五輪を揺るがした事件の映画

[221]スポーツ映画の食(8)

2020年の東京オリンピック開催にちなみ、スポーツを題材とする映画とその中に登場する食べ物にスポットを当てるシリーズの8回目。今回は平和の祭典としてのオリンピックを揺るがした事件を扱った映画と、その中に登場する食を取り上げる。

「ミュンヘン」の“料理するリーダー”と“孤食の上司”

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

 1972年のミュンヘンオリンピックで、パレスチナの武装テロ組織「黒い九月」がイスラエル選手団の11名を殺害したミュンヘンオリンピック事件については前回に述べた。2005年のスティーブン・スピルバーグ監督作品「ミュンヘン」は、事件の報復を決断したイスラエル首脳の密命を受けた情報機関「モサド」の工作員たちが、ミュンヘンオリンピック事件に関わった黒い九月のメンバーたちを暗殺した「神の怒り作戦」をリアルに描いたスパイアクションである。

 時折フラッシュバックするミュンヘンオリンピック事件の緊迫した映像や、作戦のリーダーのアヴナー(エリック・バナ)以下、自動車、文書偽造、爆弾製造、遺体処理のスペシャリストたちで構成される暗殺団が次々に敵を殺していく残酷な描写の一方、作戦の打ち合わせの度にアヴナーがキブツ(イスラエルの農業共同体)で覚えた手料理で仲間たちをもてなす平和の象徴のような団らんの描写が好対照をなしている。

 ある時アヴナーは正体を隠して取引していたフランス人の情報屋、ルイ(マチュー・アマルリック)のボス、パパ(マイケル・ロンズデイル)と面会。パパは初対面のアヴナーに大家族にふるまう料理を手伝わせながらアヴナーの手を見て「料理よりも殺しに向いてるな」と言い、内臓と血のソーセージと、ロワール地方の灰をまぶしたチーズのセル・シュル・シェールを土産に持たせる。ユダヤ人の食物規定であるコーシャは、血抜きをしていない肉や、肉とチーズを一緒に食べることを認めていない。あえてコーシャに合わないものをユダヤ人のアヴナーに贈ることで、一種の警告を発したととれる。

 この頃からアヴナーの心に報復の連鎖につながるだけの任務への疑問が生じ始める。さまざまなアクシデントによる失敗、相次ぐ仲間の死を経て味方すら信じられなくなったアヴナーは、作戦中止の後、国家の代弁者的な存在で甘い物が好きな“孤食の上司”エフライム(ジェフリー・ラッシュ)に中近東のペストリーの一種、バクラヴァを餞別に渡して祖国を去り、妻と生まれたばかりの赤ん坊を移住させていたニューヨークに向かう。後にエフライムがニューヨークを訪れるが、アヴナーは職場復帰を拒否。エフライムもアヴナーの食事の誘いを断り、相容れぬ関係になった2人の別れからカメラがパンすると、当時はまだ存在していた9.11の舞台、世界貿易センターを写し出すという思わせぶりなシーンが、出口の見えない問題の根深さを暗示している。

「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」のジャムサンドとアイスクリーム

 1994年のリレハンメル冬期オリンピック。女子フィギュアスケートのアメリカ代表選考会となる全米選手権で代表候補のナンシー・ケリガンが何者かにひざを殴打され欠場に追い込まれる「ナンシー・ケリガン襲撃事件」が発生。この大会で優勝したトーニャ・ハーディングの元夫ジェフ・ギルーリーが逮捕され、ハーディングにも疑惑の目が向けられた。ハーディングはオリンピックには出場できたものの靴ひものトラブルによる演技やり直しのドタバタもあって結果は8位。一方ケリガンは銀メダルを獲得した。

 オリンピック後にハーディングは罪を認め、裁判で懲役は免れたものの有罪となり全米スケート協会からは追放。選手生命を絶たれた。この一連の顛末をハーディングの半生とあわせ映画化したのが2017年製作のクレイグ・ギレスピー監督作品「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」である。

