東京の奥座敷「熱海」の盛衰

[179]映画にみる観光地のうまいもの(1)

古今東西、観光地を取り扱った映画は多く、映画とタイアップした“フィルムツーリズム”の試みも多数行われている。今回から不定期シリーズとして、観光地の一つにスポットを当て、その観光地を舞台にした映画に登場する食べ物・飲み物について取り上げていこうと思う。まずは昨日6月28日より熱海国際映画祭(http://atamifilmfestival.jp/)が開催中の熱海から。

「雪夫人絵図」と「起雲閣」

「喜劇 駅前金融」に登場する熱海の温泉ホテルのお狩場焼き。イノシシの肉や川魚や野菜を串刺しにして石焼きしている。
「喜劇 駅前金融」に登場する熱海の温泉ホテルのお狩場焼き。イノシシの肉や川魚や野菜を串刺しにして石焼きしている。

 熱海は、古くからの湯治場で、徳川家康が湯治に訪れたことでも知られている。明治時代に入ると、皇族・華族といった特権階級や政財界の富裕層が別荘を構えるようになった。その代表的建築である「起雲閣」は、「三大船成金」のひとり内田信也が1919(大正8)年に建てたもので、1925(大正14)年に「鉄道王」と呼ばれた根津嘉一郎が取得した後、1947(昭和22)年に政治家・実業家の桜井兵五郎が買い取り、旅館として開業した。「起雲閣」の名称は旅館時代に付けられたものである(※1)。

 起雲閣はまた、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、武田泰淳といった文豪たちが宿泊したことでも知られている。その一人である舟橋聖一が逗留中に執筆した小説を原作に溝口健二が監督した「雪夫人絵図」(1950)は、熱海に別荘を持つ旧華族の戦後の没落を描いたもので、起雲閣でロケが行われた。

 旧華族信濃家の一人娘としてお姫様のように育てられた雪(木暮実千代)は、夫である平民出身の俗物、直之(柳英二郎)の放蕩三昧によってほとんどの財産を失い、残るは熱海の別荘だけとなってしまう。直之には京都にバーのマダム綾子(夏川静江)という愛人がおり、雪はついに離婚を決意する。

 そこで彼女は琴の師匠の菊中(上原謙)に相談して別荘を「宇津保館」という旅館に改装し、自立への備えにしようとする。この辺りは別荘から旅館に生まれ変わった起雲閣の縁起を想起させるところである。しかし世間知らずの箱入り娘として育った雪には旅館経営の荷は重い。そのことを宴会の膳や酒が散らかったままの広間のショットが示している。

 古き善き美徳を備えた雪が、時代の流れと人間関係に翻弄されて悲劇に向かっていく姿を、女性心理を描くのに長けた溝口監督が、新入りの女中濱子(久我美子。彼女は旧華族出身である)の目を通し、得意の長回しを駆使して描いている。

 濱子が初めて別荘を訪れた際に目を見張る美しい庭園やローマ風浴場は、起雲閣が旅館を廃業し熱海市の所有となった現在は文化財として公開されており、観光スポットとして誰もが訪れることができる。

「東京物語」と「日本の悲劇」にみる戦後の温泉旅館

 1934(昭和9)年に丹那トンネルが開通すると、熱海駅は一躍東海道本線の駅となった。交通の利便性が増した熱海は「東京の奥座敷」と呼ばれる一大保養地として多くの観光客が訪れるようになり、戦後は新婚旅行や社員旅行のメッカとなっていく。

 熱海の温泉旅館が出てくる日本映画で多くの方がご存知なのは、1953年製作の小津安二郎監督作品「東京物語」だろう。

 20年ぶりに尾道から上京した周吉(笠智衆)、とみ(東山千栄子)の老夫婦は、日々の生活に追われて父母をかまってやる時間のない長男幸一(山村聡)、長女志げ(杉村春子)らに体よく熱海に送り出される。ところが、せっかく熱海には来たものの、団体客のマージャンの音や流しの歌がうるさくて周吉ととみはなかなか寝付けない。それが、翌朝の美しい防波堤のシーンでのとみの立ち眩みと、医師の幸一は否定していたが、死に至る前兆だったように思えてしまう。

