「青いパパイヤの香り」のパパイヤ

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ベトナムの青パパイヤのサラダ「ゴイ・ドゥー・ドゥー」
ベトナムの青パパイヤのサラダ「ゴイ・ドゥー・ドゥー」

少し前の話になるが、昨年いっぱいで東京・新宿の歌舞伎町にある複合娯楽施設「新宿TOKYU MILANO」(旧新宿東急文化会館)と、同施設に入っていた日本最大の座席数1064を誇る映画館「新宿ミラノ座」と「新宿ミラノ2」「新宿ミラノ3」「シネマスクエアとうきゅう」の4館が閉館となった。

歌舞伎町の灯が消えた日

 これにより、最盛期には広場を取り囲むように林立していた映画館はすべて姿を消し、新宿コマ劇場跡地に建設中の新宿東宝ビルに入る都市型シネコン「TOHOシネマズ新宿」が今年4月にオープンするまで歌舞伎町地区の映画館は不在という事態になっている。シネコン全盛の現在、これも時代の流れとは思うが、若い頃に歌舞伎町で多くの名画に出会った者にとっては寂しい限りである。

 1956年に誕生した「新宿TOKYU MILANO」が58年の歴史に幕を下ろすに当たり、昨年の12月20日から31日まで「新宿ミラノ座より愛を込めて~LAST SHOW~」と題したさよならイベントが「新宿ミラノ座」で行われ、同館で公開された映画の中から厳選された24作品を上映(表1)、連日立見の出る盛況となった。前置きが長くなったが、今回はこの上映作品の中から1981年にオープンし当時のミニシアターブームに先鞭を付けたシネマスクエアとうきゅうで1994年に公開された「青いパパイヤの香り」を紹介させていただく。

日付作品1作品2作品3作品4
12月20日ET 20周年記念特別版戦場のメリークリスマス荒野の七人
12月21日マトリックス新世紀エヴァンゲリオン劇場版Air/まごころを、君にエグゼクティブ・ディシジョン
12月22日銀河鉄道999さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅アラビアのロレンス 完全版
12月23日セーラー服と機関銃時をかける少女探偵物語
12月24日男たちの挽歌エクソシスト ディレクターズ・カット版タワーリング・インフェルノ
12月25日ポーラー・エクスプレス戦場のメリークリスマス新世紀エヴァンゲリオン劇場版Air/まごころを、君に
12月26日青いパパイヤの香り仕立て屋の恋
12月27日荒野の七人銀河鉄道999さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅アラビアのロレンス 完全版
12月28日インファナル・アフェアインファナル・アフェア 無間序曲インファナル・アフェア 終極無間ディパーテッド
12月29日ハンニバル男たちの挽歌エクソシスト ディレクターズ・カット版スワロウテイル
12月30日マトリックス青いパパイヤの香り新世紀エヴァンゲリオン劇場版Air/まごころを、君にタワーリング・インフェルノ
12月31日荒野の七人ET 20周年記念特別版

野菜としてのパパイヤ

ベトナムの青パパイヤのサラダ「ゴイ・ドゥー・ドゥー」
ベトナムの青パパイヤのサラダ「ゴイ・ドゥー・ドゥー」

 本作は、村上春樹原作の「ノルウェイの森」(2010)の映画化で知られるベトナム出身でフランス育ちの映画監督トラン・アン・ユンの初長編劇映画であり、第46回カンヌ国際映画祭ではカメラ・ドール(新人監督賞)を受賞している。1951年から1960年代にかけての南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチミン市)を舞台にしているが、撮影は現地ロケではなく、すべてパリ郊外のセットで行われた。

 物語は10歳の娘ムイ(リュ・マン・サン)がサイゴンのある裕福な家に女中奉公に入るところから始まる。その家は働かずに琵琶ばかり弾いている家出癖のある父(トラン・ゴック・トゥルン)と、布地屋を営んで家計を支える母(トルゥオン・チー・ロック)、祖父が死んで以来お祈りばかりしている祖母、社会人になった長男チェン、中学生の次男ラム、小学生の三男ティンの六人家族だった。一家にはトーというムイと同い年の娘がいたのだが、彼女は父の家出中に病死していまい、そのせいか母はムイのことを娘のように可愛がるのだった。

