食通ポアロのゆで卵のこだわり

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古今東西の推理小説で、食通の名探偵として真っ先に名前が挙がるのは、アガサ・クリスティが創作したエルキュール・ポアロだろう。「灰色の脳細胞」を持ったベルギー人にとって、食べることは単なる肉体的な歓びではなく、知的探求の域に達するものだと、クリスティは「マギンティ夫人は死んだ」(1952)の冒頭で書いている。

 ポアロが登場する小説の映像化としては、25年をかけてほぼすべての原作を映像化したテレビシリーズ「名探偵ポワロ」(1989〜2013)が有名である(ポアロ役はデヴィッド・スーシェ)。本稿では「オリエント急行の殺人」(1934)を原作とした「オリエント急行殺人事件」(1974年版・2017年版)と、「ナイルに死す」(1937)を映画化した「ナイル殺人事件」(1978年版・2020年版)の4本の劇場用映画を通して、ポアロのグルメぶりを見ていこう。

二つのゆで卵

「オリエント急行殺人事件」(2017)より。二つのゆで卵を測るポアロ。
「オリエント急行殺人事件」(2017)より。二つのゆで卵を測るポアロ。

 シドニー・ルメット監督「オリエント急行殺人事件」(1974)では、アルバート・フィニーがポアロを演じた。乗客役はリチャード・ウィドマーク、イングリッド・バーグマン、ローレン・バコール、ショーン・コネリー、アンソニー・パーキンス、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、ジャクリーン・ビセットといったオールスターキャスト。往年の名女優バーグマンが初めてアカデミー賞(助演女優賞)を受賞したことでも記憶されるべき作品である。

 シリアで事件を解決したポアロが、イスタンブールから乗り込んだフランス・カレー行のオリエント急行で殺人事件が起こるという設定。料理より食器が立派と、イスタンブールのホテルのレストランに不満を述べていたポアロが、オリエント急行の食堂車では、メニューを持ち帰りたいと述べるあたり、食堂車の調理レベルの高さがうかがえる。また、食堂車は乗り合わせた乗客たちが顔を合わせる唯一の場所である。鉄道会社の重役ビアンキ(マーティン・バルサム)から殺人事件の捜査を依頼されたポアロが、乗客一人ひとりを問い詰め、乗客が一同に会する中で探偵が謎解きを披露するという、推理小説で定番のシーンの舞台にもなっている。

 ケネス・ブラナーがポアロ役の他監督も務めた「オリエント急行殺人事件」(2017)も、ジュディ・デンチ、ウィレム・デフォー、ミシェル・ファイファー、ジョニー・デップ、オリヴィア・コールマン、ペネロペ・クルス、セルゲイ・ポルーニン、デイジー・リドリーという現代のオールスターキャストである。本作ではシリアの事件がエルサレムの事件に変更されていて、そこでのエピソードが“つかみ”になっている。それは、朝食に二つのゆで卵を用意させ、両方の寸法が一致しないと食べないというもので、何事にも正確さを要求するポアロの性格を強調している。

モリーユとウツボ

 ジョン・ギラーミン監督「ナイル殺人事件」(1978)は、ピーター・ユスティノフがポアロ役。ユスティノフは「地中海殺人事件」(1982)、「死海殺人事件」でもポアロを演じている。共演はベティ・デイヴィス、ジョージ・ケネディ、マギー・スミス、ミア・ファロー、ジェーン・バーキン、オリヴィア・ハッセー等、この作品も豪華キャストをそろえている。

 ナイル川を遡る遊覧船内で殺人事件が起こる設定で、船内のレストランが主な舞台の一つになっている。面白いのは、ポアロが相棒のレイス大佐(デヴィッド・ニーヴン)に、モリーユ(アミガサタケ、フランス語でmorille)を頼んでおいてくれと伝えたところ、イギリス人の大佐はウツボ(英語でMoray eel)だと思い込んでしまい、出てきたウツボ料理にポアロがびっくりするところ。しかしこの時に出たワインの話が謎解きのきっかけになるのである。

