映画の中の氷菓「三月のライオン」ほか

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「三月のライオン」(1992)。アイスキャンディーをかじるアイス(由良宜子)(絵・筆者)
「三月のライオン」(1992)。アイスキャンディーをかじるアイス(由良宜子)(絵・筆者)

「三月のライオン」(1992)。アイスキャンディーをかじるアイス(由良宜子)(絵・筆者)
「三月のライオン」(1992)。アイスキャンディーをかじるアイス(由良宜子)(絵・筆者)

いよいよ夏本番。アイスクリームや氷菓のおいしい季節である。映画の中でも「ローマの休日」(1953)のスペイン広場でオードリー・ヘップバーン扮するアン王女が食べるジェラートをはじめとして、さまざまなシーンで氷菓が印象的な使われ方をしているが、今回は異色作と言える2本を紹介する。

※以下「R18+」の作品を取り上げます。18歳未満の方の閲覧を禁止します。

アイスのクーラーボックス

「三月のライオン」は自主映画出身で「風たちの午後」(1980)でデビューした矢崎仁司の脚本・監督による1992年の作品である。

 兄と妹がいた。
 妹は兄を深く愛し、いつか兄の恋人になりたいと心に願っていた。
 或る日、兄が記憶を失った。
 妹は兄の記憶が戻るまで兄の恋人になることを決めた。
 氷の季節と花の季節の間に三月がある。三月は、嵐の季節……。
(冒頭のテロップより)

 妹ナツコ(由良宜子)は自らをアイス(愛すの隠喩?)と名乗る。兄ハルオ(趙方豪)を入院先の病院から連れ出して、あと2カ月で取り壊されるという湾岸地区の廃ビルに連れて行き、同棲生活を始める。アイスは売春をして稼いだ金でハルオを養い、ハルオも解体業者の見習いとして働き始める。

 アイスは極彩色に塗られた大きなクーラーボックスをいつも持ち歩いていて、その中に入ったアイスキャンディーをいつもかじっている。あたかも兄に対する熱い思いを冷ますかのように……。

 ハルオは日常生活の中で徐々に記憶を取り戻してゆく。アイスは、現在の幸せな時間が終わってしまうかもしれない不安にさいなまれ、精神のバランスを失ってゆく。そしてついに彼がすべてを思い出す時が来た……。

 近親相姦を描いているが不潔さはなく、兄を一途に思う妹と記憶を失って無垢に戻った兄の純愛にも似たラブストーリーとなっている。そしてある事情のために食べられなくなったアイスキャンディーを、ハルオがアイスに差し出すラストシーンは感動的ですらある。その事情とは、実際に映画をご覧になってお確かめいただきたい。

日活百年の苦闘

「(秘)色情めす市場」(1974)。「うちな、なんや、逆らいたいんや」と呟くトメ(芹明香/絵・筆者)
「(秘)色情めす市場」(1974)。「うちな、なんや、逆らいたいんや」と呟くトメ(芹明香/絵・筆者)

「(秘)色情めす市場」(1974)は「三月のライオン」でアイスの住むアパートの隣人として出演していた芹明香が主演を務めた日活ロマンポルノを代表する傑作の1本である。

 日活(にっかつ)ロマンポルノとは、今年創立百周年を迎えた日活が1971~1988年にかけて製作した成人映画の総称である。

 1912年(大正元年)に横田商会、吉沢商店、福宝堂、エム・パテー商会の国産活動写真4商社が合併して日本活動写真となった日活(同じ年にアメリカではParamount PicturesとUniversal Picturesがそれぞれ設立された)は、百年間連続して存続してきたわけではなく、戦時中は当局の指示で大映に製作部門を吸収され、日活として製作を再開したのは戦後の1954年のことであった。その後、石原裕次郎に代表されるスターによる日活アクション路線で一世を風靡するが、テレビの普及で映画の観客動員数が減少したことなどから経営難に陥り、低予算で観客を呼べるエロ路線に活路を求めた。これは一種の転落とも取れるが、皮肉なことに他社の撮影所システムが崩壊する中で唯一撮影所の製作スタイルを維持し、俳優とスタッフを育成しながらプログラム・ピクチャーを生産する場となった。

 性描写を最低3回入れるという条件だけで一流のスタジオ設備を使い、自由なテーマと演出で映画が撮れたことから、神代辰巳、田中登、曽根中生、小沼勝等の監督が、映画史に残る名作の数々を生み出し、後の日本映画を支える多くの才能を輩出した。本作は田中登が売春婦の日常を描いた大阪版「赤線地帯」第19回参照)である。後の監督へのインタビューによると、原題は「受胎告知」であったが、会社側の意向でこの扇情的なタイトルに決まったとのことだ。

