「トリス」と昭和戦後の男たち

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 1990年代から2000年代にかけて低迷していた国内ウイスキー需要は、2009年頃からのハイボールブームの影響もあって近年はやや持ち直している(図1)。このブームにサントリーの「角瓶」と並んで貢献したのが、かつてトリスバーやアンクルトリスで一世を風靡した「トリス」。今回は戦後の洋酒ブームの火付け役となった「トリス」と、トリスバーが登場する映画を通して、戦後の昭和を振り返っていく。

「トリス」とトリスバーの時代

[図1]ウイスキー移出数量の推移(平成10〜29年。日本洋酒酒造組合「酒類の統計」)
[図1]ウイスキー移出数量の推移(平成10〜29年。日本洋酒酒造組合「酒類の統計」)

 サントリーの前身である寿屋の初代社長、鳥井信治郎(2014年度NHK朝のテレビ小説「マッサン」で堤真一が演じた鴨居欣次郎のモデル)の姓がネーミングの由来となった「トリス」は、終戦から1年後の1946年、「うまい、安い」をキャッチフレーズとしたブレンデッドウイスキーとして発売された。

 寿屋の宣伝部に勤めながら芥川賞作家となった開高健と直木賞作家となった山口瞳の共著によるサントリーの社史「やってみなはれ みとくんなはれ」(2003、新潮文庫)によると、進駐軍の兵隊用に作られた「ブルー・リボン」が「トリス」の前身になったという。戦後の混乱期、物資不足で闇市では「カストリ」「バクダン」などの粗悪な密造酒が売られていた時代、「トリス」は手の届く値段で安全なウイスキーを求める人々に人気を博した。

寿屋(現・サントリー)の「トリスを飲んでHawaiiに行こう!」の広告。コピーは山口瞳、イラストは柳原良平。
寿屋(現・サントリー)の「トリスを飲んでHawaiiに行こう!」の広告。コピーは山口瞳、イラストは柳原良平。

 その後、戦後の復興を経て高度成長が始まった1950年代から60年代には、寿屋の営業努力と、開高の「『人間』らしく/やりたいナ/トリスを飲んで/『人間』らしく/やりたいナ/『人間』なんだからナ」(1961)や、山口の「トリスを飲んでHawaiiに行こう!」(1961)といった巧みな宣伝コピー、彼らの同僚のイラストレーター・柳原良平の描く「トリス」のイメージキャラクター「アンクルトリス」(1958~)の人気が相まって「トリス」の売上げはさらに拡大していく。

 この時代、全国の繁華街には「トリス」や「サントリー」(ホワイト、レッド、角瓶、オールド)といった寿屋のウイスキーを出すトリスバーが林立した。トリスバーにはそこでしか読めない開高や山口が執筆した広報誌「洋酒天国」(1956~1963)が置かれ、ウイスキーについての各種情報を発信してウイスキー初心者のお客を啓蒙。「トリス」をハイボールにした「トリハイ」は人気メニューとなり、「トリス」をはじめとするウイスキーは一気に庶民の酒として市民権を獲得した。

 ちなみに「トリスを飲んでHawaiiに行こう!」懸賞の1等ハワイ旅行は、航空券ではなくハワイ旅行積立預金証書を贈呈するというもの。海外旅行が自由化された1964年に初めてハワイ旅行が実施されたが、預金を受け取って旅行には行かない当選者もいたという一連の経緯が時代を感じさせる。

「江分利満氏の優雅な生活」のハワイと北欧

「江分利満氏の優雅な生活」(1963)は、山口瞳が「婦人画報」に連載し第48回直木賞を受賞した短編集を、小林桂樹主演、岡本喜八監督で映画化した作品である。脚本の井出俊郎は、主人公の江分利満(小林)の勤務先を、原作の電機メーカーから原作者が実際に働いていたサントリーの宣伝部に変更。回想シーンには柳原良平によるアニメーションが挿入され、あたかも山口本人をモデルにしたかのようなリアルなドラマに仕立てている。

「面白くない……」

 映画は、江分利がビールのキャッチコピーに頭を悩ませながら独り呟くシーンで始まる。そのキーワードはハワイではなく北欧。

「北欧の味/北欧の香り/これこそ本格ビールの色です/これが本当のビールの香りです/クリーン・アンド・マイルド/すっきりとまろやか/切れ味がよくて/クセのない素直な味わい/後味がさわやかで/舌が喜びに震えます/1杯目より2杯目/2杯目より3杯目と/飲めば飲むほど/そのデリケートな味わいに/舌が打たれるビールです」

 どれもいま一つ。江分利は才能ある原作者とは違ってうだつの上がらない36歳の宣伝部員として描かれている。ウイスキーとビール、常夏のハワイと酷寒の北欧のように、山口と江分利の対照があるようで面白い。

