前回まで、7つの栽培現場ごとの事情を見てきました。今回からは、植物に栄養を与えることの意味、効果について考えていきます。
ただ取る段階から育種・栽培の工夫へ
普段、我々は植物などから栄養を受けていますが、それとは逆に、人が植物に栄養を与えるということが一体どういうことなのかというところから話を始めたいと思います。
太古の人類の植物との付き合い方は、自然に生えたもの実ったものを取ってくるというだけでした。狩猟採集時代です。
その後、後にコムギやトウモロコシやトマトなどになる、今日の作物の先祖の種子を土に埋めて育てるということを始めました。種子の発見があったわけです。こうすると、一つひとつは小さな実りでも何とか収穫は増えます。
そのとき、我々の祖先たちは、その収穫を増やすには何をすればよいか考え始め、そのために多くの時間を費やしたのでしょう。
これは私の想像ですが、最も最初にやってみたことは、たくさん植え込むことだったのではないでしょうか。しかしそれも限界があります。たとえば、その増収以上に人手を要することです。
次には、水を掛け与えることでより収穫が増えることを学ぶことになったのではないでしょうか。
また、同じ種類の作物でも、収穫量が多いものと少ないものとがあるということを見つけたのではないでしょうか。そして、収穫量の多い株の種子を残すことを覚えていったでしょう。
こうして、実るものをそのまま受け入れるという原初の段階から、植え方を工夫したり、より収穫量の多いものを選抜したりということを学習する時点までは、相当な道のりであったと想像されます。
耕す段階。そして何かを与えることの発見
そして、同じ場所で栽培を繰り返すことの難しさに気付き、それの克服への挑戦を始めたでしょう。おそらく、土地を耕すという重労働が発明されたのはこの段階のことでしょう。いずれにせよ、この発明もすごいことです。
私自身、今の時代にあっても人はなぜ耕すのか不思議に思うことがしばしばです。私の農業は時間のない中での農業なので、実は省くところは畑の耕うんです。それでも何とかそれなりの量を収穫できれば、「それみろよ」と思うようなずるい気持ちで過ごしています。
このずるをすることなくやり続けた先人たちはたいへんなものです。機械も精巧な道具もない時代に手抜きをせずに重労働を続けたのですから、その背景にはどうしてもそうしなければならないと考える経験則があったはずです。
とにかく、こうして同じ作物はやり方で毎年取れる量に差があることを知ったことが、その次に進む原動力になりました。
その次というのは、収穫量を勘定する前の段階に関心を持つことです。つまり、同じ作物でも場所ややり方で大きな姿になったり、小さな姿になったりすることです。
人類は最初その違いが何によるのかには気付きませんでした。種子を土に埋めて水をやり、日が差していれば作物は育つものと考えていたでしょう。まして、作物にも、いや植物にも、動物と同様にエサのようなものが必要と考え付くことは、私たちの祖先にはできなかったはずです。
この壁を破ったのが、第2回で紹介した、ドイツの化学者のリービッヒ(1803~73)だったのです。