「大人ドロップ」と「火垂るの墓」のドロップ

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1940年代前半の「サクマ式ドロップス」(1988年復刻版)
1940年代前半の「サクマ式ドロップス」(1988年復刻版)

ドロップは、砂糖と水飴を煮詰めたものに香料を加え、色などを付けていろいろな形に固めたキャンディーの一種である(三省堂「大辞林」)。今回はこのドロップが重要な役割を果たした新旧の作品2本をご紹介する。

「大人ドロップ」の「カワイ肝油ドロップS」

河合製薬、河合薬業の「カワイ肝油ドロップS」
河合製薬、河合薬業の「カワイ肝油ドロップS」

 現在公開中の「大人ドロップ」は、デビュー作「さよならアメリカ」で第48回群像新人賞を受賞し、第133回芥川賞候補ともなった樋口直哉の青春小説(2007年、小学館文庫)を、「荒川アンダー ザ ブリッジ THE MOVIE」(2011)の飯塚健が監督した作品である。

 トム・クルーズと共演した「ラストサムライ」でデビューし、最近では三浦大輔監督の「愛の渦」(2014)に出演した池松壮亮と、「告白」(2010)、「桐島、部活やめるってよ」(2013)などの話題作に出演し、昨年の朝のテレビ小説「あまちゃん」でブレイクした橋本愛が主演を務め、伊豆の城ヶ崎にある高校に通う3年生の男女4人のひと夏の出来事を描いている。

 タイトルはさまざまな意味にとれるが、大人と子供の狭間にいる若者たちが大人にドロップする通過儀礼と筆者は解釈した。この場合のドロップとは「落ちる」というより、コンピュータ用語の「ドラッグ&ドロップ」の意味に近いと思われる。そしてその象徴として登場するのが河合製薬、河合薬業の「カワイ肝油ドロップS」である。

 実はこの肝油ドロップ、食品ではなく第2類医薬品であり、冒頭に述べたドロップの定義からは外れるが、薄く白い糖の衣に包まれて、噛むとねっちりとした歯ごたえがあり、バナナの風味が口いっぱいに広がる食感は、薬品と呼ぶには惜しいほど美味であり、その味を懐かしく覚えている読者の方も多いことだろう。

 魚(タラ)の肝臓を絞り、その油を凝縮した肝油にはビタミンA、Dが豊富に含まれる。河合製薬の創業者である薬学博士・河合亀太郎は、魚の生臭さを感じない服用しやすい肝油の研究を重ね、ゼリー状のドロップの形でビタミンを安定に保つ技術を開発。明治44(1911)年に「ミツワ肝油ドロップス」の名称で製造販売を開始した。その後、味や安定性などの改良を重ね、現在は魚油からの凝縮ではなく、日本薬局方に添って作られたビタミンA、Dを混合した原料で製造されている。黄色い缶でおなじみの「カワイ肝油ドロップS」は学校給食の栄養補助としても用いられ、ロングセラー商品となっている。

 映画は、高3の夏から10年後に主人公の浅井由(池松)と入江杏(橋本)がスーパーで肝油ドロップがきっかけとなる再会を果たしたところから始まる。肝油ドロップは、小学校の時に由が転校してきたばかりの杏に肝油ドロップをもらうシーンや、末期がんに冒された父親の介護のために高校を退学した杏を追って由と彼の親友で杏を慕うハジメ(前野朋哉)が新潟のホスピスを訪れるシーンで使用され、甘いけれども1日2粒までしか服用してはいけないという医薬品特有の事情もメタファーとなり、青春の痛みの表現に一役買っている。

「火垂るの墓」の「サクマ式ドロップス」

「サクマ式ドロップス」(赤缶)と「サクマドロップス」(緑缶)
佐久間製菓の「サクマ式ドロップス」(赤缶/左)とサクマ製菓の「サクマドロップス」(緑缶)

「大人ドロップ」ではもうひとつのドロップとして由の部屋にさりげなく「サクマ式ドロップス」の赤い缶が置かれていた。それを見て思い出したのが高畑勲監督の「火垂るの墓」である。

 太平洋戦争終戦前後の神戸を舞台に、戦災で親を失くした兄妹の過酷な運命を描いて第58回直木賞を受賞した野坂昭如の自伝的小説「火垂るの墓」(1968年 文藝春秋、新潮文庫)は、2005年にはTVドラマ化、2008年には実写で映画化されているが、とりわけ印象深いのがこの1988年製作のアニメーション版であることは衆目の一致するところだろう。