 その上、酒癖が悪いものだから、仕事帰りに同僚を飲みに誘っても誰も乗って来ない。柳原(天本英世)曰く「飲んだっていいんだけど、君と飲むと(荒れるから)」。結局1人で行ったトリスバー「トンちゃん」で女たちに「最近面白いか」と絡み、2件目の「ナポリ」では“黒犬”の女(塩沢とき)に「尾も白くない」と駄洒落で返されてしまう。

 しかし、捨てる神あれば拾う神ありで、酔いつぶれていた路地裏で雑誌編集部の佐久(中丸忠雄)と矢口(横山道代)と出会い、酔った勢いで原稿執筆を安請け合いしてしまったことが、彼の運命を大きく変えることになる。

 その後も江分利の酒癖の悪さは相変わらず。最初はバーで江分利の話を興味津々で聞いていた若手の同僚社員たちも、あまりの話の長さに閉口して1人抜け、2人抜け、運悪く居残った田代(二瓶正也)と小宮(小川安三)は、江分利の住む川崎の社宅にまで付き合わされ朝帰りとなってしまう。

 昭和の元号と年齢が一致する、戦時中に青春時代を過ごした“戦中派”の江分利の口を衝いて出るのは、神宮球場の大学球児たちが学徒出陣し、戦場で死んでいったことへの同情と、戦争を指導した政治家・軍人たちと戦争を食い物にした商人たちへの憎悪。照明がふっと暗くなり、兵士に宛てた恋人の手紙を朗読する江分利の妻・夏子(新珠三千代)にスポットライトが当たる演出が印象的だ。

 江分利より2歳年上で、助監督として東宝に入社後に召集され、陸軍予備士官学校で終戦を迎えた岡本監督は、デビュー作の「結婚のすべて」(1958)に代表される軽妙なタッチのコメディを得意とする一方、「独立愚連隊」(1959)、「日本のいちばん長い日」(1967)、「肉弾」(1968)、「激動の昭和史 沖縄決戦」(1971)、「英霊たちの応援歌 最後の早慶戦」(1979)等で一貫して戦中派としてのこだわりを描いてきた。本作は前半は常夏のコメディタッチながら、後半は酷寒のこだわりが如実に表れた作品といえる。

「秋刀魚の味」のトリスバーと軍艦マーチ

「秋刀魚の味」で周平(笠智衆)が行ったトリスバーの看板(手前)。画面奥にも別のトリスバーが見える。
「秋刀魚の味」で周平(笠智衆)が行ったトリスバーの看板(手前)。画面奥にも別のトリスバーが見える。

 1950年代から60年代にかけてのトリスバーが出てくる作品は数多く存在するが、最も印象的なのは1962年製作の小津安二郎監督作品「秋刀魚の味」である。この作品は本連載の第1回でも取り上げているので、ストーリー展開についてはそちらをお読みいただきたい。

「秋刀魚の味」でトリスバーの登場シーンは3回ある。1回目は、中学時代の恩師・ひょうたんこと佐久間(東野英治郎)の現在の苦境を見かねた教え子たちが持ち寄った義援金を、平山周平(笠智衆)が代表して佐久間が営むラーメン屋「燕来軒」に届けに来たところ、チャーシューメンを食べに来た海軍時代の部下・坂本(加東大介)と偶然再会し、坂本が行きつけのトリスバーに一緒に行くくだり。

 壁に「トリス」のポスターが貼られたカウンター席だけのウナギの寝床のような店内に「軍艦マーチ」が流れる中、駆逐艦の艦長だった周平と水兵だった坂本は、デミタスグラスで「トリス」をストレートで飲みながら、戦後の苦労を語り合う。

坂本「もし日本が戦争に勝ってたら、今頃はパチンコ屋じゃない本物のニューヨークで、目の青い奴が丸髷なんか結っちゃって、チューインガム噛み噛み三味線弾いてますよ」

周平「でも、負けてよかったじゃないか」

坂本「そうですかね。うーん。そうかも知れないなあ。馬鹿な野郎が威張らなくなっただけでもね」

 この最後の坂本のセリフと似たようなことを、小津の「彼岸花」(1958)の佐分利信演じる平山も述べており、「早春」(1956)の台本にも似たやりとりが残っている。「馬鹿な野郎が威張る」とは、戦時中に官民問わずあらゆる層の軍国主義者たちが、非常時をよいことに理不尽な要求を他人に押し付けたことを示している。小津は中国とシンガポールで二度の従軍経験があり、自作で正面から戦争を描くことはなかったが、「麦秋」(1951/本連載第3回参照)や「東京物語」(1953)では家族の誰かが戦死していたり、本作のように戦争への嫌悪を表明するセリフを忍ばせることで、静かに反戦を訴えているように見える。

