働き方改革の推進やハラスメント対策などで、近年の職場環境は表向きは改善が図られていると言われる。一方、時代の変化に応じて自らをアップデートできない“働きバチ”世代の人間がいるのもまた事実だ。
昨年の11月に100歳を迎えた直木賞作家、佐藤愛子が10年前に書いたベストセラーエッセイを、現在90歳の草笛光子を主演に迎えて映画化した「九十歳。何がめでたい」に登場する吉川真也(唐沢寿明)も、そんなアップデートできない“働きバチ”の一人である。
※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。
昭和気質の逆襲
大手出版社に勤める中年の敏腕編集者・吉川(モデルは原作を出版した小学館の担当編集者だという)は、部下への昭和
かつて指導した後輩の倉田(宮野真守)がデスクを務める女性誌「ライトセブン」に配属された吉川は、同僚からも煙たがられる。折しも編集部では、2014年の小説「晩鐘」を最後に断筆宣言をした佐藤愛子(草笛)のカムバック連載エッセイ企画が持ち上がり、若手社員の水野(片岡千之助)が依頼に向かうも、断筆を理由に断られてしまう。早々とあきらめようとする倉田や水野に異を唱えた吉川は、持ち前の昭和気質を逆手に取って、愛子に手土産攻勢を仕掛けるのである。
手練れ同士の手土産バトル
本作のパンフレットに、手土産は「あなたを大切に思っています」という気持ちを伝えるために贈るという吉川のコメントと、「手土産選びの3箇条」なるものが載っている。以下はその引用である。
その① わざわざそこに足を運ばないと買えないものを選ぶ ※最寄りの駅で買える、どこにでもあるものはNG
その② なぜ今これをお渡しするのか、ストーリーを語れるものを選ぶ ※日本初上陸、限定品など話の種になるものを
その③ 相手の顔を思い浮かべて、好きそうなものを選ぶ ※ヒントはさりげない会話や過去のインタビューの中にある
最初に連載を依頼して断られた水野は、麻布十番「サブレミシェル」の2時間待ち行列の「ヴォヤージュサブレ」を持参した。これは3箇条の①②③すべてに当てはまると思いきや、並んで買ってくれたのかという愛子の問いかけに、水野がインターネットで予約しましたと“自白”してしまい、①に該当しなかったことが連載を断られた遠因ともとれる。実はこのサブレ、後に再登場して愛子と吉川の間に波風を立てることになるのだが、詳しくは映画本編をご覧いただきたい。
一方の吉川は、愛子の膨大な過去作を拾い読みで予習し、上野「うさぎや」のどら焼きと、大きなバラの花束を手に佐藤邸に向かう。つかみはOKかと思いきや、バラには棘があるという愛子。吉川の付け焼刃の知識を基にした口説き文句も見透かされ、私の小説やエッセイの何を読んだのと問い詰められ、吉川は言葉に窮してしまう。連載は断るが手土産は返さないというのも愛子流。百戦錬磨の手強い相手である。
しかし百戦錬磨は吉川も同じ。手土産片手にしつこく日参を繰り返す。「とらや」の羊羹と最中の日は、毎週が無理なら隔週。「グランプラス」のチョコレートの日は、書けなくなった時点で連載終了。「小島屋」のけし餅の日は、腱鞘炎になった愛子を病院に連れていこうとし、リハビリ代わりのときどき連載で構わないとするなど、吉川は要求のレベルを下げることで徐々に愛子のガードを下げていく。そして「八天堂」のくりーむパンの日、「最後のお願い」をかたくなに拒否した愛子に対し、もううかがいません、それでいいんですかと迫った末に、深くため息をつき、今にも自殺しそうに落胆した姿を見せる小芝居まで弄して、渋々連載を勝ち取る手連手管は、昭和気質の編集者の鑑に映った。
実はこの一連のシーンで、吉川は時系列的におかしな一言を発しているのだが、是非実際に映画をご覧になって探してみていただきたい。
グチャクチャ飯と姉妹共演
これまで吉川の視点で述べてきたが、本作の主人公は原作者を投影した愛子であり、本来のストーリーは原作のエッセイのエピソードをもとに構成されている。つまり連載が始まってからが本番と言える。