 本作は、そのハーディングをモデルに作られたフィクションである。劇中のハーディング(マーゴット・ロビー)は、オレゴン州の白人貧困層の家庭に生まれ、幼少期から母親のラヴォナ・ゴールデン(演じたアリソン・ジャネイはアカデミー賞助演女優賞を受賞)の虐待を受けながらも、天賦の才能と努力によって女子フィギュアスケートの有力選手になる。だが、清く正しく美しいアメリカ女性のイメージを体現するケリガンに対し、自分はダーティーな悪役のイメージで容姿も劣るうえ、審査員の受けも悪く点数も伸びないとハーディングは思い込む。その猜疑心が、ハーディング自身の想像を超える結果をもたらしたという推定のもとにドラマは構成されている。

 ハーディングと元夫ジェフの関係を端的に示すエピソードとして、1991年の全米選手権でアメリカ人女性として初めて、世界でも1988年の伊藤みどりに次ぐ史上2人目となるトリプルアクセルを成功させた後のハーディングの態度の変化が描かれる。それまではジェフの作るジャムサンドの朝食に満足していた彼女が、ジェフの買ってきた庶民的なアイスバー「エスキモー・パイ」(Eskimo Pie)に文句を付け、アメリカ№1の女子フィギュアスケーターにふさわしい高級品の「ダヴ・バー」(Dove Bar)を買ってとわがままを言い出したのだ。

 これを機にジェフのハーディングに対するDVが激しくなり、別居してはよりを戻すということを繰り返した末に二人は離婚するのだが、その後も腐れ縁は続く。そして、元妻にいいところを見せたいというジェフの思いが事件につながっていく流れとなっている。

「リチャード・ジュエル」のスニッカーズとタッパーウェア

「アイ,トーニャ」でナンシー・ケリガン襲撃事件に関与したハーディングの元ボディーガード、ショーン・エッカートを演じたポール・ウォルター・ハウザーが、今度は無実の主人公に扮したのが、現在公開中のクリント・イーストウッド監督最新作「リチャード・ジュエル」である。

 アトランタオリンピック開催中の1996年7月27日、オリンピックメイン会場近くの記念公園で釘を仕込んだパイプ爆弾が爆発。死者2名、負傷者111名を出す惨事となった。

 この事件の第一通報者が警備員リチャード・ジュエル(ハウザー)だったが、FBIはプロファイリングにより彼を容疑者として捜査を開始する。その捜査情報がマスコミに漏れ、当初は英雄として持ち上げられていたジュエルは、過熱する報道によって“孤独な爆弾犯”へと一気におとしめられる。その後2003年に真犯人が見つかったことでジュエルの潔白が証明されたが、本作はメディアリンチの恐ろしさを、イーストウッドらしい善悪が明確な演出で描いた冤罪ドラマである。

10年前の中小企業局でリチャード・ジュエルとワトソン・ブライアントの出会いのきっかけを作った「スニッカーズ」。
10年前の中小企業局でリチャード・ジュエルとワトソン・ブライアントの出会いのきっかけを作った「スニッカーズ」。

 容疑者となったジュエルが頼ったのが、10年前にジュエルが備品補充員として勤めていた中小企業局で知り合った弁護士のワトソン・ブライアント(サム・ロックウェル)だった。当時ジュエルは、ワトソンのごみ箱に「スニッカーズ」の袋があったことから、好物かと思ってワトソンの机の引き出しに文房具と共にスニッカーズを補充していた。

 そんなジュエルをワトソンは気がきく部下として「M★A★S★Hマッシュ」(1970/ロバート・アルトマン監督)のオリーリー伍長にちなんで“レーダー”というニックネームを付ける。肥満体型で「脂肪袋」「肥え過ぎ」「ミシュランマン」などと揶揄されていたジュエルは、ワトソンが唯一自分を人間として扱ってくれたことがうれしかったのだ。スニッカーズが取り持つ縁で、ワトソンはジュエルの弁護人として無実の罪を晴らす戦いに身を投じる。

 食に関するもう一つのエピソードが、FBIの捜査の理不尽さを表現している。ジュエルは母親のボビ(キャシー・ベイツ)と2人暮らしだが、ジュエルの自宅の家宅捜索に入ったFBIは、ジュエルの持ち物以外にボビが料理に使うタッパーウェアや掃除機、下着まで押収していく。年老いた母親の尊厳まで踏みにじる権力の横暴に、他人事と看過できない恐ろしさを感じた。

