「ごはん映画ベスト10 2023年 洋画編」(本連載第321回参照)第1位の「ポトフ 美食家と料理人」の魅力を語る2回目。前回は作品の時代背景の話が中心になってしまったが、今回はいよいよ作品の内容について語っていく。
本作は1885年、フランスの片田舎のシャトー(邸宅)を舞台に、料理を芸術の域にまで高めようとした美食家ドダン・ブーファンと、彼の料理人として20年を共に過ごしたウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)の、料理への情熱と2人の愛を描いたトラン・アン・ユン監督作品である。ドダンを演じたブノワ・マジメルと、ウージェニーを演じたジュリエット・ビノシュは、実人生でもパートナーだった時期があり、息の合った演技を見せている。
料理監修は、現代フランスを代表するシェフの一人であるピエール・ガニェール。19世紀末の最先端のフランス料理をガニェール流のオリジナリティを交えて再現している。
※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。
第一章 美食家たちの午餐/手間とうんちく
冒頭は、ドダンの美食仲間、ラバス(エマニュエル・サランジェ)、グリモー(パトリック・ダスマサオ)、マーゴット(ヤン・ハメネッカー)、ポーポワ(フレデリック・フィスバック)を招いての午餐会の準備。ドダンが考案したメニューは以下の通りである。
コンソメ
ヴォル・オ・ヴァン トサカ・ザリガニ・クネルのクリームパイ詰め
ヒラメのポシェ
仔牛のポワレ ショワジー風
デザート:ノルウェー風オムレツ
ワイン:ビュリニー・モンラュシュ、クロ・ヴージョ
調理は、ウージェニーが料理長、ドダンが副料理長役として行い、使用人のヴィオレット(ガラティーア・ベルージ)がアシスタントに立つという役割分担。今回はヴィオレットが姪のポーリーヌ(ボニー・シャニョー=ラヴォワール)を連れて来ており、4人体制で調理を進めていく。
ウージェニーが家の前の畑で朝どりしてきた野菜を肉や魚と煮込んで、コンソメの素になるブイヨン(出汁)をとる。仔牛の骨付き肉の塊をオーブンにかけ、ザリガニを茹でる。そのかたわら、ドダンが白身の魚をすりつぶしてクネル(練り物)を作る。ヴィオレットが茹でたザリガニを氷水で冷やし、ポーリーヌが殻を剥くなど、複数の料理を同時並行で分業で作っていく過程を、テンポよく見せていく。
本作は、エンドロールのジュール・マスネ作曲「タイスの瞑想曲」以外に音楽が流れない。そのため煮込む音、炒める音、鍋に食材を投入する音などの調理音もダイレクトに楽しめる仕組みになっている。
仔牛のポワレ(油脂で焼き色を付けてから蒸し焼きにする)は、一度オーブンから出して刻んだ野菜を敷いて再びオーブンにかける。再びオーブンから出して肉汁の染みた野菜を取り除く。取り除いた肉汁の染みた野菜をこしてソースを作る。ソースを肉と付け合わせの野菜にかけて再びオーブンにかけるという手の込んだ調理をしており、見ているだけで楽しめる。ヴォル・オ・ヴァン(vol-au-vent。パイの器に詰めた料理)、ヒラメのポシェ(ゆで煮にする)、デザートのノルウェー風オムレツも同様に観る者を引き付ける。
ゲストへの給仕は、前回紹介したロシアン・サービスをドダン自らが行う。そこでは、ヴォル・オ・ヴァンはアントナン・カレームが膨らみすぎたパイをヒントに考案したなどのうんちくも入る。ドダンの仲間たちも、クロ・ヴージョの特級畑クロ・ド・ヴージョと教皇庁のエピソードを語ったり、ノルウェー風オムレツの中のアイスクリームがフランベしても溶けない仕組みについて解説するなど、美食家としての造詣の深さをうかがわせる描写になっている。
このシークエンスでは、午餐会の準備、調理、配膳までの一連の作業をじっくりと見せながら、ドラマのキーとシーンも並行して見せてゆくトラン・アン・ユン監督の手腕が際立っている。詳細は実際に映画をご覧いただきたい。
第二章 ズアオホオジロ/美食家の業
午餐会の翌日、ドダンと美食仲間たちは、友人のオーギュスタン(ジャン=マルク・ルロ)の家に向かう。珍味であるズアオホオジロ(オルトラン)の丸焼きを味わうためである。
驚くのはその食べ方だ。各々がナプキンを頭から被り、手づかみで頭から骨まですべて食べるというもの。その理由は、香りを逃がさないため、醜い食べ方を見られないため(神に見られないようにするため)など諸説ある。実際に映画で見ると、まるで何かの儀式のように見えた。
罪の意識を感じながら、美食への探求(欲望)がすべてに優先するという美食家たちの業の深さ。食べ終わった後び「二回戦いくか」というセリフがすべてを物語っている。
