“痛み”を消すための“辛味”

[267]映画「花椒の味」から

香港・台北・重慶。遠く離れた中華圏の3つの都市でお互いの存在を知らずに育ち、父の葬儀で出会った異母三姉妹。長女は父の営んでいた火鍋店を継ぐことを決めるが、肝心のレシピが残っていなかった。窮地に陥った姉を助けるため、次女と三女が駆け付け父の秘伝の味を再現しようと試みる。現在公開中の映画「花椒の味」のドラマの裏に隠されたメッセージを読み解いていく。

複雑な家庭事情と「麻辣火鍋」

 本作は、エイミー・チャン(張小嫻、Amy Cheung)の小説「我的愛如此麻辣」を原作に、「桃さんのしあわせ」(2011)等で知られる香港の代表的女性監督で、2020年の第77回ヴェネツィア国際映画祭で栄誉金獅子賞を受賞したアン・ホイがプロデューサーを、彼女の次の世代を担う女性監督ヘイワード・マックが監督・脚本を務めている。

 三姉妹の父、ハー・リョン(ケニー・ビー)は料理人で、長女ユーシュー(サミー・チェン)の幼少時に妻子を捨てて香港を去る。そして台北で次女ルージー(メーガン・ライ)を、重慶で三女ルーグオ(リー・シャオフォン)をもうけた後、香港に戻って火鍋店「一家火鍋」を開業した。

 ユーシューは父のせいで男性への不信感が拭えず、恋人のクォック・ティンヤン(アンディ・ラウ)と破局してしまう。実家のある香港島とは海を隔てた九龍半島に住み、父の臨終に立ち会うこともなかった。

 台湾から来たルージーはプロのビリヤード選手だが、母ジャン・ヤーリン(リウ・ルイチー)からは夢をあきらめて堅実な生活をしろと言われ、仲たがいしている。オレンジ色の髪がトレードマークの三女ルーグオは、祖母リウ・ファン(ウー・イエンシュー)と二人暮らしだが、結婚しろと口うるさく言われるのを疎ましく思っている。

 それぞれの事情を抱えながら父の葬儀で初めて会った三姉妹。最初はよそよそしかったが、ルーグオが父に供えるご飯をつまみ食いしたのをきっかけに次第に打ち解け、「一家火鍋」で看板料理の「麻辣火鍋」を囲む。父の遺した料理が“家族”の絆を結び付けるという構図は、この後も繰り返されることになる。

失われたレシピを求めて

「一家火鍋」の看板料理「麻辣火鍋」。その失われたレシピが物語を動かす。
「一家火鍋」の看板料理「麻辣火鍋」。その失われたレシピが物語を動かす。

 ユーシューは父の店を売るつもりだったが、賃貸契約はまだ残っており、違約金も発生する。従業員もいる。そして何より内覧に来た買い手が「一家火鍋」の看板も譲り受けたいという提案にカチンときたユーシューは、父の店を継ぐことを宣言してしまう。

 だが、接客も調理も素人のユーシューのせいで店はうまく回らない。おまけに、父は何事も人任せにせず自分でやっていたためレシピが残っておらず、麻辣火鍋のスープが底をつくと同じものが作れないことが判明。ユーシューがそのことで責めたため、料理長は店を出て行ってしまう。絶体絶命のピンチに陥ったユーシューは、妹たちにSNSで助けを求める。そこから、姉妹3人で父の味の再現を試みる。また、書かれたレシピを求めて父の部屋を捜索するのだが、そこで出てきたものは……。

 レシピそのものよりも、それを再現しようという行為そのものが姉妹の絆を強固にし、亡き父の想いを知ることで、現在の家族との関係を見つめ直すきっかけになるシーンになっている。

“辛味”でも消せない“痛み”

 父が亡くなった病院の食堂でユーシューが出会った麻酔科医のチョイ・ホーサン(リッチー・レン)は、辛味は味覚ではなく痛覚だと言う。その“痛い”辛味を人々が求めるのは、辛味で痛みを感じれば意識が分散され他の痛みが消えるからだ。本編にも歯痛を起こしたルーグオの歯に花椒を詰めて緩和するシーンがある。

 本作が製作された2019年は香港で民主化デモが起こった時期と重なる。その後、2020年に中華人民共和国政府によって香港国家安全維持法が成立。香港の言論の自由は大きく制限され現在に至っている。

 うがった見方かも知れないが、本作で示された“痛み”は、現在の香港の状況を予見した“裏メッセージ”ではないだろうか。三姉妹の出身地が、1997年まで英国の植民地だった香港、現在も中華人民共和国の実効支配が及んでいない台湾、日中戦争時に中華民国の臨時政府が置かれていた重慶と、中国にとって“わけあり”の場所に設定されていることも、この仮説を裏付けていると思えるのだが。

 大陸中国市場に迎合した作品を粗製乱造している昨今の香港映画界にあって、ホームドラマながら気骨を示した作品だと個人的には思っている。


【花椒の味】

公式サイト
https://fagara.musashino-k.jp/
作品基本データ
原題:花椒之味
英題:FAGARA
製作国:香港
製作年:2019年
公開年月日:2021年11月5日
上映時間:118分
製作会社:英皇影業有限公司、寰亞電影製作有限公司、大地時代文化傳播(北京)有限公司、北京拉近影業有限公司
配給:武蔵野エンタテインメント
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督・脚本:ヘイワード・マック
原作:エイミー・チャン
プロデューサー:アン・ホイ、ジュリア・チュー
撮影監督:イップ・シウケイ
撮影:ハリー・リー・チクヘイ
照明:チャン・ワイミン
録音:アンガス・マック・チオン
美術:チャン・シウホン
音楽:波多野裕介
編集:ヘイワード・マック、チョン・シウホン
キャスト
ハー・ユーシュー:サミー・チェン
オウヤン・ルージー:メーガン・ライ
シア・ルーグオ:リー・シャオフォン
ジャン・ヤーリン:リウ・ルイチー
リウ・ファン:ウー・イエンシュー
ハー・リョン:ケニー・ビー
チョイ・ホーサン:リッチー・レン
クォック・ティンヤン:アンディ・ラウ

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。