「恋人たちの食卓」のスープ

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家庭料理とは思えない豪華さ
チュ氏の作る晩ごはんは、家庭料理とは思えない豪華さである

秋は東京国際映画祭をはじめとして各種映画祭や特集上映が数多く催され、映画好きには堪えられない季節なのだが、その中の一つに今年で第5回となる「東京ごはん映画祭」がある。

はじめに(「第5回東京ごはん映画祭」より)

「東京ごはん映画祭」は「“食でつながる人と人を描いた映画”“ごはんが印象的な映画”を一堂に集め、“映画”と“ごはん”を愛する多くの人々の心と胃袋を満たし、いつもよりちょっといいごはんの時間を過ごしてもらう」(「東京ごはん映画祭」開催概要より)目的で行われているもので、映画館での上映だけでなく、上映作品に登場するごはんを食べながらの上映会やレストランでの上映会、映画に登場した食べ物を集めたフードコート「ごはんマルシェ」、オリジナルフード付きのミュージックライブなど、多彩なイベントになっている。

 気になる上映ラインナップだが、「エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン」(本連載第42回参照)「バベットの晩餐会」(本連載第61回参照)、「ディナーラッシュ」(本連載第71回参照)、「バチカンで逢いましょう」(本連載第73回参照)といった本連載で取り上げたことのある映画を含む19本で、こうしてごはん映画が一堂に会するところを見ると、まだまだ紹介していない作品がたくさんあるなと実感する次第である。

 それら未紹介の作品については順次折を見てご紹介することとして、今回は100種類以上にも及ぶ豪華な中国料理の数々が物語を彩る「恋人たちの食卓」(1994)を取り上げる。

料理長はベートーヴェン?

家庭料理とは思えない豪華さ
チュ氏の作る晩ごはんは、家庭料理とは思えない豪華さである

 本作は台湾出身でハリウッドに進出し、「いつか晴れた日に」(1995)、「グリーン・デスティニー」(2000)、「ブロークバック・マウンテン」(2005)、「ラスト、コーション」(2007)、「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」(2012)等で高い評価を得たアン・リーが母国で監督した初期の作品で、同じ俳優(ラン・シャン)を父親役に起用した「推手」(1991)、「ウェディング・バンケット」(1993)と共に「父親三部作」をなす作品群の三作目である。

 台北の一流ホテルの料理長を務めるチュ氏(ラン)は早くに妻と死別し、男手一つで3人の娘を育ててきた。高校教師の長女チアジェン(ヤン・クイメイ)、航空会社に勤める次女チアチエン(ウー・チェンリン)、大学生の三女チアニン(ワン・ユーウェン)と、日曜日には食卓に家族がそろって父の作った料理を囲むのがこの家のルールになっていて、映画はチュ氏がその支度をするシーンから始まっている。生簀を泳いでいた鯉や鶏小屋のニワトリが手際良く捌かれて料理へと変貌していく様や、さまざまな野菜をカットする見事な包丁捌きの一連の流れは、一篇の音楽のようである。

 こうして父が腕によりをかけた料理の数々がその夜の食卓に並ぶのだが、娘たちはそれぞれに自分の問題を抱えていてどこか上の空である。チアジェンは学生時代に失恋を経験して以来男性不信に陥り、クラシック音楽とカトリック信仰に傾倒して自分の殻に閉じこもっていた。一方、レイモン(チェン・チエウェン)という恋人のいるチアチエンは郊外の新築マンションを買って家を出ようと計画中。チアニンはアルバイト先のハンバーガーチェーン(ウェンディーズ)の同僚のボーイフレンド・クオルン(チェン・チャオロン)にモーションをかけていた。

 とくにチアチエンは幼い頃に父の仕事場に出入りし、将来は料理人になる夢を抱いていたが、成長と共に父から女には無理と厨房から締め出され道を絶たれたことを未だに恨んでいて、父の作ったスープにも「薫製し過ぎ、舌が衰えたんじゃない」と辛口のコメントを発する。

 しかしそれは事実だった。チュ氏は数年前から味覚が次第に鈍ってきており、長年の勘と視覚、嗅覚等の残りの感覚でそれを補っていたのである。仕事場での味見は長年の同僚で親友でもあるウェンに頼っていて、重要な宴席で出される予定のフカヒレの品質の悪さを見破り、アワビの料理に変更して事なきを得た機転も二人のチームプレイの成せる技だった。ウェンはチュ氏に「名コックは舌に頼らない。ベートーヴェンのようないい音楽家が耳を必要としないように」と慰めるのだった。

奇跡の生姜入りスープ

 そんなチュ氏と三姉妹にもやがて転機が訪れる。まずチアニンが夕飯の席でクオルンと結婚して妊娠した子供を産むと爆弾発言。父の手間隙をかけた料理とは最も遠いファストフードの仕事に従事する三女が真っ先に離れていくというのは象徴的である。

 続いて恋愛には最も縁遠いと思われていたチアジェンも、勤務先の高校で男子生徒の悪戯が巻き起こした偽ラブレター事件をきっかけに、新任のバレーボールのコーチのミンタオ(ルー・チンチョン)と急接近。彼の運転するバイクに乗って家を出て行くのだった。

 真っ先に出て行くと思われたチアチエンが最後に残ったのも皮肉だが、彼女も近々アムステルダムへの転勤が決まっていて、チュ氏は長年住み慣れた家族との思い出の詰まった家を手放すことを決める。そして中国料理のフルコースを並べた晩餐の席に新しく加わった家族を含めた一同を集め、彼自身の新生活のプランを明らかにするのである……。

 このように物語は食事のシーンを介して一家の離合集散を描くホームドラマ特有の展開を見せるのだが、最後に空き家となった家で料理への情熱を持ち続けていたチアチエンが父に彼女の手料理を振舞うシーンで生姜入りのスープが起こす奇跡は、実際に映画を観てご確認いただきたい。

近日公開「祝宴!シェフ」にも期待

 本作と同様に台湾を舞台に料理人の父娘が主人公の「祝宴!シェフ」が11月1日(土)より公開される。こちらも中国料理の絶品の数々が登場するとのことなので乞うご期待である。


【恋人たちの食卓】

「恋人たちの食卓」(1995)

作品基本データ
原題:Eat Drink Man Woman 飲食男女
製作国:台湾
製作年:1994年
公開年月日:1995年7月1日
上映時間:125分
製作会社:中央電影公司
配給:ヘラルド・エース=日本ヘラルド映画
カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
スタッフ
監督:アン・リー
脚本:アン・リー、ジェームズ・シェイマス、ワン・フィリン
製作:シュー・リーコン
撮影:ジョング・リン
美術:リー・フーシン
音楽:メイダー
編集:ティム・スキアーズ
キャスト
朱(チュ氏=父):ラン・シャン
家珍(チアジェン=長女):ヤン・クイメイ
家倩(チアチエン=次女):ウー・チェンリン
家寧(チアニン=三女):ワン・ユーウェン
李凱(リーカイ):ウィンストン・チャオ
国倫(クオルン=三女のBF):チェン・チャオロン
明道(ミンタオ=長女の恋人):ルー・チンチョン
雷蒙(レイモン=次女の恋人):チェン・チエウェン
錦栄(チンロン=隣人):シルヴィア・チャン
梁(リャン=未亡人):グァ・アーレイ

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。