「セッション」の“飴と鞭”

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アンドリューとジムの親子はレーズン入りのポップコーン片手に「男の争い」を観る
アンドリューとジムの親子はレーズン入りのポップコーン片手に「男の争い」を観る

今回は、現在公開中の話題作「セッション」を取り上げる。

 この作品はニューヨークの名門音楽大学を舞台に、一流のドラマーを目指す青年アンドリュー(マイルズ・テラー)と、彼を指導するフレッチャー教授(JK・シモンズ)との鬼気迫る師弟関係を描いたもので、第30回サンダンス映画祭でグランプリと観客賞を同時受賞した他、本年度のアカデミー賞では助演男優賞(シモンズ)と録音賞、編集賞の主要3部門を受賞している。

 ストーリーは、監督と脚本を務めたデイミアン・チャゼルの学生時代のジャズオーケストラのドラマーとしての体験が基になっており、劇中曲のタイトルでもある原題の「WHIPLASH」は、「鞭打ち」という意味を持つ。

レーズン入りのポップコーン

アンドリューとジムの親子はレーズン入りのポップコーン片手に「男の争い」を観る
アンドリューとジムの親子はレーズン入りのポップコーン片手に「男の争い」を観る

 映画は、放課後に一人居残ってドラムの練習をしているアンドリューにフレッチャーが声をかけるシーンから始まる。アンドリューの通うシェイファー音楽院は、全米屈指の音楽大学という設定で、その中でも権威ある指導者のフレッチャーに認められることは、成功への足がかりを意味していた。

 ほんの一瞬の出会いではあったが、アンドリューは有頂天でその夜父のジム(ポール・ライザー)と約束していた映画館へと向かう。そこで観る映画は1955年製作のジュールス・ダッシン監督作品「男の争い」。夜の宝石店に忍び込んだギャングたちの金庫破りを30分間台詞なしで映像のみで描いた緊張感あふれるシーンで有名なフレンチ・フィルム・ノワールの傑作であり、この映画の行く末を暗示させるタイトルでもある。それを観る前にアンドリューが館内の売店に立ち寄り、かねてから思いを寄せている売り子のニコル(メリッサ・ブノワ)に注文したのが、父親の好物であるレーズン入りのポップコーンである。

 ポップコーンは映画鑑賞のお供として定番の菓子で、日本でもシネコンなどで塩味やキャラメル味をはじめさまざまなフレーバーのものが販売されているが、レーズン入りと言うのは聞いたことがなかった。どうやらアメリカの映画館では、別売りのレーズンやグミキャンディをポップコーンに混ぜて食べるスタイルが存在するようである。実はアンドリューはレーズンが苦手で、父に合わせて混ぜたレーズンをよけてポップコーンを食べたりするところが、二人の親子関係を如実に表しているといえる。アンドリューの幼い頃に母親が夫と子供を捨てて家を出ていって以来、物書きの傍らハイスクールの教師をしながら男手ひとつで育ててくれた父は、アンドリューにとって母親代わりでもあった。そしてレーズンやキャンディが好物という甘党の父とは対照的に、雷親父にも比すべきフレッチャーとの関係は、激辛なものになっていくのである。

鬼軍曹のスパルタ指導

 ほどなくしてアンドリューはフレッチャーによる抜擢で、彼の指揮するスタジオ・バンドに招かれるが、そこからが地獄の日々の始まりであった。フレッチャーの指導は、厳しいという次元を超したもので、学生を肉体的にも精神的にも徹底的に痛めつけ、どん底にまで突き落とすという、いじめやいびりとしか思えないものだったのである。ここで、その一端を紹介してみよう。

  • 早朝の6時に集合をかけられたアンドリューが慌てて駆けつけると教室はもぬけの空。実際の開始時間は9時だった。
  • バンドのハーモニーを乱す犯人探しを行い、冤罪のスケープゴートを吊るし上げた上でバンドを辞めさせる。
  • ドラムのテンポが合わないと椅子を投げつけられ、頬を叩かれながらテンポを矯正させられる。
  • ふとした会話の中でリサーチしたアンドリューの家庭の事情につけこんだ言葉の暴力を浴びせる。
  • アンドリュー以外にライアン(オースティン・ストウェル)とカール(ネイト・ラング)という2人のドラマー候補を加えた3人を競わせ、明らかにアンドリューが優れているのに彼らの譜めくり役に甘んじさせたりする。また、イメージ通りのドラミングができるまでは、徹夜になろうがお構いなしに3人に交互に演奏を続けさせる。
  • ユダヤ系や有色人種、身体的欠陥に対する差別的発言は当たり前。

 このような彼の“指導”に耐え切れず、鬱になって自殺を図る者も出てくるが、フレッチャーには彼なりの信念があってこのようなことをしているのである。

 稀代のサックス奏者「バード」ことチャーリー・パーカーが10代の頃、リノ・クラブのジャム・セッションでミスを犯し、共演者のジョー・ジョーンズにシンバルを投げ付けられ、屈辱のうちにステージを下りた翌年、練習に没頭した成果を生かして同じステージで史上最高のソロを聴かせたエピソードを引き合いに出し、もしジョーンズがパーカーにシンバルを投げ付けてなかったら「バード」は生まれてなかったというのが彼の論理なのだ。

 ここでは、1987年製作のスタンリー・キューブリック監督作品「フルメタル・ジャケット」の前半、ベトナム戦争に向かう海兵隊のブートキャンプで新兵たちをスパルタ教育するハートマン軍曹(ロナルド・リー・アーメイ)を思い出さずにはおれない。彼もまた、人間性を廃した殺人マシーンを狂気の戦場に送ることを信念としての行動であり、目的は違えどそのパッションには共通するものを感じてしまうのである。

 そして「ほほえみデブ君」ことレナード二等兵(ヴィンセント・ドノフリオ)が鬼軍曹に感化されて狂気の道をひた走ったように、アンドリューもまた、伝説のドラマー、バディ・リッチのようになりたいという野望と、フレッチャーを見返したいという反骨心が暴走し、自爆へと突き進んでいく。

 そしてその果てに待つラスト9分19秒の「キャラバン」の演奏は、一切の思惑を超えて純粋に至高の音楽を求めるアンドリューとフレッチャーの二人にしかわからない世界が、まるでバディ・リッチが乗り移ったかのような高速ドラミングを生み出し、我々を感動させるのである。


【セッション】

公式サイト
http://session.gaga.ne.jp/
作品基本データ
原題:WHIPLASH
製作国:アメリカ
製作年:2014年
公開年月日:2015年4月17日
上映時間:106分
製作会社:Bold Films, Blumhouse Productions, Right of Way Films
配給:ギャガ
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督・脚本:デイミアン・チャゼル
製作総指揮:ジェイソン・ライトマン、ゲイリー・マイケル・ウォルターズ、クーパー・サミュエルソン、ジャネット・ブリル
製作:ジェイソン・ブラム、ヘレン・エスタブルック、ミシェル・リトバク、デビッド・ランカスター
撮影:シャロン・メール
美術:メラニー・ペイジス=ジョーンズ
音楽:ジャスティン・ハーウィッツ
編集:トム・クロス
衣裳デザイン:リサ・ノーシア
キャスト
アンドリュー・ニーマン:マイルズ・テラー
フレッチャー:J・K・シモンズ
ジム・ニーマン:ポール・ライザー
ニコル:メリッサ・ブノワ
ライアン・コノリー:オースティン・ストウェル
カール・タナー:ネイト・ラング

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。