2020年東京オリンピック無事開催を祈る

 この原稿を書いている2月27日現在、新型コロナウイルスの猛威によって東京オリンピックの開催に黄信号が灯る事態にまで発展している。5カ月後の予測は困難だが、本シリーズが幻のオリンピック関連企画にならないことを切に祈っている。


【ミュンヘン】

作品基本データ
原題:Munich
製作国:アメリカ
製作年:2005年
公開年月日:2006年2月4日
上映時間:164分
製作会社:アンブリン・エンタテインメント、ケネディ・マーシャル・プロダクション、バリー・メンデル・プロダクション
配給:アスミック・エース
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:トニー・クシュナー、エリック・ロス
原作:ジョージ・ジョナス
製作:キャスリーン・ケネディ、スティーヴン・スピルバーグ、バリー・メンデル、コリン・ウィルソン
撮影監督:ヤヌス・カミンスキー
プロダクション・デザイナー:リック・カーター
音楽:ジョン・ウィリアムス
編集:マイケル・カーン
衣裳デザイナー:ジョアンナ・ジョンストン
キャスト
アヴナー:エリック・バナ
スティーヴ:ダニエル・クレイグ
カール:シアラン・ハインズ
ロバート:マチュー・カソヴィッツ
ハンス:ハンス・ジッヒラー
エフライム:ジェフリー・ラッシュ
ダフナ:アイェレット・ゾラー
アヴナーの母:ギラ・アルマゴール
パパ:マイケル・ロンズデイル
ルイ:マチュー・アマルリック
アンドレアス:モーリッツ・ブライブトロイ
シルヴィー:ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ
イヴォンヌ:メーレト・ベッカー
ジャネット:マリー・ジョゼ・クローズ
トニー:イヴァン・アタル
ツヴィ・ザミール将軍:アミ・ワインバーグ
ゴルダ・メイア首相:リン・コーエン

(参考文献:KINENOTE)


【アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル】

作品基本データ
原題:I, TONYA
製作国:アメリカ
製作年:2017年
公開年月日:2018年5月4日
上映時間:120分
製作会社:ラッキーチャップ・エンターテインメント、クラブハウス・ピクチャーズ、AIフィルムズ
配給:ショウゲート
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督:クレイグ・ギレスピー
脚本:スティーブン・ロジャース
製作:スティーヴン・ロジャース、ブライアン・アンケレス、マーゴット・ロビー、トム・アカーリー
撮影:ニコラス・カラカトサニス
プロダクション・デザイン:ジェイド・ヒーリー
作曲:ピーター・ナシェル
編集:タチアナ・S・リーゲル、タチアナ・S・リーゲル
衣裳デザイン:ジェニファー・ジョンソン
キャスト
トーニャ・ハーディング:マーゴット・ロビー
ジェフ・ギルーリー:セバスチャン・スタン
ラヴォナ・ゴールデン:アリソン・ジャネイ
ダイアン・ローリンソン:ジュリアンヌ・ニコルソン
ショーン:ポール・ウォルター・ハウザー
ナンシー・ケリガン:ケイトリン・カーヴァー
幼少期のトーニャ:マッケナ・グレイス

(参考文献:KINENOTE)


【リチャード・ジュエル】

公式サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/richard-jewelljp/
作品基本データ
原題:RICHARD JEWELL
製作国:アメリカ
製作年:2019年
公開年月日:2020年1月17日
上映時間:131分
製作会社:マルパソ・プロダクションズ、アッピアン・ウェイ・プロダクションズ、ミッシャー・フィルムズ
配給:ワーナー・ブラザース映画
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ビリー・レイ
原案:マリー・ブレナー
製作:クリント・イーストウッド、ティム・ムーア、ジェシカ・マイヤー、ケビン・ミッシャー、レオナルド・ディカプリオ、ジェニファー・デイビソン、ジョナ・ヒル
撮影:イヴ・ベランジェ
美術:ケビン・イシオカ
音楽:アルトゥロ・サンドバル
編集:ジョエル・コックス
衣装:デボラ・ホッパー
キャスト
リチャード・ジュエル:ポール・ウォルター・ハウザー
ワトソン・ブライアント:サム・ロックウェル
バーバラ・”ボビ”・ジュエル:キャシー・ベイツ
トム・ショウ:ジョン・ハム
キャシー・スクラッグス:オリビア・ワイルド

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。