大阪ドヤ街の夏

 このころの成人映画には珍しく、大部分がモノクローム映像(パートカラー)という異色作である。冒頭、通天閣を間近に臨む釜ヶ崎、夏の陽差しが容赦なく照りつける中、売春宿目的の小料理屋を営む百合(絵沢萠子)がかき氷を食べながら、フリーになるという売春婦のトメ(芹明香)を責め立てている。百合が去った後、トメが呟く「うちな、なんや、逆らいたいんや」。ここでのかき氷は大阪の夏の暑さを強調する要素の一つとして使われている。

 トメは今も売春婦をやっている母よね(花柳幻舟)と知的障害者の弟実夫(夢村四郎)と西成あいりん地区で一緒に暮らしている。トメと実夫はよねが誰とも知れぬ男との間に産んだ私生児であった。トメはキツイ性格だが実夫にだけは優しく接し、時には彼の下半身の世話までみていた。まるで自分の分身であるかのように。「長生きしてや。うち生まれる前から、ずっと一緒だった気するんや」。

 よねには銀二(小泉郁之助)という情夫がいて、ときどき家にやってくるが、ある日よねの留守にトメに金を渡してベッドを共にする。それをソフトクリームを舐めながらじっと見つている実夫は、母親的存在の姉を求める赤ん坊のようにも見える。

 銀二とトメの関係はよねの知るところとなる。年増でお茶を挽く(客がつかないこと)ようになった彼女の客がトメに流れたこともあって、よねは家を出ていってしまうが、自分が避妊に失敗して妊娠したことを知るとすぐに戻ってくる。堕ろす金を無心するよねにトメは言い放つ。「うちん時みたいにな、どこぞの路地で産めばええやんか」。

 よねは手術の金欲しさに客の金を奪って逃げようとするが捕まってしまい、痛めつけらている最中に流産してしまう。母の下半身から流れる血を見てトメは涙を流しながら言う。「うちもああやったんや、実夫もああやったんや」。そしてその夜、トメは実夫とついに一線を超える。「好きなようにしてええんや。好きなこと好きなだけしい。人間や思わんでええんや、うちは、うちはゴム人形なんや」。

 そして映像はカラーに変わり、真っ赤な太陽のアップを映し出す……。

「三月のライオン」と同様に近親相姦を描いているが、大阪の最貧困地区にたくましく生きる人々の発するガラの悪い大阪弁の効果もあって暗さはない。そして時折挿入される鮮烈なイメージが作品の芸術性を高めている。

こぼれ話

 にっかつロマンポルノはアダルトビデオに押されて1988年で終了、にっかつは「ロッポニカ」レーベルで一般映画製作を再開するが長続きせず、1993年に会社更生法の適用を受け事実上倒産した。経営母体が流転した末に現在では日テレ傘下の配給会社として存続している。

 先日、東京の渋谷で日活創立百周年特別企画として日活ロマンポルノのレトロスペクティブ(回顧上映)が催され、会場は連日満員の盛況であった。観客席には若い女性の姿も目立ち、筆者が場末の直営館でロマンポルノの終焉を見届けた頃とは隔世の感があった。

作品基本データ

【三月のライオン】

「三月のライオン」(1992)

製作国:日本
製作年:1992年
公開年月日:1992年6月10日
製作会社:矢崎仁司グループ
配給:アップリンク
カラー/サイズ:カラー/スタンダード
上映時間:118分

◆スタッフ
監督:矢崎仁司
脚本:宮崎裕史、小野幸生、矢崎仁司
製作:西村隆
撮影:石井勲
美術:溝部秀二
録音:鈴木昭彦
編集:高野隆一、小笠原義太郎
助監督:石井晋一

◆キャスト
ハルオ:趙方豪
アイス(ナツコ):由良宜子
おじいさん:奥村公延
おばあさん:斉藤昌子
アパートの主婦:芹明香
ソフト帽の男:内藤剛志
古いビルの主婦:伊藤清美
古いビルの亭主:諏訪太朗
ハルオの同僚・山本:掛田誠
お産婆さん:野本寿美子
ウサギの絵を見る男:長崎俊一
ラーメンの男:山本政志
ラーメン屋の出前:石井聰亙

【(秘)色情めす市場】

「(秘)色情めす市場」(1974)

製作国:日本
製作年:1974年
公開年月日:1974年9月11日
製作会社:日活映画
配給:日活
カラー/サイズ:パートカラー/ビスタ
上映時間:83分

◆スタッフ
監督:田中登
脚本:いど・あきお
製作:結城良煕
撮影:安藤庄平
美術:川崎軍二
音楽:樋口康雄
録音:木村壬二
照明:新川真
編集:井上親弥
助監督:高橋芳郎
スチール:浅石靖

◆キャスト
丸西トメ:芹明香
丸西よね:花柳幻舟
丸西実夫:夢村四郎
寺坂肇:岡本彰
平林文江:宮下順子
斉藤敦:萩原朔美
浅見:高橋明
百合:絵沢萠子
堀銀二:小泉郁之助

(参考文献:キネマ旬報映画データベース)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。