 また、旅館の部屋を掃除する女中たちが、昨夜泊まったガラの悪い新婚カップルを茶化すおしゃべりは、いかにもアプレゲール(戦後派)といった風で、この時代の若い世代を象徴している。

 一方、小津の松竹での後輩にあたる木下恵介が同年に監督した「日本の悲劇」は、熱海の温泉旅館「伊豆花」の女中、春子(望月優子)を主人公に、温泉旅館の舞台裏から熱海を描いている。春子は戦争で夫を亡くし、遺された歌子(桂木洋子)と清一(田浦正巳)の姉弟を、戦後の混乱期の中で闇屋の担ぎ屋をしたり、曖昧屋(料理屋や宿屋を装った風俗店)の女にまで身を沈めながら養ってきた。現在では子供たちも成長し、春子も旅館の女中という定職を得たものの、春子の違法行為や酔態を目にしてきた子供たちは母親に冷たい視線を向け、育ててもらった恩を仇で返すような行動に打って出るのである。

 本作は現在と過去を並行させながら、当時のニュースフィルムを挿入して、ある家族の崩壊を時代とリンクさせて描こうとした当時としては珍しい試みの野心作で、子供たちが春子にある通告をしに訪ねる前のそば屋のシーンでは、姉弟で久しぶりに食べるうどんが焼け跡の回想入りのきっかけとして使われている。また、春子と何かにつけて対立する板長の佐藤(高橋貞二)のエピソードを通して旅館の厨房を細かく描いている。

「喜劇 駅前金融」に見る高度成長期の温泉ホテル

「喜劇 駅前金融」に登場する熱海の温泉ホテルのお狩場焼き。イノシシの肉や川魚や野菜を串刺しにして石焼きしている。
「喜劇 駅前金融」に登場する熱海の温泉ホテルのお狩場焼き。イノシシの肉や川魚や野菜を串刺しにして石焼きしている。

 高度成長期の熱海には、プールやダンスホールを備えた総合レジャー施設としての大型の温泉ホテルが現れた。1965年製作の「駅前」シリーズ12作目となる「喜劇 駅前金融」(佐伯幸三監督)は、そうした温泉ホテルを舞台としている。

 本作は「雪夫人絵図」の項で述べた熱海ゆかりの文豪の小説の中でも最も有名な尾崎紅葉の「金色夜叉」を下敷きにしている。会計学の権威前川博士(加東大介)の元書生で、学者を嫌ってバンドマンとなった坂井次郎(フランキー堺)は、ある日前川に呼び出され、一人娘由美(大空真弓)との婚約破棄を通告される。由美が成金の高岡(三木のり平)と結婚することになったからであった。次郎は由美の本心を確かめるため、高岡との婚前旅行先である熱海に向かう。由美と再会した次郎が、海岸の「お宮の松」の前で由美に別れを告げる「今月今夜のこの月を」というセリフは、「金色夜叉」の再現である。

 友人の森田(森繁久彌)に出世して見返してやれと焚き付けられた次郎は、温泉ホテルの派手な金風呂で出会った高利貸の伴野孫作(伴淳三郎)と女房のかね子(乙羽信子)夫婦に弟子入りする。この夫婦、債務者からまかれた塩で飯を食うほどのドケチで、ホテルの備品を全部持ち帰るのは当たり前。次郎に最初に与えられたミッションは、お狩場焼きの残飯集めだった。お狩場焼きは、イノシシや鴨、川魚、山芋、山菜等を鉄板で焼くジビエのバーベキューのようなものである。

 ダンスホールのシーンでは、当時人気があった和田弘とマヒナ・スターズや松尾和子がゲスト出演したり、ホテルの部屋の冷蔵庫にはこの年に発売されたプルトップで缶切りいらずの缶ビールがあったりと、時代を感じさせる作品になっている。

その後の熱海

“東洋のバビロン”の栄華は、あっけなくその終焉を迎えた。新婚旅行と社員旅行という巨大需要の上に胡座をかき、進化の道を踏み外してしまったディプロドクスは、娯楽の多様化という地殻変動の中、繁栄の頂点から没落への道を歩むこととなった。

THE NEXT GENERATION パトレイバー EPISODE5 大怪獣現わる 前編」(2014 押井守監督)より

 しかし東京から至近で電車一本で行ける手軽さからか、ここ数年は観光客が再び増加に転じていることも申し添えておく。

参考文献
※1 起雲閣(きうんかく)へようこそ 熱海市公式サイト 
http://www.city.atami.lg.jp/kiunkaku/index.html

