フードとアートをつなぐもの

[308] 「マゴーネ 土田康彦『運命の交差点』についての研究」から

2021年製作の田邊アツシ監督作品「マゴーネ 土田康彦『運命の交差点』についての研究」は、イタリア・ヴェネツィア沖のムラーノ島にアトリエを構える日本人唯一のヴェネツィアン・グラス作家、土田康彦の創作活動と来訪者との出会いを8年間にわたって記録しながら、監督自身がナレーターを務め、土田康彦論を語る異色のドキュメンタリーである。

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

“スペシャリスト”のもう一つの顔

 ヴェネツィアン・グラスは、水の都ヴェネツィアで1000年以上に渡って受け継がれてきた伝統工芸品である。熟練したガラス職人(マエストロ)が、一つひとつ手作りで生み出すヴェネツィアン・グラスは、「ガラス加工で世界の頂点を極めたと言われ、その自由奔放なフォルム、舞い上がるような軽やかさ、精緻で華麗な美しさをたたえた姿は、幻想的な小宇宙と呼んでも過言ではない」(公式サイト)。ルネサンス期の王侯貴族たちが競って買い求めたヴェネツィアン・グラスの工房がムラーノ島に集中しているのは、技術の流出を恐れた当時のヴェネツィア共和国の政策によるものだと言われている。

 本作は、“スペシャリスト”として、ヴェネツィアン・グラスに異邦人ならではの独自のタッチで命を吹き込む土田の姿を追うと共に、小説、料理、建築、ファッション、音楽等ジャンルを超えた活動を展開し、各分野の作家ともコラボレーションする“ジェネラリスト”としての土田の側面にも迫っている。

 その中でも注目すべきは、土田の料理家としての顔。土田は青年時代に大阪の辻調理師専門学校で学び、その経験は初めての長編小説「辻調鮨科」に生かされている(実際の辻調理師専門学校に鮨科はない)。卒業後は、食と芸術の道を志して渡欧。ヴェネツィアに移り住むと、カクテル「ベリーニ」やカルパッチョが生まれた店として有名な老舗レストランバー「ハリーズ・バー」(Harry’s Bar)のオーナー、アリーゴ・チプリアーニに気に入られ、調理師として4年間働いた。それと並行して芸術を追究する過程で、ヴェネツィアン・グラスと出会ったことが、土田の今日につながっているのである。

“もてなし”はアートである

複雑な模様のヴェネツィアン・グラスの皿にアマトリチャーナ・パスタを盛り付けていく。フードとアートの融合。
複雑な模様のヴェネツィアン・グラスの皿にアマトリチャーナ・パスタを盛り付けていく。フードとアートの融合。

 8年に及ぶ撮影の間、土田のもとへは多彩な客人が訪れる。当時19歳でスランプに陥り、イタリアに武者修行に来ていたフェンシング選手の宮脇花綸、ドラゴンクエストシリーズ(1986〜)やファイナルファンタジーシリーズ(1987〜)のCMを手がけ、CGアニメ「THE WORLD OF GOLDEN EGGS」(2005)やパペットアニメと実写を合成した映画「PRESENT FOR YOU」(2015)を撮った映画監督の臺佳彦、幹細胞培養治療を専門とする医学博士の大友香里、「HOWEVER」(1997)、「誘惑」(1998)、「SOUL LOVE」(1998)等、シングルミリオンセラー6曲、CD総売上枚数4,000万枚を誇るカリスマロックバンド「GRAY」のヴォーカリストTERU(GRAYは本作に劇中曲・エンディング曲も提供)などなど。それぞれにさまざまな悩みや葛藤を抱えた来訪者に、土田は自分が作ったパスタや料理を振る舞う。温かい食事を共にし、一緒に創作活動をしたり、同じ音楽を聞いて感動したりしながら、来訪者たちの心が少しずつ解きほぐされていく様子が描かれている。

 土田が作った美しいガラス食器に、シンプルだが丁寧に料理が盛り付けられていく様は、本作の見どころである。土田の“もてなし”は、500年前の千利休や100年前の北大路魯山人がやったことにも通じるもので、もてなし自体が一種のアート作品のようである。

 タイトルの「マゴーネ」(Magone)は、北イタリアの方言で「夕日を見る時の胸を締めつけられるような感覚」(公式サイト)という意味だそうだが、土田は大胆にも「袖振り合うも多生の縁」という日本のことわざに意訳している。偶然の出会いに、土田と出会った人は活力をもらい、土田も偶然が結ぶ縁を創作に生かしていく。そんなWin-Winの関係に、観客は立ち会うことになるのである。


【マゴーネ 土田康彦「運命の交差点」についての研究】

公式サイト
https://magone-film.com/
作品基本データ
製作国:日本
製作年:2021年
公開年月日:2023年6月9日
上映時間:96分
製作会社:『マゴーネ』フィルムパートナーズ(制作:ラングラフ)
配給:えすぷらん(配給協力:プレイタイム)
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督・脚本・制作・撮影・編集:田邊アツシ
プロデューサー:杉本理恵子
音楽:小久保隆、Andrea Esperti
劇中歌・エンディング曲:GLAY
キャスト
土田康彦
宮脇花綸
臺佳彦
大友香里
TERU
ナレーション:田邊アツシ

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。