 本作でドロップは、主人公の清太(声:辰巳努)の妹、節子(声:白石綾乃)が大切にしている甘い菓子として登場する。これは空襲の後、清太が全焼した家の庭に他の食料と共に埋めておいた缶を掘り出して節子に与えたものである。母(声:志乃原良子)と家を失った兄妹は、海軍軍人として出征中の父の遠縁にあたる未亡人(声:山口朱美)宅に身を寄せるが、次第に疎まれるようになる。辛い日々の中、カラカラと音を立て、缶から一粒づつドロップを振り出しなめることと、夜に近所の蛍を見に行くことだけが節子の楽しみだった。

 いたたまれなくなった清太は妹を連れて未亡人の家を出、池の辺の壕で二人だけの生活を始める。しかし次第に生活は窮乏し、節子は栄養失調で衰弱していく。わずかに残ったドロップも水に溶かして飲んでしまい、妹はおはじきをドロップ代わりになめるようになる。清太は泥棒までして節子に滋養のあるものを食べさせようとするのだが……。

「アルプスの少女ハイジ」(1974)や「母をたずねて三千里」(1976)といったテレビの世界名作劇場でお茶の間の涙腺を絞った高畑監督は、本作ではアプローチを変え、徹底したリアリズムで戦争のむごさを描き出している。そんな中、兄妹の絆の象徴ともいえるドロップ缶のくだりと蛍の幻想的な光が観客には一縷の救いとして映るのである。

「サクマ式ドロップス」と「サクマドロップス」

1940年代前半の「サクマ式ドロップス」(1988年復刻版)
1940年代前半の「サクマ式ドロップス」(1988年復刻版)

 劇中に登場する「サクマ式ドロップス」は、千葉県長生郡の出身で和菓子の製造をしていた佐久間惣治郎が、英国より輸入されていたドロップをもとに明治41(1908)年に製造販売を開始したものである。キャンディは溶けやすいという常識を覆すため、製法や原料を変えて試行錯誤した結果、クエン酸を使用することで保存性を向上した「サクマ式製法」を確立した。

「火垂るの墓」の時代、太平洋戦争の激化と共に、東京池袋の本社工場、大阪工場、海外の満州工場は戦火のため灰燼に帰し、終戦前年の1944年に企業整備令によっていったん廃業に追い込まれるが、1948年に東京南多摩郡出身の実業家・横倉信之助が池袋に佐久間製菓を再興し、「サクマ式ドロップス」の製造を再開。1958年に発売した「キャンロップ」などもヒット商品となった。

 一方、前社長・山田弘隆の三男・隆重も恵比寿で製造を再開。サクマ製菓として「サクマドロップス」をはじめ「チャオ」(1964~)や「いちごみるく」(1970~)などのロングセラー商品を産み出した。今日まで佐久間製菓のサクマ式ドロップス(赤缶)とサクマ製菓のサクマドロップス(緑缶)の両方が存在するのはそのような事情によるものである。

 ちなみに現在の赤缶の中身はイチゴ、レモン、オレンジ、パイン、リンゴ、ハッカ、ブドウ、チョコの8種類、緑缶はイチゴ、レモン、オレンジ、パイン、リンゴ、ハッカ、メロン、スモモの8種類である。

 1988年には佐久間製菓より映画とタイアップした復刻版の缶が発売されている。

参考文献

河合薬品、河合薬業ホームページ
http://www.kawai-kanyu.co.jp
佐久間製菓ホームページ
http://www.sakumaseika.co.jp/
サクマ製菓ホームページ
http://www.sakumaseika.com/

【大人ドロップ】

「大人ドロップ」(2014)

公式サイト
http://otonadrop.jp/
作品基本データ
製作国:日本
製作年:2014年
公開年月日:2014年4月4日
上映時間:119分
製作会社:「大人ドロップ」製作委員会(製作プロダクション:ダブ)
配給:東宝映像事業部
スタッフ
監督・脚本・編集:飯塚健
原作:樋口直哉
キャスト
浅井由:池松壮亮
入江杏:橋本愛
ハル:小林涼子
ハジメ:前野朋哉

【火垂るの墓】

「火垂るの墓」(1988)

作品基本データ
製作国:日本
製作年:1988年
公開年月日:1988年4月16日
上映時間:88分
製作会社:新潮社
配給:東宝
カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
スタッフ
監督・脚本:高畑勲
原作:野坂昭如
企画・製作:佐藤亮一
プロデューサー:原徹
制作:スタジオジブリ
レイアウト:百瀬義行
キャラクターデザイン:近藤喜文
作画監督:近藤喜文
撮影監督:小山信夫
美術監督:山本二三
音楽:間宮芳生
音響監督・音響演出:浦上靖夫
整音:大城久典
音響効果:大平紀義、伊藤道広
編集:瀬山武司
制作デスク:押切直之
制作担当:上田真一郎
キャラクター色彩設計:保田道世
キャスト(声の出演)
清太:辰巳努
節子:白石綾乃
母:志乃原良子
未亡人:山口朱美

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。