 ケネス・ブラナーが再度ポアロ役と監督の二役を果たした「ナイル殺人事件」(2020)は、原作を大胆にアレンジし、ポアロの過去のシーンや登場人物に改変が加えられている。「オリエント急行殺人事件」(2017)の続編という位置づけで、スフィンクスとピラミッドの前でゆで卵二つを食するシーンもある。エジプトに行く半年前のロンドンのレストランのシーンで、デザートが七つ出てくると、2で割り切れない奇数は嫌いだといって一つを下げさせるあたりにも、ポアロの潔癖な性格が表れている。

2年前の作品公開ラッシュ

「ナイル殺人事件」(2020)は、コロナ禍による数回の公開延期を経て、今年の2月25日にようやく公開された。今後も「トップガン マーヴェリック」(2020)等2年前の作品の公開が続きそうである。


【オリエント急行殺人事件(1974)】

作品基本データ
原題:Murder on the Orient Express
製作国:イギリス
製作年:1974年
公開年月日:1975年5月17日
上映時間:128分
製作会社:EMIフィルム
配給:パラマウント、CIC
カラー/サイズ:カラー/ヨーロピアン・ビスタ(1:1.66)
スタッフ
監督:シドニー・ルメット
脚本:ポール・デーン
原作:アガサ・クリスティ
製作:ジョン・ブラボーン、リチャード・グッドウィン
撮影:ジェフリー・アンスワース
音楽:リチャード・ロドニー・ベネット
キャスト
エルキュール・ポアロ:アルバート・フィニー
ラチェット・ロバーツ:リチャード・ウィドマーク
ヘクター・マックイーン:アンソニー・パーキンス
エドワード・ベドウズ:ジョン・ギールグッド
アーバスノット大佐:ショーン・コネリー
メアリー・デベナム:ヴァネッサ・レッドグレイヴ
ナタリア・ドラゴミロフ公爵夫人:ウェンディ・ヒラー
ヒルデガルド・シュミット:レイチェル・ロバーツ
ハリエット・ベリンダ・ハッバード夫人:ローレン・バコール
グレタ・オルソン:イングリッド・バーグマン
ルドルフ・アンドレニイ伯爵:マイケル・ヨーク
エレナ・アンドレニイ伯爵夫人:ジャクリーン・ビセット
サイラス・“ディック”・ハードマン:コリン・ブレイクリー
ジーノ・フォスカレッリ:デニス・クイリー
ピエール・ミシェル車掌:ジャン・ピエール・カッセル
コンスタンティン医師:ジョージ・クールリス
ビアンキ:マーティン・バルサム

(参考文献:KINENOTE)


【オリエント急行殺人事件(2017)】

作品基本データ
原題:Murder on the Orient Express
製作国:アメリカ
製作年:2017年
公開年月日:2017年12月8日
上映時間:114分
製作会社:20世紀フォックス、キングバーグ・ジャンル、ザ・マーク・ゴードン・カンパニー、スコット・フリー・プロダクションズ
配給:20世紀フォックス
カラー/モノクロ:カラー
スタッフ
監督:ケネス・ブラナー
脚本:マイケル・グリーン
原作:アガサ・クリスティー
製作:リドリー・スコット、マーク・ゴードン、サイモン・キンバーグ、ケネス・ブラナー、ジュディ・ホフランド、マイケル・シェイファー
撮影:ハリス・ザンバーラウコス
プロダクション・デザイン:ジム・クレイ
音楽:パトリック・ドイル
編集:ミック・オーズリー
キャスト
エルキュール・ポアロ:ケネス・ブラナー
ピラール・エストラバドス:ペネロペ・クルス
ゲアハルト・ハードマン:ウィレム・デフォー
ドラゴミロフ公爵夫人:ジュディ・デンチ
エドワード・ラチェット:ジョニー・デップ
ヘクター・マックイーン:ジョシュ・ギャッド
エドワード・ヘンリー・マスターマン:デレク・ジャコビ
ドクター・アーバスノット:レスリー・オドム・Jr
キャロライン・ハバード夫人:ミシェル・ファイファー
メアリ・デブナム:デイジー・リドリー
ブーク:トム・ベイトマン
ヒルデガルデ・シュミット:オリヴィア・コールマン
エレナ・アンドレニ伯爵夫人:ルーシー・ボイントン
ピエール・ミシェル:マーワン・ケンザリ
ビニアミノ・マルケス:マヌエル・ガルシア・ルルフォ
ルドルフ・アンドレニ伯爵:セルゲイ・ポルーニン
ソニア・アームストロング:ミランダ・レーゾン

