「愛と哀しみの果て」のコーヒー栽培と天才料理少年

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今回は1985年製作の「愛と哀しみの果て」を通して、植民地時代のアフリカでのコーヒー栽培等について述べていく。

ミルクよりもコーヒー

 本作の原作となったのは、「バベットの晩餐会」(本連載第61回参照)等の著作で知られるデンマークの女流作家カレン・ブリクセンが自らの経験をもとにアイザック(イザク)・ディネーセン名義で1937年に発表した回想録「アフリカの日々」(原題「Out of Africa」)、およびジュディス・サーマンによるアイザックの伝記「Isak Dinesen: The Life of a Storyteller」、エロール・トルゼビンスキーの「Silence Will Speak」である。

 監督はラブストーリーの「追憶」(1973)、「出逢い」(1979)、社会派ドラマの「コンドル」(1975)、「スクープ・悪意の不在」(1981)、から「トッツィー」(1982)のようなコメディまで器用にこなす職人シドニー・ポラックで、メリル・ストリープとロバート・レッドフォードという2大スターが共演した大作である。第58回アカデミー賞で作品・監督・脚色・撮影・美術・録音・作曲の7部門で受賞する等、内容的にも高い評価を得ている。

 1913年、デンマークの裕福な家に生まれながら婚期を逃していたカレン(ストリープ)は、友人のスウェーデン貴族のブロル・ブリクセン男爵(クラウス・マリア・ブランダウアー)と打算的な結婚を決め、翌1914年に彼女が6,000エーカー(約24平方キロメートル)の土地を所有する東アフリカのケニアヘと旅立つ。そこで彼女は酪農をするつもりだったが、ブロルは彼女に相談せずにコーヒー栽培を始めると決めており、自分は狩りに出かけて戻って来ない始末。おまけにコーヒーは苗木から収穫まで4年もかかると聞き、彼女は途方に暮れてしまう。

 カレンの所有する土地があるケニアの首都ナイロビ郊外のンゴングの丘は、海抜6,000フィート(約1,830m)以上の高地にあるため、北欧の酪農王国デンマーク出身の彼女は牧草等の飼料作物しか育たないと思ったのかも知れない。「ブルーマウンテン」や「キリマンジャロ」といった山の名前がコーヒーの銘柄になっていることが示すように、標高1,200m以上など高地であるほど香り高く上質のコーヒーが穫れるなどとも言われるが、確かにカレンの土地はコーヒー園とするにはやや高過ぎる印象がある。とは言え、赤道の南100マイル(約160㎞)に位置しながら暑過ぎず寒過ぎず、雨がほどよく降り、水はけのよい火山性土壌という環境は、むしろコーヒー栽培に適していると言える。実際、現在もケニア中部の高地は高級アラビカ種の産地として知られているのだ。

 さて、カレンたちがケニアに入った年は第一次世界大戦勃発の年であり、彼らもその影響を受けることになった。当時のケニア等の宗主国イギリスとドイツ領東アフリカとの間で戦闘が発生し、ブロルは志願してイギリス側についた。そうして夫の不在が続く中、カレンはコーヒー農園で働くこの土地の民族キクユ族との文化の違いに戸惑いながら、知識も経験もなかった農園の経営に情熱を傾けていく。

 映画では、このストーリーと並行して、人力による耕起から育苗、移植、日よけ、剪定、収穫、選別、果肉除去、発酵、乾燥、格付け、袋詰めまでのコーヒー栽培・加工の工程が描かれていて、我々が知るコーヒー豆が出来るまでを知ることができる。

 そしてやっと豊作になった年、思わぬ悲劇がカレンのコーヒー農園を襲う……。

キクユ族の“天才料理少年”