【雪夫人絵図】

「雪夫人絵図」(1950)

作品基本データ
製作国:日本
製作年:1950年
公開年月日:1950年10月21日
上映時間:88分
製作会社:新東宝=瀧村プロ
配給:新東宝
カラー/サイズ:モノクロ/スタンダード(1:1.37)
スタッフ
監督:溝口健二
脚色:依田義賢、舟橋和郎
原作:舟橋聖一
製作:滝村和男
制作補:野坂和馬
撮影:小原譲治
音楽:早坂文雄
キャスト
信濃雪:木暮実千代
安部濱子:久我美子
菊中方哉:上原謙
信濃直之:柳永二郎
誠太郎:加藤春哉
綾子:浜田百合子
さん:浦辺粂子
お澄:夏川静江
立岡:山村聡
宇津保館板前:小森敏
宇津保館板前:石川冷
ホテルのボーイ:沢井一郎
運転手:水城四郎

(参考文献:KINENOTE)


【東京物語】

「東京物語」(1953)

作品基本データ
製作国:日本
製作年:1953年
公開年月日:1953年11月3日
上映時間:135分
製作会社:松竹
配給:松竹
カラー/サイズ:モノクロ/スタンダード(1:1.37)
スタッフ
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
製作:山本武
撮影:厚田雄春
美術:浜田辰雄
音楽:斎藤高順
録音:妹尾芳三郎
照明:高下逸男
キャスト
平山周吉:笠智衆
平山とみ:東山千栄子
平山幸一:山村聡
平山文子:三宅邦子
平山実:村瀬禪
平山勇:毛利充宏
金子志げ:杉村春子
金子庫造:中村伸郎
平山紀子:原節子
平山敬三:大坂志郎
平山京子:香川京子
服部修:十朱久雄
服部よね:長岡輝子
沼田三平:東野英治郎
隣家の細君:高橋豊子
アパートの女:三谷幸子
敬三の先輩:安部徹
美客院の助手キヨ:阿南純子

(参考文献:KINENOTE)


【日本の悲劇】

「日本の悲劇」(1953)

作品基本データ
製作国:日本
製作年:1953年
公開年月日:1953年6月17日
上映時間:116分
製作会社:松竹大船
配給:松竹
カラー/サイズ:モノクロ/スタンダ-ド(1:1.37)
スタッフ
監督・脚本:木下恵介
製作:小出孝、桑田良太郎
撮影:楠田浩之
美術:中村公彦
音楽:木下忠司
録音:大野久男
照明:豊島良三
キャスト
井上春子:望月優子
娘歌子:桂木洋子
息子清一:田浦正巳
赤沢正之:上原謙
妻霧子:高杉早苗
娘葉子:榎並啓子
佐藤:高橋貞二
艷歌師達也:佐田啓二
一造:日守新一
妻すえ:北林谷栄
長男勝男:草刈洋四郎
芸者若丸:淡路恵子
岩見:柳永二郎
藤田:須賀不二男
闇屋風の男:多々良純

(参考文献:KINENOTE)


【喜劇 駅前金融】

「喜劇 駅前金融」(1965)

作品基本データ
製作国:日本
製作年:1965年
公開年月日:1965年7月4日
上映時間:94分
製作会社:東京映画
配給:東宝
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督:佐伯幸三
脚本:長瀬喜伴
製作:佐藤一郎、金原文雄
撮影:岡崎宏三
美術:小野友滋
音楽:広瀬健次郎
録音:長岡憲治
照明:榊原庸介
編集:広瀬千鶴
スチル:横山愈
キャスト
森田徳之助:森繁久彌
伴野孫作:伴淳三郎
坂井次郎:フランキー堺
高岡三平:三木のり平
島中圭子:淡島千景
金成藤子:淡路恵子
前川由美:大空真弓
石内染子:池内淳子
孫作の女房・かね子:乙羽信子
藤子の夫・剛造:有島一郎
由美の父・前川博士:加東大介
由美の母・花子:沢村貞子
松井和江:松尾和子
山花久吉:山茶花究
船原ホテルのセミ・ヌード:山東昭子
ホステス夢子:星美智子

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。