時代遅れ編集者の手土産作戦

333 「九十歳。何がめでたい」から

働き方改革の推進やハラスメント対策などで、近年の職場環境は表向きは改善が図られていると言われる。一方、時代の変化に応じて自らをアップデートできない“働きバチ”世代の人間がいるのもまた事実だ。

 昨年の11月に100歳を迎えた直木賞作家、佐藤愛子が10年前に書いたベストセラーエッセイを、現在90歳の草笛光子を主演に迎えて映画化した「九十歳。何がめでたい」に登場する吉川真也(唐沢寿明)も、そんなアップデートできない“働きバチ”の一人である。

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

昭和気質の逆襲

 大手出版社に勤める中年の敏腕編集者・吉川(モデルは原作を出版した小学館の担当編集者だという)は、部下への昭和気質かたぎで前時代的なコミュニケーションがパワハラ、セクハラにあたると人事部に指摘され、処分が決まるまでの間、テレワークを命じられる。家に帰ると、妻の麻里子(木村多江)、娘の美優(中島瑠菜)、愛犬のチロの姿がない。仕事最優先で家庭を顧みない昭和気質で前時代的な父親像の吉川は、妻子にも愛想を尽かされてしまったのだ。

 かつて指導した後輩の倉田(宮野真守)がデスクを務める女性誌「ライトセブン」に配属された吉川は、同僚からも煙たがられる。折しも編集部では、2014年の小説「晩鐘」を最後に断筆宣言をした佐藤愛子(草笛)のカムバック連載エッセイ企画が持ち上がり、若手社員の水野(片岡千之助)が依頼に向かうも、断筆を理由に断られてしまう。早々とあきらめようとする倉田や水野に異を唱えた吉川は、持ち前の昭和気質を逆手に取って、愛子に手土産攻勢を仕掛けるのである。

手練れ同士の手土産バトル

 本作のパンフレットに、手土産は「あなたを大切に思っています」という気持ちを伝えるために贈るという吉川のコメントと、「手土産選びの3箇条」なるものが載っている。以下はその引用である。

その① わざわざそこに足を運ばないと買えないものを選ぶ ※最寄りの駅で買える、どこにでもあるものはNG

その② なぜ今これをお渡しするのか、ストーリーを語れるものを選ぶ ※日本初上陸、限定品など話の種になるものを

その③ 相手の顔を思い浮かべて、好きそうなものを選ぶ ※ヒントはさりげない会話や過去のインタビューの中にある

 最初に連載を依頼して断られた水野は、麻布十番「サブレミシェル」の2時間待ち行列の「ヴォヤージュサブレ」を持参した。これは3箇条の①②③すべてに当てはまると思いきや、並んで買ってくれたのかという愛子の問いかけに、水野がインターネットで予約しましたと“自白”してしまい、①に該当しなかったことが連載を断られた遠因ともとれる。実はこのサブレ、後に再登場して愛子と吉川の間に波風を立てることになるのだが、詳しくは映画本編をご覧いただきたい。

吉川の同僚、水野が連載依頼のため佐藤邸を訪れた際に持参した麻布十番「サブレミシェル」の「ヴォヤージュサブレ」。世界各地の名所を描いた缶のイラストがユニークだが、愛子が見る価値は他にある。
吉川の同僚、水野が連載依頼のため佐藤邸を訪れた際に持参した麻布十番「サブレミシェル」の「ヴォヤージュサブレ」。世界各地の名所を描いた缶のイラストがユニークだが、愛子が見る価値は他にある。

 一方の吉川は、愛子の膨大な過去作を拾い読みで予習し、上野「うさぎや」のどら焼きと、大きなバラの花束を手に佐藤邸に向かう。つかみはOKかと思いきや、バラには棘があるという愛子。吉川の付け焼刃の知識を基にした口説き文句も見透かされ、私の小説やエッセイの何を読んだのと問い詰められ、吉川は言葉に窮してしまう。連載は断るが手土産は返さないというのも愛子流。百戦錬磨の手強い相手である。

