今年の3月14日に公開されたアンデルセンの「雪の女王」をモチーフとしたディズニーアニメ「アナと雪の女王」は、7月16日現在の興行収入が249億円と国内歴代第3位となるメガヒット作品となっており、第2位の「タイタニック」(1997)の272億円も射程に捉えているが、今回はそのさらに上を行く304億円の歴代最高興行収入を記録した「千と千尋の神隠し」について述べていく。
宮﨑版「不思議の国のアリス」
本作は連載第56回で取り上げた「風立ちぬ」の宮﨑駿が原作・脚色・監督を務めたスタジオジブリ制作による2001年作品で、神々の棲む世界に迷い込んだ10歳の少女・荻野千尋(千)の冒険と成長を描いた“宮﨑版「不思議の国のアリス」”とも形容すべき世界観を持っている。興行的な成功だけでなく、世界三大映画祭の一つであるベルリン国際映画祭でアニメーション映画としては初となる最高賞の金熊賞を受賞するなど芸術的にも高く評価されている。
そして、数多く登場する食べ物絡みのシーンについてもファンの間でさまざまな解釈がなされるなど奥の深い作品である。その食にまつわるシーンをたどりながら、物語を振り返ってみよう。
豚になった料理と豚にならない薬
映画の冒頭、千尋の父の運転する車は引越し先の町に向かう途中で地蔵や祠の点在する森の中に迷い込み、赤い建物の前の車止めに行く手を阻まれる。千尋の静止を振り切って父母は建物のトンネルをくぐって行き、彼女も仕方なくそれについて行く。
トンネルの向こう側には草原が広がっていて、その先にある建物はバブル期に作られたテーマパークの廃墟のようにも見える。何やらうまそうなにおいに誘われて先に進むと、そこには食堂街があり、店先には北京ダック、豚の角煮、春巻、フカヒレやクラゲのように見える中華風の料理が並んでいた。
子供そっちのけで料理を貪り食う両親の異常な様子から、すでにここが現実の世界ではない感覚が伝わってくるのだが、案の状、テーマパークに見えた場所のメインの建物は日本古来の信仰で万物に宿るとされる八百万(やおよろず)の神を接待する湯屋(油屋)で、料理は神々に饗するために用意されたものだった。両親はそれに手を出した報いとして油屋の主人の魔女・湯婆婆(ゆばーば)によって豚の姿に変えられてしまう。
千尋も身体が消えかかるという窮地に陥るが、それを救ったのは湯婆婆の弟子で龍の化身・ハクであった。彼はこの世界のものを食べないと消えてしまう、これを食べても豚にはならないからと言って千尋に赤い丸薬を飲ませる。そしてこの世界では仕事を持たないと動物に変えられてしまうので、6本の腕と2本の足を持つ釜焚き担当の男・釜爺と湯婆婆に働きたいと頼むよう教えるのだった。
イモリの黒焼きと大根の神様とおにぎり
千尋は地下にあるボイラー室の釜爺のところに行くが、そこではすでに小さな妖怪ススワタリたちがたくさん働いていて、彼女の居場所はなかった。しかし根は優しい性格の釜爺は千尋のためにまかない飯(釜爺には天丼、ススワタリには金平糖)を運んできた湯女のリンに、湯婆婆のところに連れていくように頼んでくれた。
このとき釜爺がリンを買収するために渡したのがイモリの黒焼きである。これは一種の精力剤であり、油屋のきつい労働に従事する者たち全員の好物であった。
かくして千尋はリンの手引きで最上階にある湯婆婆の洋館までエレベーターで昇っていくのだが、その手助けをした神様が「おしら様」である。おしら様は東北地方などで信仰されていて岩手県の遠野などでは馬の神様として知られているが、本作では大根を擬人化したトトロに似たずんぐりむっくりした姿で描かれている。
湯婆婆の脅しに負けずに雇用契約を取り付けた千尋だったが、名前を奪われ「千」という新しい名前で湯女として働くことになる。
翌朝、豚に姿を変えた両親のいる豚舎にハクと共に行った帰り、ハクが彼女に差し出したのが千尋が元気になるようまじないをかけて作ったというおにぎりである。前日からの修羅場で何ものどを通らなかったひもじさと心細さが、ひとの温かい心に触れたことで涙腺が一挙に決壊し、彼女は大粒の涙をこぼしながらおにぎりを頬張る。そしてハクは彼女に本当の名前を忘れると元の世界に帰れなくなるから必ず覚えているようにと言い聞かせるのだった。
