映画の中の食を鑑賞するコラム。今回紹介する「ワカラナイ」は、今年東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県気仙沼市唐桑町で2年前に撮影された。現代日本の格差社会と拡大する地方の貧困問題を背景に、母子家庭の少年が直面する過酷な現実を描いた作品である。
飢えが引き出した演技
頭を10度ほど右に傾け、掌をわずかに開いたまま腕を脱力した感じで垂らして歩く少年の姿を手持ちのカメラが全編にわたって繰り返し執拗なまでにとらえている。その姿は、少年の抱えた深い絶望と孤独を象徴しているかのようである……。
主人公の亮(小林優斗)は東北地方の海岸沿いにある田舎町に暮らす16歳の少年。両親は離婚し、母の伸子(渡辺真起子)と二人で細々と生活していたが、母が病に倒れ、長引く入院によって家計は逼迫。掘立小屋のような粗末な自宅は電気も水道もガスも止められてしまう。
切羽詰まった亮は、バイト先のコンビニでレジをごまかすようになる。電気の停まった薄暗い家の中で店から持ち帰ったおにぎりやサンドイッチに貪りつき、公園でペットボトルに汲んだ水で流しこむその姿は欠食児童そのものである。
監督の小林政広は、このリアルな演技を引き出すために亮役の小林優斗を撮影中ユースホステルに拘束し、撮影時以外の食事を禁止した。気の毒に思ったスタッフの一人がある日彼に食べ物を与えたところ、次の日の撮影で監督に「目の色が違う。何か食べただろう」と見抜かれ、スタッフともども厳しく叱責されたという。
古今東西、田中絹代が「楢山節考」(1958)で老婆を演じるために前歯を抜いたり(1983年のリメイク版でも坂本スミ子が同じことをしている)、ロバート・デ・ニーロが「レイジング・ブル」(1980)の役作りのために20kg体重を増やしたり、「アンタッチャブル」(1987)でアル・カポネを演じるために前髪を抜いたりといった前例はあるものの、作品のためにそこまでしなけければならないのが映画の厳しさである。しかしその甲斐あってか、憎悪を内に秘めたかのように鈍く光る黒い瞳と痩せこけた頬が飢えを如実に物語るシーンとなっている。
トリュフォーの記憶
亮のレジのごまかしは、同僚の木澤(柄本時生)の密告によって店長の知るところとなり、亮は店をクビになってしまう。そんな彼には現実をひととき忘れることのできる秘密の場所があった。海岸に係留された小さな青いボート。そこに彼は小さな箱を隠していた。その中に収めた、生き別れとなった父(小林政広)がいる東京の地図と、父と幼い頃の自分との写真を時折眺めることで、彼は空想の世界に逃避していたのである。
チキンラーメンやメロンパンを万引きして食いつないでいた亮に母の訃報が知らされる。悲しむ間も与えずに病院代や葬儀代の支払いを求める大人たち。その金額60万円。収入を失い貯金もない亮に払えるはずもない。やむを得ず亮は母の亡骸を病院から持ち出し、例のボートに乗せて海に葬るしかなかった。一人だけの葬送の儀式で亮は生まれたままの姿になり母に寄り添う。哀しくも美しい場面である。母と別れた亮は、父を訪ねて東京へと向かうが、そこでもまた厳しい現実が待っていた……。
この作品での亮に対する大人たちの情容赦のなさは尋常ではないものがある。ここでわれわれは、あるひとつの作品の名前を思い出すことになる。ヌーヴェル・ヴァーグの巨匠フランソワ・トリュフォーの長編デビュー作「大人は判ってくれない」(1959)。トリュフォーの自伝的内容と言われるこの作品における、ジャン・ピエール・レオー扮するアントワーヌ・ドワネル少年に対する大人たちの無理解ぶりは本作に相通じるものがある。トリュフォーをこよなく愛する小林監督がこの作品を意識して撮影に臨んだことは想像に難くない。
「父とアントワーヌ・ドワネルの思い出に」という献辞で締めくくられるこの作品のタイトル「ワカラナイ」の示すものは、「大人は判ってくれない」より能動的な「大人はワカラナイ」という少年から大人への異議申し立てではないだろうか。
作品基本データ
【ワカラナイ】
製作国 日本
製作年 2009年
公開年月日 2009/11/14
製作 モンキータウンプロダクション
配給 ティジョイ
上映時間 104分
カラー/サイズ カラー/スタンダード
◆スタッフ
監督・脚本 小林政広
製作 小林直子
ライン・プロデューサー 川瀬準也
プロデューサー 小林政広
撮影監督 伊藤潔
照明 藤井勇
録音 福岡博美
編集 金子尚樹
サウンド・デザイン 横山達夫
助監督 下田達史
主題曲/主題歌 いとうたかお
◆キャスト
小林優斗(川井亮)
柄本時生(木澤)
渡辺真起子(川井伸子)
小林政広(亮の父)
横山めぐみ(野口郁代)
小澤征悦(及川)
ベンガル(木村)