クロマグロ完全養殖への突進

[314] 「TUNAガール」から

前回は厳しい捕獲制限に苦しんでいるくじら料理専門店についてお伝えした。ほかにも資源枯渇が危ぶまれ漁獲制限が行われている水産資源がある。その一つが「海のダイヤ」「黒いダイヤ」とも呼ばれるクロマグロ(本まぐろ)。2014年、国際自然保護連合(IUCN)は、太平洋クロマグロをレッドリストの「絶滅危惧」(EN)に分類した。現在は「準絶滅危惧」(NT)に引き下げられたものの、持続的な資源利用に向けた取り組みが求められている。

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

クロマグロ完全養殖の御利益

講義シーンに登場する2016年養成のクロマグロの剥製。全長220cm、体重196kg。
講義シーンに登場する2016年養成のクロマグロの剥製。全長220cm、体重196kg。

 クロマグロは、成長すると全長3m、体重400㎏にもなるマグロ類の最大種。毎年初競りの落札価格が話題になる高級魚で、刺身や寿司ネタになる大トロ、中トロ、赤身といった魚肉だけでなく、クジラと同様にあらゆる部位が利用できる。

 一方、日本は世界のマグロ類の約20%を消費し、高級魚のクロマグロに至っては70%以上を消費している(2012年時点※1)。それから考えれば、日本にはクロマグロの資源保護についてベネフィットと責任の両方がある。そして、その解決の一つとして期待されているのが、完全養殖である。

 完全養殖は、人工孵化した仔魚を親魚まで育て、その親魚から採卵し、人工孵化させて次の世代を生み出していくというサイクルを完成させることを意味する。これが完全に実現した暁には、天然資源を保全しながら、種苗供給の安定→出荷量の安定→価格の安定、品質の安定、トレーサビリティの把握による安心安全といった持続的な生産システムが期待できる。つまり、クロマグロの完全養殖の実現は、クロマグロの最大消費者たる日本人の責務を果たすことにもなると言えるだろう。

突進するマグロと学生たち

 今回紹介する「TUNAガール」は、和歌山県東牟婁郡串本町の近畿大学水産研究所が舞台。監督は第312回で紹介した「メンドウな人々」の安田真奈である。安田監督は、本作の撮影と並行して、2002年に世界で初めて成功したクロマグロの完全養殖と、市場、小売、外食でブランドを確立した「近大マグロ」についてのドキュメンタリー「海を耕す者たち〜近大マグロの歴史と未来〜」も制作している。両作は、2019年にネット配信で同時公開された(現在、国内での配信は終了している)。

「TUNAガール」の主人公は高山美波(小芝風花)。春から夏までの半年間、研究合宿のために近畿大学水産研究所にやって来た、明るく元気でお調子者の近畿大学農学部水産学科3回生(3年生)である。単なる魚の飼育研究だけでなく、市場に出荷して売上を研究費に充てる経済直結の“実学”の現場に放り込まれた美波が、樋口教授(星田英利)以下“魚飼いたち”の熱に触れ、時には調子に乗って“やらかし”ながらも、失敗を反省し、仲間と協力して成長していくというのが主なストーリー。ドラマを楽しみながら、クロマグロ完全養殖の歴史がわかる内容になっている。

 クロマグロの学名はThunnus orientalis(ツヌス・オリエンタリス)。英語でマグロを表す「ツナ」(Tuna)の語源、Thunnusのギリシャ語での元の意味は「突進」。時速80kmのスピードで大海を回遊するクロマグロと、未知のクロマグロ完全養殖の世界に“突進”していく美波の姿を重ね合わせたのが、本作のタイトルになっている。

ゴールにたどり着くための地味な作業の積み重ね

 クロマグロの完全養殖の歴史の詳細については「海を耕す者たち〜近大マグロの歴史と未来〜」やNHKの「プロジェクトX 挑戦者たち 海のダイヤ 世界初クロマグロ完全養殖」(2005)、近畿大学公開講座2014「近大マグロ完全養殖への道のり」に譲り、ここでは本作で描かれる近畿大学水産研究所内で行われている個々の作業について紹介しよう。

 たとえば美波が選択した飼育班で、大学院生の須藤(藤田富)に最初に命じられた課題は、クエの浮袋が孵化後どれくらいで開くかの調査。無数の稚魚サンプル(死骸)を顕微鏡で48時間ぶっ続けで観察するキツイ作業である。やっているときにはわからなかったが、美波は後に同期生の小泉(金井浩人)から、養殖に必要な技術を支えるデータを取ることだったという意義を聞かされることになる。

