川などからの水によって圃場に栄養と酸素を供給する水田の場合は、この欠点を見事にカバーすることができますが、畑ではそうはいきません。だから、日本には諸外国のように広大な畑作地帯というものはなかったのです。
太平洋戦争の後、GHQは日本で最初の土壌調査を行いました。そして、彼らはこのやせ加減を知って腰を抜かすほど驚いたのです。日本の田畑しか知らない農家は、出来がよくても悪くても「こんなものだ」と思うほかなかったわけですが、この土壌調査によって、日本の土が世界の基準で判定されたことは歴史的にも意味深いものです。
主たる平野の土はやせ土だった
火山灰土
彼らがまず驚いたのは、我が国特有の火山灰土です。これは一見真っ黒でとても肥えた土のように見えます。ところが、実際にはとんでもないやせ土であることは黒ボク土のところ(第71回~)で話ました。
そのやせ土が、日本の主たる平野に広がっているというイメージを持ってください。とくに関東平野はその典型です。かつて当時世界随一の巨大都市であった江戸の多くの人口を養う位置づけにあった関東平野は、地形こそよい条件をもっていましたが、その土壌条件は劣悪でした。農民がいくら苦労して肥をやっても、何もできない土だったのです。せいぜいオカボができるぐらいで、野菜などは種が発芽することはしますが、子葉が出て、本葉が2~3枚出るくらいで枯れてしまうのです。
この現象は、アルミニウムが強烈に溶け出すことが原因でした。どんな土にも、多くの割合でアルミニウムは含まれています。しかし、それが土壌溶液に溶け出すことがなければ作物は育ちます。ところが、日本の火山灰土は雨と温度の影響で風化が進んでいることから、石灰やマグネシウムが大幅に減少したことから酸性に傾き、アルミニウムが溶け出してしまうわけです。
もちろん、こうした傾向は日本の火山灰土以外の土でも見られるものですが、一般にその程度は小さいのです。
宅地化で失われた優良な圃場
多様な地形と河川の働き
日本列島の土の特徴は、やせた火山灰土が多いというだけではありません。その他の特徴について整理していきましょう。
もう一つの特徴は、複雑な地形、随所に中小の河川があることによる影響、植生、それらに対して時代ごとにさまざまな人が開墾という働きかけを行った結果など、実に多様な土壌や圃場がモザイク的に存在するという点です。この複雑さは、土地ごとの特産物が生まれる背景にもなっています。
まず河川は、大陸のものとは全く異なるものです。日本の河川は急峻な地形を海に向けて一気に落ちていくイメージのものです。このおかげで、日本の河川の周囲には、礫、小砂利、砂、粘土などさまざまな大きさの粒子が運ばれ、特殊な沖積土を作っています。このため、土壌自体の善し悪しはあるにせよ、水田としても畑としても優秀な機能をもった圃場を残すことになりました。
しかし、そういった場所は地の利がよいことから宅地開発の格好の的となり、現在はその多くが失われました。