「74歳のペリカンはパンを売る。」の主食パン

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現在公開中の「74歳のペリカンはパンを売る。」は、1942年に東京・浅草近くの寿町に創業した老舗パン屋「ペリカン」に取材したドキュメンタリーである。

10倍に広げるより10分の1に集中する

「ペリカン」の主力商品である食パンとロールパン
「ペリカン」の主力商品である食パンとロールパン

「ペリカン」の特徴は食パン(角型・山型)、ロール(中・小)、中丸(バンズ)、ドック(コッペパン)という主食パンに絞ったラインナップにある。

 創業当初はアンパンやジャムパン、クリームパンといった菓子パンも作っていたが、戦後間もない1949年、二代目店主の故・渡辺多夫さんが喫茶店やホテルに卸す主食パンのみの製造に切り替え、店名も「渡辺ベーカリー」から「ペリカン」に改めた。他店との競合を避け、戦争で途絶えていた喫茶店の復活をにらんだ決断だった。そして庶民にパン食が普及した高度成長期の1965年には一般向けの小売を再開。次第に評判が広がり、現在では確実に購入するには予約が必要という、行列のできる下町の名物パン屋になっている。

「もし自分に10の力があるのなら、それで100のものを作るよりも1つのものを作る」(二代目・多夫さんの言葉)

 マーケティングやブランディングということがまだ言われる前の時代、他店が菓子パンや調理パン等、売れるパンの種類を増やしていく中、主食パンにターゲットを絞って商品力を高め、不変のブランドを築いていくという“選択と集中”の経営戦略を実践し結果を出した二代目の先見の明に驚かされる。そして二代目の経営哲学は、多夫さんの孫で30歳の若さの四代目店長、陸さんにまで受け継がれている。

ニッポンの主食パン

 日本の食パンは、明治時代にヨーロッパから伝わったものが起源だが、材料の配合や製法を工夫することで、日本人好みのものに作り変えられてきた歴史がある。白くて軟らかく、毎日食べても飽きのこない、ご飯のような存在。一点集中によって完成させた味を長年守り続けてきた「ペリカン」のパンは、その究極と言えよう。もちもちとした食感と、噛めば噛むほど甘くなる食味は、まさに白いご飯。そのままでもよしトーストにしてもよし、バターやジャムをつけてもよし、サンドイッチやホットドッグ、ハンバーガーにしてもおいしい。こうした楽しみ方のバリエーションの豊富さもご飯と同じである。

もっと「ペリカン」のパンのことが知りたい

 ただ、このように素晴らしい「ペリカン」のパンの魅力を、残念ながら本作は生かし切れていないように感じた。

 まず浅草界隈の描き方が、雷門、浅草寺、仲見世通り、隅田川の屋形船といった外向けのステレオタイプに収まっていること。「ペリカン」のある寿町は、浅草の中心部よりも上野寄りのかっぱ橋道具街や仏壇通りに近く、多彩な下町文化が「ペリカン」という唯一無二の存在を生み育んだことに踏み込んで欲しかったところである。

 また、このドキュメンタリーを作る最大の目的は、「ペリカン」のパンがなぜおいしいのか、その秘密に迫ることではないか。その観点からすると突っ込みが足りないように感じた。

 店の奥にある工場でのパン作りを映してはいるのだが、よく見ると出来上がった生地を成形したり型に入れたり焼いたりする後半の工程しか映っておらず、前半のミキシングや一次発酵の工程がすっかり抜け落ちている。恐らく材料の配合比率や発酵のさせ方に秘密があるのではないかと推測するが、ここはきちんと映すか、あるいは現在の「ペリカン」でいちばんの古株で実質的な製造責任者であるパン職人の名木博行さんから、お決まりのコメントで済ませずに、「ペリカン」の秘密を聞き出して欲しかったところである。

 本作のキーパーソンである二代目店主の故・渡辺多夫さんがクレジットの一番最初に出てくるものの、関係者へのインタビューでしかその人となりを知ることができないのも痛い。生前にメディアの取材を受けているはずなので、秘蔵映像等があれば発掘してもらいたかった。

 注文ばかりになってしまったが、製作スタッフの皆様にはドキュメンタリーとしては最高の素材であるこの老舗パン屋を、ぜひ今後も追いかけていっていただきたいと、期待を込めて苦言を呈する次第である。


【74歳のペリカンはパンを売る。】

公式サイト
http://www.pelican-movie.tokyo/
作品基本データ
ジャンル:ドキュメンタリー
製作国:日本
製作年:2017年
公開年月日:2017年10月7日
上映時間:80分
製作会社:制作プロダクション:ポルトレ
配給:オルケスト
スタッフ
監督・編集:内田俊太郎
企画・製作・撮影:石原弘之
撮影協力:市川玲・坂井田俊
照明:木村文昭
デザイン:西嶋裕之
カラーグレーティング:柳田真司
音楽:Taro peter little
スチール:草野庸子
整音:ハイブリッド・サウンドリフォーム
キャスト
パンのペリカン 二代目店主:渡辺多夫
パンのペリカン 四代目店長:渡辺陸
パンのペリカン パン職人:名木広行
スタイリスト:伊藤まさこ
東京製菓学校 パン科講師:中島進治
東洋メンテナンス:平賀東洋一
ドゥ・コンサルティング 代表:保住光男
ミュージシャン:中村ノルム
珈琲アロマ マスター:藤森甚一
SPLENDOR COFFEE 店長:清水英貴
立忠製印所:立林忠夫・立林美津恵
寿四丁目青年会 会長:柿崎哲也
丸の内ブランドフォーラム 代表:片平秀貴
協力:ペリカンで働くみなさま

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。