ズアオホオジロは乱獲による個体数の激減、罠で捕えてから光を遮ったかごに閉じ込め無理やり餌を与えて肥育する残虐性によって、現在のフランスでは食べることが禁止されている。映画に登場したズアオホオジロは、代替としてガニェールが用意したミニウズラが使われているという。
第三章 ウージェニーのための晩餐/ドダンの勝負飯
ドダンは、ウージェニーに起こったあることによって決意を固め、ウージェニーのためだけの晩餐会を催す。以下はそのメニューである。
グリーンピースのヴルーテ
赤ビーツの香る牡蠣 キャビアとミモザエッグを添えて
若鶏のドゥミドゥイユ風
デザート:洋梨のベル・エレーヌ
ワイン:クリュッグ・クロ・ダンボネ
今回は午餐会の時とは違ってドダンだけが調理。いずれもウージェニーに対するドダンの思いがこもった美しい料理になっている。
ヴルーテは、カレームが定めたフランス料理の基本ソース(他はアルマンド、ベシャメル、エスパニョール)の一つ。普通は肉や魚のブイヨンを使うが、今回はグリーンピースやたまねぎなどの野菜と生クリームで作り、それを蒸し野菜にかけた優しい味わいを感じさせるものになっている。
若鶏のドゥミドゥイユ風は、若鶏の中に黒トリュフを詰めることからdemi-deuil=半喪服風という名となっている。若鶏を凧糸で縛り、布巾に包んででブイヨンで煮込んだりと手のかかる料理である。
クリュッグ・クロ・ダンボネはシャンパーニュの一つだが、ここに現れるのは沈没船から引き揚げられたものをドダンが落札したという希少品。“海底熟成”独特の風味が楽しめるという。
洋梨のベル・エレーヌは、1860年初演のジャック・オッフェンバック作のオペレッタ「美しきエレーヌ」が名の由来。オーギュスト・エスコフィエが1870年に考案したスイーツである。エスコフィエの演劇に由来したデザートとしては、ピーチ・メルバ(本連載第262回参照)も有名である。
本作の洋梨のベル・エレーヌはドダンがアレンジしたもので、洋梨のコンポート、生クリーム、チョコレートの下にあるものを忍ばせ、ヌガティーヌ(薄く伸ばしたカラメル)を被せたものである。
ドダン渾身の“勝負飯”にウージェニーがどう応えたかは、実際に映画をご覧いただきたい。
第四章 ドダンのポトフ/贅への返礼
本作の邦題になっているポトフは、フランスの伝統的な家庭料理、煮込み料理である。
架空の国、ユーラシア皇太子の食事会に招待されたドダンは、三部構成で豪華ではあるが無秩序な料理のオンパレードに
ドダンは、返礼としてユーラシア皇太子を食事会に招待することを決意。メインメニューにポトフを出すことで、皇太子の食事会への回答にしようとする。
だが、あることによって劇中では皇太子を招待した食事会は実現しない。ドダンはポトフの試作を続け、よいものができるが、下書きや素描のように感じてしまう。重要なピースが抜けているからだ。
映画のラストでは、その重要なピースが見つかるかも知れないという希望の持てるものとなっている。聞くところによると、本作の原案となったマルセル・ルーフの小説「La vie et la passion de Dodin Bouffant gourmet」では、ユーラシア皇太子への招待が実現するという。是非続編を見てみたいと感じた。
【ポトフ 美食家と料理人】
- 公式サイト
- https://gaga.ne.jp/pot-au-feu/
- 作品基本データ
- 原題:LA PASSION DE DODIN BOUFFANT
- 製作国:フランス
- 製作年:2023年
- 公開年月日:2023年12月15日
- 上映時間:136分
- 製作会社:Curiosa Films, Gaumont=France 2 Cinema, UMEDIA
- 配給:ギャガ
- カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
- スタッフ
- 監督・脚本:トラン・アン・ユン
- 製作総指揮:クリスティーヌ・ドゥ・ジェケル
- 製作:オリヴィエ・デルボス
- 撮影:ジョナタン・リッケブール
- アートディレクション・衣裳:トラン・ヌー・イェン・ケー
- 美術:トマ・バケニ
- 料理監修:ピエール・ガニェール
- 編集:マリオ・バティステル
- キャスト
- ドダン:ブノワ・マジメル
- ウージェニー:ジュリエット・ビノシュ
- ラバス:エマニュエル・サランジェ
- グリモー:パトリック・ダスマサオ
- マーゴット:ヤン・ハメネッカー
- ポーポワ:フレデリック・フィスバック
- ヴィオレット:ガラティーア・ベルージ
- ポーリーヌ:ボニー・シャニョー=ラヴォワール
- オーギュスタン:ジャン=マルク・ルロ
- ポーリーヌの父:ヤニック・ランドレイン
- ポーリーヌの母:サラ・アドラー
- ユーラシア皇太子のシェフ:ピエール・ガニェール
(参考文献:KINENOTE)