 しかし百戦錬磨は吉川も同じ。手土産片手にしつこく日参を繰り返す。「とらや」の羊羹と最中の日は、毎週が無理なら隔週。「グランプラス」のチョコレートの日は、書けなくなった時点で連載終了。「小島屋」のけし餅の日は、腱鞘炎になった愛子を病院に連れていこうとし、リハビリ代わりのときどき連載で構わないとするなど、吉川は要求のレベルを下げることで徐々に愛子のガードを下げていく。そして「八天堂」のくりーむパンの日、「最後のお願い」をかたくなに拒否した愛子に対し、もううかがいません、それでいいんですかと迫った末に、深くため息をつき、今にも自殺しそうに落胆した姿を見せる小芝居まで弄して、渋々連載を勝ち取る手連手管は、昭和気質の編集者の鑑に映った。

 実はこの一連のシーンで、吉川は時系列的におかしな一言を発しているのだが、是非実際に映画をご覧になって探してみていただきたい。

グチャクチャ飯と姉妹共演

 これまで吉川の視点で述べてきたが、本作の主人公は原作者を投影した愛子であり、本来のストーリーは原作のエッセイのエピソードをもとに構成されている。つまり連載が始まってからが本番と言える。

 このエッセイの中で最も印象的なのが、愛子の愛犬のハチに関する「グチャクチャ飯」のエピソードである。詳細については述べないが、グチャクチャ飯とはドッグフードが普及する以前に日本の犬の食事の定番だった、ご飯に味噌汁をぶっかけた汁飯のこととだけ言っておこう。このエピソードの最後に出てくる霊感の強い愛子の友人・喜代子を演じたのは、草笛の実妹である冨田恵子。数十年ぶりの姉妹共演となった。そして喜代子が発した最後の一言が、愛子のみならず観ている者の落涙を誘うことになるのである。

草笛と彼女の幅広いつながり

 本作の監督は、「ブタがいた教室」(2008、本連載第25回参照)、「極道めし」(2011、本連載第39回参照)、「水は海に向かって流れる」(2023、本連載第315回参照)の前田哲。草笛とは「老後の資金がありません」(2021)以来のコンビ作となる。

 松竹歌劇団出身の草笛の娘・杉山響子に宝塚歌劇団出身の真矢ミキ、孫・桃子に日本舞踊紫派藤間流家元の藤間爽子(三代目藤間紫)、吉川の同僚・水野に松嶋屋の片岡千之助と、舞踊つながりのキャスティングが目立つ。吉川の娘・美優もダンスをやっている設定で、発表会のシーンがクライマックスになっている。

 現役の日本女優で最古参の草笛だけに人脈も幅広く、「老後の資金がありません」にも出演した三谷幸喜の他、オダギリジョー、清水ミチコ、LiLiCo、石田ひかりらがチョイ役で出演している。


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本連載第315回
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【九十歳。何がめでたい】

公式サイト
https://movies.shochiku.co.jp/90-medetai/
作品基本データ
製作国:日本
製作年:2024年
公開年月日:2024年6月21日
上映時間:99分
製作会社:2024映画「九十歳。何がめでたい」製作委員会
配給:松竹
カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
監督:前田哲
脚本:大島里美
原作:佐藤愛子
プロデュース:岡田有正
企画:岡田有正、古賀誠一、石塚慶生
プロデューサー:近藤あゆみ、山田大作
撮影:山本英夫
美術:安藤真人
装飾:松田光畝
音楽:富貴晴美
音楽プロデューサー:溝口大悟、笹原綾
主題歌:木村カエラ
録音:加藤大和
サウンドエフェクト:小島彩
照明:小野晃
編集:早野亮
衣裳:立花文乃
衣裳(草笛光子):市原みちよ
ヘアメイク:宮内三千代
ヘアメイク(草笛光子):中田マリ子
制作担当:田島啓次
助監督:久保朝洋
スクリプター:杉本友美
視覚効果:豊直康
フードコーディネート:Vita
キャスト
佐藤愛子:草笛光子
吉川真也:唐沢寿明
杉山桃子:藤間爽子
水野秀一郎:片岡千之助
吉川美優:中島瑠菜
テレビの修理業者:オダギリジョー
海藤ヨシコ:清水ミチコ
美容師:LiLiCo
倉田拓也:宮野真守
総合病院の窓口女性:石田ひかり
タクシー運転手:三谷幸喜
吉川麻里子:木村多江
杉山響子:真矢ミキ
喜代子:冨田恵子

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。