これまで土がどんな物質か、どのようなプロセスで出来て、どのようなもので成り立っているかといったことを説明してきました。今回からは、そのように出来ている土が、どのような働きをするかといった説明をしていきます。
注目されなかった土壌学の変化
さて、学校の授業で、地学の時間に眠っていた人は多かったのではないでしょうか。地学の先生には申し訳ないですが、人間やはり興味のないものには真剣にならないもので、受験であまり威力を発揮しなさそうとか、就職してもあまり使いそうにない話だとか思えば、そんな不真面目な態度となるのもいたしかたないかもしれません。
ところが、ものごとに真剣になれるかどうかは、つながっていくものによりけりということもまた、社会人の特徴です。
長年仕事をしていると、周囲から求められることが変わってくるものです。「以前はそんなことは言わなかったお客さんが、最近は当然のように言うよね」とか、「昔は細かく求められたことが、今はそれほど言われなくなってしまった」とかのことが、たくさんあるはずです。
こうした職業環境の変化は、農業でもたくさん感じることです。
筆者が大学を卒業して農業に就いたころは農薬散布に関する規制はゆるく、「いつまでに何を散布し終えることは必須」とということはありませんでした。ましてや、肥料の施用量が制限されるなど、全くなかったのです。それが、ここ最近は「環境ありき」の現場です。土壌に対する世の中の関心も、そんな変化の最中にあります。
土壌学の現場での活用はこれから
土壌は「近くて遠い分野」とよく言われます。これは、多くの学問がそうであるように、一部の学者さんの世界になってしまっているためです。これからご紹介する土壌化学も、その典型です。
というのも、土壌化学が相手にするものは、肉眼で見えないということがまずあります。加えて、昔から繰り返し行われてきた農作業で、土壌化学の理屈が求められる場面は少なかったということもあります。
しかしやはり時代は変化しています。最近は「土壌分析の結果が出たが、それに対してどうすればいいのか」、あるいは「最近作柄が悪いが、土壌分析してみるべきか」など、筆者のところにも多くの質問が寄せられています。
土壌分析の肝は、土の化学的性質を調べるものですが、これが農業生産現場であまり理解され、活用されているとは言えません。生産者が土の健全な状態ということがわかっていない。いわんや、その先で食を扱う人、加工する人、調理して提供する人も理解ができていない。
土が食の源であると考えれば、これは重大な問題です。というのは、畑の土こそが食の源であり、その状態こそが品質を左右するものです。その質を上げるために、土を調べる、その一貫として土壌化学分析を行うというのは、本来当然の仕事のはずです。
それが行われていないとなると、圃場からお客の口の中までの一連の流れは、その意味を持っているのだろうかと疑問に感じることもしばしばです。
イヌには毎日餌をやるが……
さて、土の化学性を調べるためには、まず化学性のメカニズムを知る必要があります。その化学性に興味を持ってもらえそうな現象を、最初に紹介します。
それは「元肥(もとごえ)の不思議」ということです。
元肥という言葉はなじみが薄いとなれば、プランターに植物を植える前に施す肥料のことですが、いかがでしょう。
イヌを飼う人は、毎日餌を与えます。「当たり前だ」と言われるかもしれませんが、そこが大切です。イヌには、一度にたくさんの餌を与えるなどということはしないものです。では、鉢植えの植物はどうでしょう。プランターで植物を育てる場合は、一度にある程度の肥料を与えてしまいます。それでも全く問題は起こりません。
あまり疑問に感じたことはないかもしれませんが、よく考えてみると不思議なことです。植物は一度に何日分もの栄養を与えても何の問題も起きないかというと、実はそうではないのです。それなのに、なぜそのような肥料の与え方をしても問題が起こらないのでしょうか。
実は、土がたくさんの栄養をいったん蓄えておく役割をしているからです。まずこの仕組みを紐解いてみましょう。
秘密は土のコロイドにある
連載の始めに、泥水遊びの話をしましたが、また子供のころのことを思い出してみてください。泥水をかき混ぜて、それを静かに置いておくと、大きな粒から順番に下に沈みます。最初に砂粒のようなものが沈み、それより小さな土の粒も、徐々に沈んで底のほうにたまっていきます。水面には木くずとか、葉っぱとかが浮きます。
ところが、水はやがて濁りがなくなって透明になるかというと、なかなかそうはなりません。ここがポイントです。
この濁りは、ある一定の大きさの土の粒子が、浮くこともなく沈むこともなく、水中に漂っているのです。これは、化学では分散という現象です。この状態になるのは、漂っている土の粒が特別の大きさだからです。どのくらいの大きさかというと、1万分の1mmから100万分の5mm程度のものです。
このような、ある一定の大きさの土の粒を土壌学では「土のコロイド」と呼びます。
土のコロイドには、小さいという以外にも特徴があります。というのは、土のコロイドは、全体として負(-)の電荷を帯びているのです。
負(-)の電荷を帯びていることは、農業ではどのような意味を持つでしょうか。実は、われわれが肥料として土に入れる無機栄養の多くは、正(+)の電荷を持った小さな粒なのです。化学が好きだった人はすぐに、「それは陽イオンだ」とわかるでしょう。その通りです。
この正(+)の電荷をもった粒が、負(-)の電荷をもった土のコロイドに、電気的に一時吸着されるのです。
このようなことが起こるため、プランターに一度にたくさんの肥料を入れても、そこに土があれば、土が普通預金のごとく一時預かりをしてくれるのです。したがって、日本の農業では当然のように行われている元肥というやり方が成り立つわけです。
このメカニズムによって、一度土に吸着された肥料はその植物の求める状況によって少しづつそのコロイドから離れて、植物の根に吸収利用されます。
ただし、この仕組みにも量の限界はあります。ですから、すべて元肥で与えることができる場合もあれば、元肥としては少ししか与えることができず、その後は植物の生長に合わせて少しづつ与える追肥を行うという場合もあります。
この土のコロイドが起こす現象が、土壌化学分析の基礎にもなります。次回、もう少し詳しくお話しましょう。