(参考文献:KINENOTE)


【ナイル殺人事件(1978)】

作品基本データ
原題:Death on the Nile
製作国:アメリカ
製作年:1978年
公開年月日:1978年12月9日
上映時間:140分
製作会社:Jブラボーン、R・グッドウィン・プロ(EMI)
配給:東宝東和
カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
スタッフ
監督:ジョン・ギラーミン
脚本:アンソニー・シェーファー
原作:アガサ・クリスティ
製作:ジョン・ブラボーン、リチャード・グッドウィン
撮影:ジャック・カーディフ
美術:ピーター・マートン
音楽:ニーノ・ロータ
衣装デザイン:アンソニー・パウエル
キャスト
エルキュール・ポアロ:ピーター・ユスティノフ
リネット・リッジウェイ・ドイル:ロイス・チャイルズ
サイモン・ドイル:サイモン・マッコーキンデール
ジャクリーン・ド・ベルフォール:ミア・ファロー
ルイーズ・ブルジェ:ジェーン・バーキン
アンドリュー・ペニントン:ジョージ・ケネディ
マリー・ヴァン・スカイラー:ベティ・デイヴィス
バウァーズ:マギー・スミス
サロメ・オッタボーン:アンジェラ・ランズベリー
ロザリー・オッタボーン:オリヴィア・ハッセー
ジョニー・レイス大佐:デヴィッド・ニーヴン
ジェームズ・ファーガスン:ジョン・フィンチ
ベスナー医師:ジャック・ウォーデン
ロックフォード:サム・ワナメイカー

(参考文献:KINENOTE)


【ナイル殺人事件(2020)】

公式サイト
https://www.20thcenturystudios.jp/movies/nile-movie
作品基本データ
原題:Death on the Nile
製作国:アメリカ
製作年:2020年
公開年月日:2022年2月25日
上映時間:127分
製作会社:20th Century Studios, Scott Free Productions
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督:ケネス・ブラナー
脚本:マイケル・グリーン
原作:アガサ・クリスティ
製作総指揮:マーク・ゴードン、サイモン・キンバーグ、マシュー・ジェンキンズ、ジェームス・プリチャード、マシュー・プリチャード
製作:リドリー・スコット、ケネス・ブラナー、ジュディ・ホフランド、ケヴィン・J・ウォルシュ
撮影:ハリス・ザンバーラウコス
プロダクションデザイン:ジム・クレイ
音楽:パトリック・ドイル
編集:ウナ・ニ・ドンガイル
衣裳デザイン:パコ・デルガド
キャスト
エルキュール・ポアロ:ケネス・ブラナー
リネット・リッジウェイ・ドイル:ガル・ガドット
サイモン・ドイル:アーミー・ハマー
ジャクリーン・ド・ベルフォール:エマ・マッキー
ブーク:トム・ベイトマン
ユーフェミア:アネット・ベニング
サロメ・オッタボーン:ソフィー・オコネドー
ロザリー・オッタボーン:レティーシャ・ライト
ウィンドルシャム:ラッセル・ブランド
アンドリュー・カチャドリアン:アリ・ファザル
マリー・ヴァン・スカイラー:ジェニファー・ソーンダース
ミセス・バワーズ:ドーン・フレンチ
ルイーズ・ブールジェ:ローズ・レスリー

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。