「寝ずの番」の食べ物と踊り

[171]映画と落語と食事の深い関係(4)

前回に引き続き、落語界を舞台とした作品と、その中に登場する落語と食事を取り上げていく。

三代目マキノの矜持

2006年製作の「寝ずの番」は、上方落語の六代目笑福亭松鶴一門をモデルにした中島らもの短編小説集を原作に、俳優の津川雅彦がマキノ雅彦名義で初監督した作品である。

マキノ監督の祖父は日本映画の父と呼ばれた牧野省三、叔父マキノ雅弘も本シリーズの第2回で紹介した「江戸っ子繁昌記」(1961)をはじめ日本映画の黄金時代を築いた監督の一人というカツドウ屋の家系。津川がマキノを名乗るということは、歌舞伎や落語といった日本の古典芸能に見られる名跡の継承と同じような意味を持ち、覚悟のほどがうかがえる。また、師匠役の笑満亭橋鶴は監督の兄・長門裕之、末弟子の橋七の妻・美紀は娘の真由子が演じ、後半には松鶴の弟子、笑福亭鶴瓶が出演しているのも楽しみの一つである。

青春の“カオリフェ”

映画の前半は、臨終の際にあるものが見たいと言ったことから大騒動となった流れのまま天国に旅立った橋鶴師匠の通夜の晩、妻の志津子(富司純子)、長男の橋弥(岸部一徳)とその妻多香子(土屋久美子)ら家族と、一番弟子の橋次(笹野高史)、二番弟子の橋太(中井貴一)とその妻茂子(木村佳乃)、弟子橋枝(木下ほうか)ら一門が集い、寝ずの番をしながら師匠の思い出話をするというもの。

その食事の支度、盃のやりとりなど食事の場面がベースとなる。橋枝は通夜の精進料理に昆布(よろこぶ)や鯛(めでたい)は禁物等、葬儀の作法にやたらとうるさく、茶髪で一見自由そうに見えて杓子定規な一面を見せる。

しかし、食べる・飲む場面が多い半面、映画の大半は冒頭の「見たい」に始まって下半身に関する話の連続で、それが文化庁の芸術文化振興基金助成事業作品でありながらR15+指定を受けたゆえんとなっている。

たとえば、酒飲みで慢性的な下痢性だった師匠が教会での落語会で「地獄八景亡者戯」を演じている最中に便意を催し、急に話のテンポが早くなって通常なら1時間はかかるという大ネタを30分あまりで終わらせてしまった話。また、弟子たちと行った韓国料理屋で、メニューにある「カオリフェ」とはどんな料理かと尋ねる師匠に、橋太が「カオリ」は「エイ」で「フェ」は「刺身」のことだと教えるのだが、話のついでに自分の“初体験”の相手は「エイ」だったと衝撃の告白をする話などなど。

余談になるが、カオリフェを発酵させたものはホンオフェとも呼ばれ、北欧のシュールストレミング(本連載第165回参照)に次ぐ世界で2番目に臭い食べ物として知られている。「料理」を「ヨリ」、「調味料」を「チョミリョ」というように、韓国語と日本語では発音が似ているものが多い。ひょっとすると「カオリ」も「香り」と関係があるのかも知れない。

惜別の「かんかんのう」

師匠(中央)の遺体と肩を組んでラインダンス風「かんかんのう」を踊る弟子たち。
師匠(中央)の遺体と肩を組んでラインダンス風「かんかんのう」を踊る弟子たち。

このように下ネタの多い作品ではあるが、監督の品性のなせる技なのか、下品になる寸前で踏みとどまっており、エピソードの一つひとつが落語の破礼噺(ばればなし)のようになっているのはさすがである。

そして悪ノリが頂点に達するのは、本シリーズの第1回で紹介した「運が良けりゃ」にも登場した上方落語の演目「らくだ」の一場面である死人の「かんかんのう」のシーンである。

「らくだ」は、らくだとあだ名されるならず者がふぐに当たって死に、その兄弟分と名乗る博徒がたまたま長屋にやって来た屑屋を脅して使い走りとし、長屋衆から香典を、大家から酒と肴を、八百屋から漬物樽をせびるという筋で、大家が渋ると死人にかんかんのうを踊らせると脅して、遂には屑屋に死人を背負わせて本当にやって見せてしまう。

人物や場面が多く、かんかんのうでは大きな身振りもあり、その上、見せ場の一つが気弱そうな屑屋が酒と肴をやりながらだんだんとたちの悪い酔っ払いに変じて博徒と立場が入れ替わっていくくだりで、難しい大ネタとされる。

映画では、この噺を得意とした師匠に身を持って「らくだ」の演技を教わるべく、弟子一同が師匠の硬直した亡骸を抱きかかえ、三味線の伴奏に合わせて一緒に踊るのである。

「かんかんのう」は、江戸時代に中国の俗謡「九連環」が日本に伝わりローカライズされて大流行したもので、歌詞は時代や地域によって微妙に異なるが、本作で披露されたものは以下のようなものである。

