ダリが分子料理に出会ったら

337 「美食家ダリのレストラン」から

シュールレアリスムの代表的画家、サルバドール・ダリ(1904—1989)と分子料理で世界の話題をさらった「エル・ブリ」のフェラン・アドリア(1962—)が、もしも同じ時代に活躍していたら……。今回紹介する「美食家ダリのレストラン」は、そんな妄想を出発点としたフィクションである。

 イベリア半島の地中海側の付け根、フランスと国境を接したスペインのカタルーニャ州ジローナ県。ジローナ県は、サルバドール・ダリの出身地であり、「エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン」(2011、本連載第42回参照)で描かれた三つ星レストラン「エル・ブリ」があった地域である(「エル・ブリ」は2011年に閉店)。

 映画は1974年のカタルーニャ州都バルセロナから始まる。

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

ダリとフェラン両方のドキュメンタリーを手掛けた監督

 第二次世界大戦前から続くフランコ独裁政権が、フランコの死で終焉を迎える前年、高級フレンチレストランの料理人アルベルト(ポル・ロペス)は、民主化を求めるデモに参加して、ある事件に関与してしまう。官憲の追及を避けるため、アルベルトは同じレストランのスーシェフを務める兄フェルナンド(イバン・マサゲ)と共にバルセロナを離れる。

 行先は、民主化運動の指導者フランソワ(ニコラ・カザレ)の恋人ロラ(クララ・ポンソ)の住むカダケス。カタルーニャ州からフランス国境まで続く地中海沿いの「コスタ・ブラバ海岸」を代表するリゾート地である。北部のポルト・リガトには、ダリと妻のガラ(ビッキー・ペニャ)が晩年を過ごした「卵の家」があり、湾の反対側には、ロラの父でダリの熱狂的ファンであるジュールズ(ジョゼ・ガルシア)が経営するレストラン「シュルレアル」があるという設定だ。

 ジュールズは、店をダリの作品のレプリカで埋め尽くし、いつかダリに来店してもらおうという夢がある。ダリのエージェント兼マネージャーでもあるガラと交渉したり、卵の家や湾内を周遊するダリの船に店のブイヤベースを届けようとしたりするが、ガラから来店の見返りに法外な金銭を要求され、ジュールズの夢はかなわずにいる。

 フェルナンドとアルベルトの兄弟は、ロラとフランソワの口添えで「シュルレアル」の厨房で働きながら潜伏するつもりだったが、バルセロナのレストランで鍛えた腕がジュールズに認められ、ダリへの“推し活”に巻き込まれていくというのが、本作の大まかなストーリーである。

 本作のダビッド・プジョル監督は、「エル・ブリ」が1963年にシリング一家によって開店し、1984年にフェラン・アドリアが入店して運命が変わっていくまでを描いたTVドキュメンタリーシリーズ「El Bulli: historia de un sueño」(2010)と、ダリに関するドキュメンタリー3作(「Dalí Pitxot. L’al·legoria de la memòria」(2014)、「Dali’s Last Masterpiece」(2015)、「Salvador Dalí: In Search of Immortality」(2018))を手がけており、ドキュメンタリー製作を通じて得た豊富な知識をもとに本作の脚本を構想・執筆している。

 フェルナンドのモデルは、「エル・ブリ」のオーナーシェフだったフェラン・アドリア。フェルナンドはカタルーニャ語読みでフェランになるという。アルベルトのモデルは、フェラン・アドリアの弟で「エル・ブリ」のヘッドパティシエを務めたアルベルト・アドリアだろう。

 ダリの他にローリング・ストーンズやデヴィッド・ボウイもこよなく愛するジュールズは、「エル・ブリ」の共同経営者だったジュリ・ソレールがモデル。ダリ役の俳優は後ろ姿だけで正面を向いたカットはないが、特徴的な髪形、服装、ステッキなどで「ウェルカム・トゥ・ダリ」(2023)でベン・キングズレーが演じたような晩年のダリを彷彿とさせる印象的な登場になっている。

 料理監修は、「エル・ブリ」の元料理長エドゥアルド・ボッシュ。この人選はフェラン・アドリアからの提案だという。本作に登場する料理には、「エル・ブリ」全盛期のメニューが多数含まれている。

混沌からの独立

 兄弟が「シュルレアル」の厨房に下働きで入ったとき、料理長はフランス人のジャンが務めていたが、味の方はいまいち。ジャンは前任者たちと同様に、ダリばかり追いかけるジュールズのやり方についていけず、ほどなく「シュルレアル」を去る。ジュールズは、付け合わせの盛り付けなどに才能を示していたフェルナンドを次の料理長に指名する。

 フェルナンドが料理長に就任してまずしたことは、厨房の整理整頓。ダリの影響で混沌(カオス)をよしとするジュールズとは一線を画し、ダリを呼べるだけの一流の料理を提供することを条件に厨房の独立性を確保する。そして、高級フレンチレストランで得た経験をまとめたノートをもとに、「シュルレアル」の料理を改革していく。