 まずムイは先輩女中のティー(グエン・アン・ホア)から料理を教わる。ティーは野菜は強火でさっと炒めること、雇い主たちに出す料理は見栄えよくすること、おかずが少ない時は塩分を多めにしてごはんが食べられるようにすることなどをムイに教える。

 この家の庭に生えているパパイヤも食材として使われる。日本では熟した実を果物として食べることが多いが、タイやベトナムをはじめとした東南アジアでは未熟な青い実を千切りにしてサラダや炒め物に使う野菜的な材料としても使われている。沖縄料理のパパイヤイリチー(パパイヤチャンプルー)もその炒め物の一種である。

 劇中では仕事に慣れてきたムイが、皮を剥いた大きなパパイヤの実を包丁で叩いて細かい切れ目を入れ、これを削いで千切りにするという手際の良さを見せている。これにパクチー(コリアンダー)などを和えてニョクマム(魚醤)ベースのたれをかけたものが、ベトナムでゴイ・ドゥー・ドゥー(タイではソムタム)と呼ばれる青パパイヤのサラダである。

エロスの象徴としてのパパイヤ

 しかしこの映画のパパイヤは、ただの食材にとどまらず、少女から20歳の美しい女性に成長するムイ(トラン・ヌー・イェン・ケー)を象徴するかのような艶めかしい描かれ方をしている。パパイヤの葉や茎から滲み出る白い樹液や、パパイヤを千切りした後に残った米粒のような白い種を彼女が弄ぶ様子を舐めるように捉えたカメラワークは、説明は難しいが直接的な性的表現よりもエロチックな雰囲気を画面に漂わせる。

 それは彼女がチェンの友人でフランス留学経験もある新進音楽家のクェン(ヴァン・ホア・ホイ)に秘かな恋心を抱き、婚約者がいるにも関わらず料理の味も含めて彼を虜にし、結果的に婚約者から奪ってしまう玉の輿的な展開と無縁ではないと思われる。

まだ平和だった時代への郷愁

 この映画で描かれた1950年代~1960年代初頭のベトナムは、フランスの植民地支配からの独立戦争(第一次インドシナ紛争)、東西冷戦を背景とした南北分断独立を経て、アメリカが軍事介入(第二次インドシナ紛争=ベトナム戦争)を始める直前までにあたる(表2)。サイゴンには夜間外出禁止令は出ていたもののまだ平和であり、監督は少年時代にベトナム戦争の戦況悪化で離れざるを得なかった故郷への郷愁を込め、父母の世代の物語を描くことで自分のアイデンティティを確認したかったのだろう。

 そしてそれにパパイヤをはじめとする故郷の家庭料理の味も一役買っているのである。

出来事
1945ベトナム民主共和国(北ベトナム)成立
1946第一次インドシナ戦争開戦
1949フランスがベトナム国(南ベトナム)の独立承認
中国とソ連がベトナム民主共和国の独立承認
1954ジュネーブ協定、フランス撤退(第一次インドシナ戦争終結、南北分断)
南ベトナムはベトナム共和国に
1962アメリカがサイゴンに南ベトナム軍事援助司令部を設置
第二次インドシナ戦争(ベトナム戦争)開戦
1964トンキン湾事件
1965アメリカ、北爆開始
1968テト攻勢
パリ和平会談
1972アメリカ、北爆再開
1973パリ和平協定調印
1975サイゴン陥落、ベトナム戦争終結


【青いパパイヤの香り】

「青いパパイヤの香り」(1994)

作品基本データ
製作国:フランス ベトナム
製作年:1993年
公開年月日:1994年8月13日
上映時間:104分
製作会社:レ・プロダクション・ラゼネック
配給:デラ・コーポレーション
カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
スタッフ
監督・脚本:トラン・アン・ユン
製作総指揮:クリストフ・ロシニョン
製作:アドリーヌ・ルカリエ、アラン・ロッカ
撮影:ブノワ・ドゥローム
美術:アラン・ネーグル
音楽:トン・ツァ・ティエ
録音:ミシェル・ギファン
編集:ニコール・デデュー、ジャン・ピエール・ロケス
衣裳:ダニエル・ラファーグ
キャスト
ムイ(20歳):トラン・ヌー・イェン・ケー
ムイ(10歳):リュ・マン・サン
母:トルゥオン・チー・ロック
ティー:グエン・アン・ホア
クェン:ヴォン・ホア・ホイ
父:トラン・ゴック・トゥルン

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。