 そして周平は、坂本と敬礼ごっこに興じるトリスバーのマダム(岸田今日子)に亡き妻の面影を見、それを長男の幸一(佐田啓二)に伝えたことが2回目の来店につながる。このシーンでは周平は「トリス」の水割りを飲み、幸一はチャーハンか中華丼のような丼ものをレンゲで食べている。二人のやりとりは、幸一の妹・路子(岩下志麻)の縁談を前に、路子がひそかに思いを寄せているらしい幸一の同僚・三浦(吉田輝雄)の気持ちを確かめてくれないかということだったが、洗い物でマダムが席を外すと話題はマダムの容貌のことに。

幸一「似てませんよ」

周平「よく見りゃ大分違うけどね。どこか似てるよ」

 これは2人の男から見て妻か母親かという立場による、男が女に抱くイメージの違いを示している。

 そして3回目、路子の結婚式の帰り、1人でモーニング姿で現れた周平は「トリス」のストレートを注文。

マダム「お葬式ですか?」

周平「う~ん、まあ、そんなもんだよ」

マダム「あれ、かけましょうか?」

周平「頼む」

 流れる軍艦マーチが、一人娘を嫁にやった寂しさを増幅させる。そして、ストレート→水割り→ストレートと、シーン毎の「トリス」の強弱もシーンの内容にピタリとはまり、ドラマを盛り上げる脇役として貢献。さすが名匠は酒の使い方も一流である。

参考文献
日本洋酒酒造組合「酒類の統計」(http://www.yoshu.or.jp/statistics_legal/statistics/index.html
トリス サントリー(https://www.suntory.co.jp/whisky/torys/?fromid=001

【江分利満氏の優雅な生活】

「江分利満氏の優雅な生活」(1963)

作品基本データ
製作国:日本
製作年:1963年
公開年月日:1963年11月16日
上映時間:102分
製作会社:東宝
配給:東宝
カラー/サイズ:モノクロ/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督:岡本喜八
脚色:井手俊郎
原作:山口瞳
製作:藤本真澄、金子正且
アニメーションデザイン:柳原良平
撮影:村井博
美術:浜上兵衛
音楽:佐藤勝
録音:矢野口文雄
整音:下永尚
照明:山口偉治
編集:黒岩義民
製作担当者:坂本泰明
助監督:山本迪夫
スチール:田中一清
光学撮影:真野田幸雄、飯塚定雄
キャスト
江分利満:小林桂樹
夏子:新珠三千代
庄助:矢内茂
明治:東野英治郎
みよ:英百合子
矢口純子:横山道代
佐久間正一:中丸忠雄
ピート:ジェリー伊藤
赤羽常務:松村達雄
坂本和子:南弘子
泉俊子:桜井浩子
柴田ルミ子:八代美紀
田代:二瓶正也
小宮:小川安三
川村:西条康彦
柳原:天本英世
辺根:江原達怡
ミチ子:田村奈己
マスター:草川直也
トンちゃん:河美智子
トシコ:森今日子
ヨシ江:北あけみ
寛子:柳川慶子
ナポリの女:塩沢とき
香具師:砂塚秀夫
川田野医師:堤康久
松本上等兵:長谷川弘
江分利の兄:平田昭彦
江分利の弟:太刀川寛
江分利の弟の妻:芝木優子
会葬者:沢村いき雄
看護婦:紅美恵子

(参考文献:KINENOTE)


【秋刀魚の味】

「秋刀魚の味」(1962)

作品基本データ
製作国:日本
製作年:1962年
公開年月日:1962年11月18日
上映時間:113分
製作会社:松竹大船
配給:松竹
カラー/サイズ:カラー/スタンダード(1:1.37)
スタッフ
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
製作:山内静夫
撮影:厚田雄春
美術:浜田辰雄
音楽:斎藤高順
録音:妹尾芳三郎
照明:石渡健蔵
編集:浜村義康
スチール:小尾健彦
キャスト
平山周平:笠智衆
平山路子:岩下志麻
平山和夫:三上真一郎
平山幸一:佐田啓二
平山秋子:岡田茉莉子
河合秀三:中村伸郎
河合のぶ子:三宅邦子
堀江晋:北龍二
堀江タマ子:環三千世
佐久間清太郎:東野英治郎
佐久間伴子:杉村春子
三浦豊:吉田輝雄
坂本芳太郎:加東大介
トリスバーのマダム:岸田今日子
「若松」の女将:高橋とよ
菅井:菅原通済
渡辺:織田政雄
佐々木洋子:浅茅しのぶ
田口房子:牧紀子
酔客A:須賀不二男

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。