(1) | 育苗培土(野菜苗を中心に) |
(2) | 固形培地によるハウス栽培 |
(3) | ハウスでの地床栽培 |
(4) | 露地畑 |
(5) | 水田での水稲 |
(6) | 水田からの転作 |
(7) | 海外での農業 |
農業生産を行う現場を7つに分類し、それぞれについて、土のあり方と栽培の実際について説明している。今回から水田を畑として使う場合について説明する。最初に、減反政策を振り返る。
突然のバックギア/減反政策
「裏作」とか「二毛作」とかという言葉を、小学校の社会科で教わったと思います。しかし、私はこれがなんだかよくわかりませんでした。今回はそれにまつわるお話です。つまり、田んぼをイネ以外の栽培に使う話です。
「水田でイネ以外のものを作りましょう」というのは、1972年ぐらいからの減反政策スタートから今日まで続いていることです。
これは早い話が「米退治農政」ですが、お上が米を退治しろと言うのですから、逆に言えば米以外が出来る田んぼを持てるということです。しかし「どうやっても米しかできない。イネという植物以外は無理です」という田んぼは用がないということです。
これは日本の農業にとっては大事件でした。それまで、機械化を含めて稲作技術の近代化を進め、水田の区画整理・圃場均平化事業を進め、八郎潟を干拓して広大な水田を出現させと、何もかもが米増産のストーリーで動いてきました。ところが、ある日突然バックギアですから、農家はパニックを起こし、今でも怒っている人は少なくありません。
メジャー産業の変化は歴史の必然
しかし考えてみれば、こうした政策の大転換は他の産業でもしばしば起こることです。戦前までは養蚕と製糸は日本の基幹産業の一つでしたが、今は見る影もありません。その後は化学繊維の時代になったわけですが、それさえも今は海外に相当シフトしています。
ほかにもあります。高度成長期のころまで、日本に石炭を掘ることだけで生きてきた人々がどれだけいたか。近くは、CDへの転換でレコード針が全く売れなくなり、トップメーカーのナガオカは業種転換しましたが、今はそのCDさえ不要の時代になりつつあります。デジカメの普及でフィルムメーカーも業種転換を迫られ、街からは「DPE」の看板はなくなりました。
時代が変わるのは必然です。いつまでも同じ商売が成り立つわけではありません。そうした転換に先んじて自分を変えていかないといけないということは、普通のビジネスパーソンは皆知っています。
ところが、米を全量農協出ししていた農家という、世間の情報から隔離された集団には、そういった変化を感知できなかったのです。
水稲栽培と転作の損得
とは言え、米余り時代に対応してとにかくこの政策を推進するために、農家には転作奨励金なる“飴”が与えられることになりました。
ちなみに平成23(2011)年度は水田にイネを作らないで、ムギ、ダイズ、飼料作物を作付けると10a当たり3万5000円が、米粉用米、飼料用米を作付ける同8万0000円が交付されます。これが今の実態です。
ではイネだけつくる人の経営収支はどうでしょうか。たとえば筆者の例を挙げてみます。
筆者は60aの水田を栽培管理しています。2011年9月15日に収穫作業を行い、51俵(3060kg)の収穫がありました。このうち自家消費が6表ですので、45俵(2700kg)を販売するわけです。今回は1万6000円/1俵(60kg)で売りましたから、72万円の売り上げでした。
そのための経費はどうだったでしょう。