河の神の苦団子
その夜、ふたりの珍客が油屋を訪れる。ひとりは「腐れ神」というヘドロの塊のような姿をした凄まじい悪臭を放つ神で、千に世話役が言い付けられる。
もうひとりは「カオナシ」という、仮面を被り半透明の黒い身体を持った神でもなく妖怪でもない謎の存在。彼は油屋にかかる橋で千を見つけて以来ストーカーのように執拗に彼女につきまとう。
千はカオナシがくれた札を使って薬湯を出し腐れ神の汚れを流そうとするが、その身体には棘のようなものが刺さっていた。他の者たちの力も借りて引き抜くと、自転車から釣り道具までさまざまなゴミが体内から大量に出てくる。実は腐れ神の正体は河の神で、人間が捨てたゴミが原因でこのような姿になってしまったのである。
河の神は元の姿に戻してくれたお礼に千に緑色をした団子を渡し立ち去っていく。この苦団子は物語の後半で、暴走するカオナシが飲み込んだ油屋の従業員たちを吐き出させたり、湯婆婆の双子の姉の銭婆(ぜにーば)から魔女の契約印を盗んだことで死の呪いをかけられたハクの体内から毒虫を追い払ったりと、浄化の象徴として大きな役割を果たすことになる。
グロテスクを越えて
「アナと雪の女王」がもてはやされている中、今改めてこの作品を観てみると、清潔な優等生的な内容の「アナ雪」と比べ、ジブリアニメ特有の可愛いキャラクターデザインや久石譲の叙情的な音楽にカモフラージュされてはいるものの、グロテスクなシーンが多いことに驚かされる。これは「風の谷のナウシカ」(1984)や「もののけ姫」(1997)といった他の宮崎作品にも共通する特徴である。
そのような描写は子供が鑑賞する映画にはそぐわないと思われるかも知れないが、グリム童話などの例を引くまでもなく、おとぎ話とはそもそも残酷な要素を含むものであり、子供たちはそこから禁忌や教訓を学んできたという側面がある。現代はともすればそうした過激な描写から子供を遠ざける過保護な風潮があることを、本作では坊を甘やかす湯婆婆のエピソードなどで皮肉っているようにも見える。
こぼれ話
この映画の影の主役ともいえるカオナシのモデルは、スタジオジブリ所属のアニメーターで、現在公開中の最新作「思い出のマーニー」で監督を務めている米林宏昌とのことである(参考文献:シネマトゥディ http://www.cinematoday.jp/page/N0025267)。
【千と千尋の神隠し】
- 作品基本データ
- 製作国:日本
- 製作年:2001年
- 公開年月日:2001年7月20日
- 上映時間:125分
- 製作会社:徳間書店=スタジオジブリ=日本テレビ=電通=ディズニー=東北新社=三菱商事(制作 スタジオジブリ)
- 配給:東宝
- カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
- スタッフ
- 原作・脚色・監督:宮崎駿
- 映像演出:奥井敦
- 製作総指揮:徳間康快
- 製作:松下武義、氏家齊一郎、成田豊、星野康二、植村伴次郎、相原宏徳
- プロデューサー:鈴木敏夫
- プロデューサー補:石井朋彦
- 作画監督:安藤雅司、高坂希太郎、賀川愛
- デジタル作画監督:片アマ満則
- デジタル撮影:藪田順二、高橋わたる、田村淳
- 美術監督:武重洋二
- 美術監督補佐:吉田昇
- 音楽:久石譲
- 音楽プロデューサー:大川正義
- 主題歌:木村弓:(「いつも何度でも」)
- 録音演出:林和弘
- 録音:東京テレビセンター
- 整音:井上秀司
- 効果:伊藤道廣、野口透
- 編集:瀬山武司
- 製作担当:奥田誠治、福山亮一
- 制作担当:高橋望
- デジタル作画:泉津井陽一、軽部優、佐藤美樹、山田裕城、刀根有史
- 色彩設計:保田道世
- 色指定補佐:山田和子
- キャスト(声の出演)
- 荻野千尋:柊瑠美
- ハク:入野自由
- 湯婆婆、銭婆:夏木マリ
- 釜爺:菅原文太
- お父さん:内藤剛志
- お母さん:沢口靖子
- 父役:上條恒彦
- 兄役:小野武彦
- 青蛙:我修院達也
- 坊:神木隆之介
(参考文献:KINENOTE)