このエッセイの中で最も印象的なのが、愛子の愛犬のハチに関する「グチャクチャ飯」のエピソードである。詳細については述べないが、グチャクチャ飯とはドッグフードが普及する以前に日本の犬の食事の定番だった、ご飯に味噌汁をぶっかけた汁飯のこととだけ言っておこう。このエピソードの最後に出てくる霊感の強い愛子の友人・喜代子を演じたのは、草笛の実妹である冨田恵子。数十年ぶりの姉妹共演となった。そして喜代子が発した最後の一言が、愛子のみならず観ている者の落涙を誘うことになるのである。
草笛と彼女の幅広いつながり
本作の監督は、「ブタがいた教室」(2008、本連載第25回参照)、「極道めし」(2011、本連載第39回参照)、「水は海に向かって流れる」(2023、本連載第315回参照)の前田哲。草笛とは「老後の資金がありません」(2021)以来のコンビ作となる。
松竹歌劇団出身の草笛の娘・杉山響子に宝塚歌劇団出身の真矢ミキ、孫・桃子に日本舞踊紫派藤間流家元の藤間爽子(三代目藤間紫)、吉川の同僚・水野に松嶋屋の片岡千之助と、舞踊つながりのキャスティングが目立つ。吉川の娘・美優もダンスをやっている設定で、発表会のシーンがクライマックスになっている。
現役の日本女優で最古参の草笛だけに人脈も幅広く、「老後の資金がありません」にも出演した三谷幸喜の他、オダギリジョー、清水ミチコ、LiLiCo、石田ひかりらがチョイ役で出演している。
- 九十歳。何がめでたい
- Amazonサイトへ→
- 晩鐘
- Amazonサイトへ→
- サブレミシェル
- https://www.sable-michelle.com/
- うさぎや
- http://www.ueno-usagiya.jp/
- とらや
- https://www.toraya-group.co.jp/
- グランプラス
- https://www.sable-michelle.com/
- 小島屋
- https://www.keshimochi.com/
- 八天堂
- https://hattendo.jp/shop/default.aspx
- ブタがいた教室
- Amazonサイトへ→
- 本連載第25回
- https://www.foodwatch.jp/screenfoods0025
- 極道めし
- Amazonサイトへ→
- 本連載第39回
- https://www.foodwatch.jp/screenfoods0039
- 水は海に向かって流れる
- Amazonサイトへ→
- 本連載第315回
- https://www.foodwatch.jp/screenfoods0315
- 老後の資金がありません
- Amazonサイトへ→
【九十歳。何がめでたい】
- 公式サイト
- https://movies.shochiku.co.jp/90-medetai/
- 作品基本データ
- 製作国:日本
- 製作年:2024年
- 公開年月日:2024年6月21日
- 上映時間:99分
- 製作会社:2024映画「九十歳。何がめでたい」製作委員会
- 配給:松竹
- カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
- 監督:前田哲
- 脚本:大島里美
- 原作:佐藤愛子
- プロデュース:岡田有正
- 企画:岡田有正、古賀誠一、石塚慶生
- プロデューサー:近藤あゆみ、山田大作
- 撮影:山本英夫
- 美術:安藤真人
- 装飾:松田光畝
- 音楽:富貴晴美
- 音楽プロデューサー:溝口大悟、笹原綾
- 主題歌:木村カエラ
- 録音:加藤大和
- サウンドエフェクト:小島彩
- 照明:小野晃
- 編集:早野亮
- 衣裳:立花文乃
- 衣裳(草笛光子):市原みちよ
- ヘアメイク:宮内三千代
- ヘアメイク(草笛光子):中田マリ子
- 制作担当:田島啓次
- 助監督:久保朝洋
- スクリプター:杉本友美
- 視覚効果:豊直康
- フードコーディネート:Vita
- キャスト
- 佐藤愛子:草笛光子
- 吉川真也:唐沢寿明
- 杉山桃子:藤間爽子
- 水野秀一郎:片岡千之助
- 吉川美優:中島瑠菜
- テレビの修理業者:オダギリジョー
- 海藤ヨシコ:清水ミチコ
- 美容師:LiLiCo
- 倉田拓也:宮野真守
- 総合病院の窓口女性:石田ひかり
- タクシー運転手:三谷幸喜
- 吉川麻里子:木村多江
- 杉山響子:真矢ミキ
- 喜代子:冨田恵子
(参考文献:KINENOTE)