 また、魚病班で寄生虫の研究をしている美波の同期生、細野(遊佐亮介)は、魚の研究所でゴカイの世話ばかりしていると愚痴るが、大戸教授(井之上チャル)は、ゴカイの生態がわかる→ゴカイの繁殖を止められる→ゴカイからマグロに移る寄生虫が減る→マグロが健康に育つ→マグロの供給と価格が安定する→養殖マグロが普及し、天然マグロが保護される……というビジョンを示して励ます。

 こうした一つひとつの“地味”な作業の積み重ねが、大きなゴールにつながっていくことを本作は描いている。

研究継続には派手な活動も必要

 一方、近大マグロの産業化につながるプロモーションとなると、華やかで派手な活動となる。

 現在、食肉生産は畜産がほとんどであって狩猟は一部であるのとは異なり、水産は養殖ではなく漁業が一般。そして世間一般は養殖ものより天然ものを高く評価する傾向にある。その市場環境のなかで、養殖ものである近大マグロの付加価値を高めるためには、完全養殖の優位性を認知させるためのマーケティング戦略が必要だ。

 そこで近畿大学は、クロマグロの完全養殖に成功した1年後の2003年に大学発ベンチャーとして株式会社アーマリン近大を設立。この会社が近畿大学水産研究所が研究・養殖した近大マグロをはじめとするさまざまな養殖魚の流通・加工・販売を担うことになった。

 近大マグロは“大卒のマグロ”として“卒業証書”を添えて出荷され、「近大マグロせんべい」などの加工品も販売する(美波が寮に持参するシーンがある)。2013年には日本初の養殖魚専門料理店および日本初の大学直営専門料理店「近畿大学水産研究所 大阪店」がオープンした。その後、「近畿大学水産研究所 銀座店」「近畿大学水産研究所 はなれ グランスタ東京店」もオープンして直営店は3店舗となり、近大マグロの知名度は上がった。本作では、串本町に近い潮岬観光タワーのレストランが近大マグロを仕入れ、「近大マグロ定食」として提供している事例を紹介している。

 ただ、クロマグロの完全養殖が成功したという話題がニュースになった頃は資金や人材が豊富に集まったのだが、十数年を経た現在、当時のような熱は冷めぎみ。研究や飼育環境を改善するためにはもう少し資金や人材が必要な状況にある。そこで、樋口教授からよいアイデアがないかと相談された美波は、マグロ人気アップのため、今風なプロモーションを展開しようとするのだが……。

海を渡った「TUNAガール」と現在の課題

 本作は、さる9月16日にハリウッドで開催された映画祭「Japan Film Festival Los Angeles」で食事会付きで上映された。ただ、食事会で供されたのは近大マグロではなく、現地手配のマグロの海鮮丼だったという。近大マグロは2007年にアメリカへ初出荷されているが(※2)、昨今は種々の理由によりニーズがあるのに輸出できない状況だという。さらなる完全養殖技術の向上により、近大マグロが世界に届くことを期待している。

※1 WWFジャパン「マグロの漁獲量と消費量」
https://www.wwf.or.jp/activities/basicinfo/83.html

※2 株式会社アーマリン近大/沿革
https://www.a-marine.co.jp/history/


【TUNAガール】

公式サイト
https://yasudamana.com/jp/tunagirl/
作品基本データ
製作国:日本
製作年:2019年
公開年月日:2019/3/28
制作著作:吉本興業、NTTぷらら
上映時間:90分
カラー/モノクロ:カラー
スタッフ
監督・脚本:安田真奈
総合監修:世耕石弘
統括プロデューサー:古賀俊輔
チーフプロデューサー:神夏磯秀
プロデューサー:村本陽介、新野安行
撮影:武村敏弘
照明:鈴村真琴
録音:今西康裕
美術:荻原英伸、富田大輔
スタイリスト:岡本佳子、大内美樹
ヘアメイク:Key
編集:藤沢和貴
音楽:原夕輝
キャスティング:根岸美弥子
助監督:佃謙介
仕上げ統括:佐藤正晃
キャスト
高山美波:小芝風花
須藤亮太:藤田富
樋口教授:星田英利
小泉来人:金井浩人
細野俊:遊佐亮介
黒田晶:田中珠里
大戸教授:井之上チャル
笹倉:谷口高史
総長:升毅

(参考文献:Filmarks)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。