かんかんのう きゅうれんす

きゅうはきゅうできゅう さんしょならえ

(以下略)

元々は中国語で九連環(九つの輪の付いた中国の知恵の輪)を歌ったものであるが、日本人は歌詞の意味よりも、韻を踏んだような語呂の響きを楽しんだものと思われる。いわば江戸時代のラップミュージックといったところか。

本作での「かんかんのう」は、本来の踊りのスタイルが次第にラインダンスのような動きに変わっていく。それは19世紀にフランスで流行りジャン・ルノワール監督の映画にもなった「フレンチ・カンカン」(1954)のようにも見える。先代・マキノ雅弘監督の十八番であり、当代・マキノ雅彦も本作のメンバーを引き続き使って2008年にリメイクした「次郎長三国志」シリーズ(本連載第23回参照)の親分子分の関係にも似た、大家族的な師弟関係を築いた師匠への感謝と惜別のこもったダンスである。

しかし、この寝ずの番はほんの序の口に過ぎなかったのである……。

平成は落語ブームだった

本作以降、現在に至るまで落語界を舞台とした映画は数多く製作されている(表参照)。映画以外にも、落語が小説、漫画、舞台、TVドラマ等の題材になったり、落語の興行自体も従来の寄席だけではなく多様化しており、平成の落語ブームとも呼べる活況を呈しているのは喜ばしいことである。

落語を題材にした映画にスポットを当て、食との関わりについて考察するシリーズは今回でいったん結びとする。平成もこれから大トリの1年。次の時代のことは誰にもわからないが、前回紹介した「の・ようなもの」(1981)の志ん魚のセリフで本稿を締めたいと思う。

「落語が終わる時は、日本も終わる時だよ」

●「寝ずの番」以降の落語を題材とした邦画

タイトル製作年度監督出演者備考
寝ずの番2006年マキノ雅彦中井貴一、木村佳乃原作中島らも
しゃべれども しゃべれども2007年平山秀幸国分太一、香里奈原作佐藤多佳子
落語娘2008年中原俊ミムラ、津川雅彦原作永田俊也
落語物語2011年林家しん平ピエール瀧、田畑智子原作:林家しん平
TOKYOてやんでぃ2012年神田裕司ノゾエ征爾、南沢奈央原作: うわの空・藤志郎一座
もういちど2014年板屋宏幸林家たい平、福崎那由他
の・ようなもの のようなもの2016年杉山泰一松山ケンイチ、北川景子本シリーズ第3回参照
ねぼけ2016年壱岐紀仁友部康志、入船亭扇遊


【寝ずの番】

作品基本データ
製作国:日本
製作年:2006年
公開年月日:2006年4月8日
上映時間:110分
製作会社:光和インターナショナル
配給:角川ヘラルド映画
カラー/サイズ:カラー
スタッフ
監督:マキノ雅彦
脚色:大森寿美男
原作:中島らも「寝ずの番」
企画・製作:鈴木光
プロデューサー:坂本忠久、林由恵
撮影:北信康
美術:小澤秀高
装置:御所園久利、三上敏也
装飾:山田好男
音楽:大谷幸
音楽プロデューサー:長崎行男
主題歌:A.cappellers
録音:阿部茂
音響効果:伊藤進一
照明:豊見山明長
編集:田中愼二
衣裳:宮本まさ江
三味線演奏・指導:本條秀太郎、本條秀五郎
出囃子:桂吉朝、桂吉弥
製作担当:黛威久
助監督:中西健二
スクリプター:黒河内美佳
スチール:安保隆
特殊造型:神田文裕
振付:猿若清三郎
題字:緒形拳
落語指導:桂吉朝、桂吉弥
語り指導:猿若清三郎
キャスト
笑満亭橋太:中井貴一
茂子:木村佳乃
志津子:富司純子
笑満亭橋鶴:長門裕之
笑満亭橋弥:岸部一徳
笑満亭橋次:笹野高史
笑満亭橋枝:木下ほうか
笑満亭橋七:田中章
鉄工所の社長:堺正章
多香子:土屋久美子
美紀:真由子
小田先生:石田太郎
田所:蛭子能収
医者:角野卓造
漁師:玄海竜二
ガイドのミリアム:イーデス・ハンソン
橋本さん:梅津栄
吉野さん:浅利香津代
バーの女:高岡早紀
タクシーの運転手:春田純一
弔問客:桂三枝
弔問客:笑福亭鶴瓶
弔問客:浅丘ルリ子
弔問客:米倉涼子
弔問客:中村勘三郎
看護婦:川津春
駅員:川井つと
漫才師A:香川けんじ
漫才師B:香川まさし

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。