キクユ族の“天才料理少年”カマンテ(右)は、フォークでメレンゲを泡立てる
キクユ族の“天才料理少年”カマンテ(右)は、フォークでメレンゲを泡立てる

 本作は、レベルの異なる二つの要素を関連付けながら描いているように思える。一つは、カレンがブロルとの冷めた夫婦関係の中で出会ったハンター、デニス・フィンチ・ハットン(レッドフォード)との愛と葛藤というメロドラマの側面であり、今一つは、本来はアフリカ諸民族の土地であるこの大陸を植民地にして住み着いた“よそ者”である西洋人が、決して手に入れることのできない“アフリカの真実”である。それを体現しているのが彼女がサバンナで出会うライオンであり、遊牧民のマサイ族であり、コーヒー農園で働くキクユ族の人々である。

 土地の民族に対して偏見を持つ白人が多い中、カレンはキクユ族の使用人たちにできる限りの便宜を図り対等に接しようようとする――族長のキナンジュ(ステファン・キナンジュ)を頂点とするコミュニティを尊重し、空き地を貸し与え、ケガや病気の治療や子供の教育の面倒を見るなど。だが、それでも彼らのすべてを理解することはできない。

 たとえば、カレンが最も気を配ったキクユ族の少年、カマンテ(ジョセフ・シアカ)は、天賦の料理の才能を発揮して彼女を驚かせるが、そのアプローチは「バベットの晩餐会」のバベットのそれとは全く異なっている。

カマンテは大変な数にのぼる料理法をそらでおぼえていた。字は読めないし、英語もわからないので、料理の本は役に立たない。(中略)その料理法をおぼえた日におこった出来ごとと結びつけてカマンテは料理に呼び名をつける。樹に雷が落ちたソースとか、灰色の馬が死んだソースとか……。

アイザック・ディネーセン「アフリカの日々」(晶文社、横山貞子訳)より

 メレンゲを作るのにフォークを使うカマンテにカレンは泡立て器を与えるが、彼女が立ち去ると再びフォークを使って白身を泡立てる台所のシーン、新鮮なレタスに鶏の胸肉という彼女のメニューの指示に背いて、お客がカレンとデニスの共通の友人、バークレー・コール(マイケル・キッチン)と聞くと彼に合った料理を自分で考え、絶品の魚料理を出すディナーのシーン等には、“文化の違い”という一言ではくくれないアフリカ人のものの見方、考え方が如実に表れているように感じた。

 そして本作の中で唯一それを理解していたヨーロッパ人が、何者にも――たとえそれが愛する人であっても――束縛されずに自由に生きるデニスであり、彼が最後までその生き方を全うしたのが印象的だった。


【愛と哀しみの果て】

作品基本データ
原題:Out of Africa
製作国:アメリカ
製作年:1985年
公開年月日:1986年3月8日
上映時間:161分
製作会社:ミラージュ・プロ
配給:ユニヴァーサル=UIP
カラー/サイズ:カラー/ビスタ
スタッフ
監督・製作:シドニー・ポラック
原作:アイザック・ディネーセン、ジュディス・サーマン、エロール・トルゼビンスキー
脚色:カート・リュデューク
製作総指揮:キム・ジョーゲンセン
撮影:デイヴィッド・ワトキン
録音:クリス・ジェンキンス、ゲイリー・アレキサンダー、ラリー・ステンスヴォルド、ピーター・ハンドフォード
美術:スティーブン・グライムス
音楽:ジョン・バリー
編集:フレドリック・スタインカンプ、ウィリアム・スタインカンプ、ペンブローク・J・ヘリング、シェルドン・カーン
衣装デザイン:ミレーナ・カノネロ
キャスト
カレン・ブリクセン:メリル・ストリープ
デニス・フィンチ・ハットン:ロバート・レッドフォード
ブロル・ブリクセン男爵:クラウス・マリア・ブランダウアー
バークレー・コール:マイケル・キッチン
ファラー:マリク・ボウエンズ
カマンテ:ジョセフ・シアカ
キナンジュ:スティーブン・キナンジュ
デラメア卿:マイケル・ガウ
フェリシティ:スザンナ・ハミルトン
ベルフィールド伯爵夫人:レイチェル・ケンプソン
ベルフィールド伯爵:グレアム・クローデン
ジュマ:マイク・ブガラ

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。