農村で「TPP参加に賛成」と言っても、書いても、その意見はなかったことにされてしまうと嘆く宮井氏。なぜTPPに賛成なのかの前に、今回の騒動から思い出したウルグアイラウンドのころのエピソードから披露してもらった。
とりあえず反対?
TPPの議論が白熱しているようだ。北海道でも農業関係機関はすべて“反対”のようである。反対する理由もわからないわけではないが、とりあえず反対するのが何か礼儀のように振る舞っているように見え、しかもその手法があまりにも幼稚に見える。
国会議事堂の前を、20馬力の芝刈り機のような重量1t程度のトラクタ数台で小農行列をしたところで何の問題解決になるのだろうか。私の国内最大クラスの285馬力で、重量が10tあるトラクタの方が威嚇できます、と言ったら参加させていただけるのであろうか。
不景気の最中に農業土木で町が沸いた思い出
ミニマム・アクセスとしてコメの輸入が決まった1993年のガット・ウルグアイラウンド騒動の時も同じような動きがあり、その結果、5兆円なにがしの予算が動いたことは農業関係者であれば誰でも知っている。これは個人的な感覚として気になるのだが、その5兆円のうち、どのくらいが生産者に行きわたったのかを検証できているだろうか?
私の場合は10万円/haが1回である。当時の面積が55haだったから550万円であった。現在もし、同様のことがあれば1100万円の収入になる。
たぶん現実には間接的にもっと多くの予算が我々農業生産者に使われたことは間違いないが、多くは農業土木や当時の農協関係などの施設への予算配分だと感じることが多い。時はバブル経済が終焉を迎え、国内景気がしぼみ、その影響がすでに地方に及んでいた時期である。
ただ千歳飛行場の北隣の、私が住む長沼町の場合は少し様子が違っていた。自動車、半導体などのハイテク工場があるわけでもない普通の農業地帯である。そこに「不景気対策だ!」とやってきた援軍は、国債と先ほどのガット・ウルグアイラウンドの5兆円を活用した農業土木である。
世の中がバブル経済だった1980年台後半に、この長沼町でその景気を感じ取ることはなかったし、羽振りのいい奴なんて存在しなかった。だが、世の中に不景気の風が襲っていた1993年ころの長沼は農業土木で潤っていたと言っても過言ではないだろう。碁盤の目に整備されている道路のどこを走ってもブルドーザやバックホーなどの農業関連の重機がいたるところで目に入るのが当たり前であった。今ではその仕事を請け負っていた会社の多くは廃業になり、重機の多くはロシア、中国、ベトナムに転売されていったようだ。
あの夢をもう一度?
今回のTPPに反対するのはJAなどの農業団体ばかりではない。農地整備、水田の水や用水を管理する土地改良区(※)の意気込みはすごい。理由は簡単である。水の管理ばかりでは金回りがよくなるわけもなく、「1993年当時の夢よ、もう一度」と言うことなのだろう。
一つの地域の基盤整備事業(農地整備)には数億~10億円のお金が必要で、それが数年から10年程度継続される。その結果、土木会社、重機会社、燃料店、雑貨店、金物店、もともと労働意欲が少ない農業生産者のアルバイト先などの雇用があるのだから、小さな経済集落としての繁栄を無視できないのだろう。また、その予算の数%のおこぼれを頂戴しようとする、いやらしい輩がふって湧いて出てきてもおかしくはないだろう。
(続きは11月8日掲載です)
※土地改良区:土地改良法により、地域の土地改良事業を行うために設立される法人。