 そんなとき、アルベルトのバルセロナでのやらかしがジュールズに発覚。ジュールズは兄弟を即刻クビにするが、フェルナンドが厨房に残したブイヤベースの味を見てクビを撤回。利益の15%を渡すという好条件で店に呼び戻す。ダリを店に呼ぶためであることは言うまでもない。

 国境近くの町ということもあり、映画の中での言語はスペイン語とカタルーニャ語とフランス語が混在している。ジュールズとロラとフランソワが、兄弟に聞かれたくない雇用条件をフランス語で協議するが、フランス語のわかるフェルナンドには筒抜けというシーンもある。

感じて考える

カダケスの新鮮な海産物と「エル・ブリ」の分子ガストロノミーが出会った逸品「ウニと白インゲン豆の泡仕立て」。
カダケスの新鮮な海産物と「エル・ブリ」の分子ガストロノミーが出会った逸品「ウニと白インゲン豆の泡仕立て」。

 ダイビングスクールに勤めるロラは、フェルナンドの料理がフレンチ一辺倒でカダケスで出す意味がないと異を唱え、カダケスで獲れた新鮮な海産物を鉄板焼きで供しているラファの屋台にフェルナンドを誘う。考えるよりも素材そのものうま味を感じろというラファに、感じて考えると答えるフェルナンド。この辺のガストロノミー思想が、料理の革新を目指すフェラン・アドリアと重なるところである。

 フェルナンドがロラとダイビングして店で使う海産物を調達し、浜辺で休憩していると、湾に浮かぶククルククという岩が目に留まる。この岩の形をヒントにして、フェルナンドが生み出した創作料理「キャロットエア」は、エア状のビーツやニンジンにココナッツミルクを添えたエスプーマの一皿で、料理評論家から高い評価を得る。これは先進的な料理とカダケスの風土が融合した成果の一つと言える。

 ジュールズのさまざまな工作も実を結び、いよいよダリから来店の予約が入るのだが……。

 なお、ダリのために用意されたメニューは以下の通りである。

  • チキンカレーのアイス
  • 燻製エスプーマ
  • ウニと白インゲンの泡仕立て
  • メロンのキャビア
  • トマトのグラニテとアーモンドミルクプリン

 本作は、カダケスの入江の地形を利用して、近景(こっち側)と遠景(向こう岸)を並行して移す画面構成を多用している。画面に奥行きが出るだけでなく、登場人物の心理描写や置かれている状況の描写にも効果を挙げている。

ダリと食ビジネス

 トリビアを少々。芸術家ダリは、意外にもいくつかのマスプロ商品との関わりを持っている。

  • ロラがいつもなめている「チュッパチャプス」。デイジーをあしらったロゴマークの原案はダリによる。
  • 「シュルレアル」のバーカウンターに置かれ、ジュールズが愛飲するシェリー・ブランデー「コンテ・デ・オズボーン」の陶製ボトルをデザインしたのもダリである。

エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン
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本連載第42回
https://www.foodwatch.jp/screenfoods0042
El Bulli: historia de un sueño
Amazonサイトへ→
Dali’s Last Masterpiece
https://vimeo.com/ondemand/dalislastmasterpiece
Salvador Dalí: In Search of Immortality
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ウェルカム・トゥ・ダリ
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【美食家ダリのレストラン】

公式サイト
https://dali-restaurant.com/
作品基本データ
原題:ESPERANDO A DALI
製作国:スペイン
製作年:2023年
公開年月日:2024年8月16日
上映時間:115分
製作会社:FishCorb Films, Arlong Productions, Constant Films
配給:ファインフィルムズ、コムストック・グループ
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督・脚本:ダビッド・プジョル
製作総指揮:ヒューゴ・グランバー、ティム・ハスラム、イヴァン・カレロ、ベアトリス・レヴィン、ロイド・レヴィン、イリーナ・アソノヴァ
製作:ダビド・オルティス、ロジャー・コルビ、ヤン・フィッシャー=ロマノフスキー
共同製作:ホセバ・ガルメンディア、アントニア・カサド
撮影:ロマン・マルティネス・デ・ブホ
美術:ライア・セラ
音楽:パスカル・コムラード
録音:シャビエル・マス
衣裳デザイン:アンナ・アギラ
メイクアップ:ローラ・ブルイ
キャスティング:ギゼラ・クレン、ミハエル・ラゲンス
料理監修:エドゥアルド・ボッシュ
キャスト
ジュールズ:ジョゼ・ガルシア
フェルナンド:イバン・マサゲ
アルベルト:ポル・ロペス
ロラ:クララ・ポンソ
フランソワ:ニコラ・カザレ
ルイス:アルベルト・ロサーノ
ガラ:ビッキー・ペニャ
ガリード中尉:パコ・トウス

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。