「ツィゴイネルワイゼン」――生と死の彼岸

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原田芳雄(絵・筆者)
原田芳雄(絵・筆者)

「ツィゴイネルワイゼン」の4人(絵・筆者)
「ツィゴイネルワイゼン」の4人(絵・筆者)

映画の中の食を鑑賞するコラム。今回は先ごろ亡くなった原田芳雄の代表作の1本を取り上げる。

 去る7月19日、俳優の原田芳雄が肺炎のため亡くなられた。享年71歳。今回は、無頼なイメージで1960年代の後半から数々の作品で印象的な演技を見せた原田の代表作の1本であり、先日公開された遺作「大鹿村騒動記」で久方ぶりの共演を果たした大楠(安田)道代も出演している「ツィゴイネルワイゼン」(1980)を取り上げる。

飯の匂いが招いた波紋

 本作の監督である鈴木清順は、アクション映画全盛の1960年代の日活で、ジャンル映画の制約の中でも独特な場面展開や色彩感覚を発揮し、「野獣の青春」「関東無宿」(1963)、「東京流れ者」「けんかえれじい」(1966)等の作品群は「清順美学」と称され、一部の熱狂的ファンを獲得した。

 ところが1967年の「殺しの烙印」で飯の炊ける匂いに欲情する殺し屋を登場させたことで当時の堀久作社長の逆鱗に触れ、「訳の分からない映画ばかり撮る」という理由で日活を解雇された。この事件では、抗議する映画人・知識人たちが「鈴木清順問題共闘会議」を結成するなどの波紋を呼んだが、清順自身はこれ以降1977年の「悲愁物語」まで10年近く不遇をかこつこととなった。

 その後、状況劇場出身のプロデューサーである荒戸源次郎と出会い、「悲愁物語」で組んだ原田芳雄を主演に迎え、初めてジャンル映画の枠にとらわれない自由な環境で撮ることができたのが本作である。公開時は「シネマ・プラセット」(配給会社名も同じ)と呼ぶ銀色のドーム型テントの中に映画館を設置するという特異な上映形態でも話題を呼んだ。

死の色は「赤」

「ツィゴイネルワイゼン」(1980)

――生きている人は死んでいて、死んだひとこそ生きているような。

むかし、男のかたわらにはそこはかとない女の匂いがあった。

男にはいろ気があった。

(公開時のコピーより)

 内田百閒 の短編「サラサーテの盤」を田中陽造(日活時代に清順が中心となって結成された脚本家グループである具流八郎の一人)が脚色した本作は、大正時代の鎌倉を舞台に、陸軍士官学校のドイツ語教師である青地(藤田敏八)と元教師の中砂(原田)、青地と中砂が旅先で出会う田舎芸者の小稲(大谷直子、中砂の妻・園と二役)、青地の妻周子(大楠)の4人の関係を軸に、生者と死者の境を描いた幻想的な内容となっている。

 この作品で原田は死に取り憑かれた男を演じている。冒頭の旅先の海岸での心中未遂に始まり(マントを身にまとい、トウモロコシを齧りながら溺死した相手の女の血で真っ赤に染まった蟹が股の間から出てくるのを見ている場面が印象的)、その後青地と立ち寄った宿で手づかみでうなぎを喰らいながら、服毒自殺した弟の葬式から帰ってきたばかりの小稲を呼び出し、弟の死の有様(血を吐かないように我慢して死んだため、骨の髄に血が溜まり、火葬した骨が桜色に染まっていた)と、透き通った骨のような白い肌にうっすらと血の赤が見える小稲の肉体に異様な興味を示し、青地に対して先に死んだ方の骨を引き取ろうと提案する。そして中砂が死んだ時、青地は知りあいの甘木医師に遺体から骨だけ取り出すことはできないかと相談することになる。

 一般的に死というと白い色をイメージしがちだが、この作品(清順作品全般に共通したことだが)では生のシンボルともいえる赤が異様に強調されていて、生と死の境目を曖昧にしている。

ちぎりこんにゃくと腐りかけの水蜜桃

原田芳雄(絵・筆者)
原田芳雄(絵・筆者)

 死に対する生を象徴する行為として、ラブシーンと共に食べる場面がストーリーの節目節目に挿入されている。とりわけ有名なのは、小稲そっくりの園を娶った中砂の家を青地が訪れてすき焼きを囲む場面と、中砂と密通を始めた周子が腐りかけの水蜜桃を食べる場面であろう。

 前者は、自分そっくりの小稲の話を聞かされる園が、しらたき代わりのこんにゃくをちぎる演技とクチャクチャという音が、単純に小稲に対する嫉妬の感情の発露にとどまらず、後に密通することになる青地との「契り」のメタファーとしても機能しており、中砂にスペイン風邪をうつされた園が今際の際につぶやく台詞にも生かされている。

 後者は、アレルギー体質で体中に蕁麻疹ができていた周子が「腐りかけが一番うまいのさ」という中砂と関係を取り結ぶことで体質に変化が生じ、腐敗寸前で中身がすべて蜜になり、甘味の中に毒の苦味が混じった水蜜桃を皮の裏まで舐めるように食べる様が印象的である。そして彼女は、中砂の持っていた演奏中にサラサーテが喋った声が録音されている珍品である「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを隠し持つことになるのである。

切り通しの向こうから

 青地を演じた藤田敏八の本業は映画監督であり、鈴木清順の日活の後輩にあたる。原田芳雄とは「新宿アウトロー ぶっ飛ばせ」(1970)、「野良猫ロック 暴走集団’71」(1971)、「赤い鳥逃げた?」(1973)、「修羅雪姫 怨み恋歌」(1974)等でコンビを組み、彼の持ち味を存分に引き出している。

 また、青地が中砂の家を訪ねる際に繰り返し通る切り通しは、鎌倉の釈迦堂で撮影された。現世と冥界の境界線のような幻想的な空間の向こうから、原田が「骨をくれ」と手招きしている空想をもって追悼の言葉としたい。

作品基本データ

【ツィゴイネルワイゼン】

製作年度:1980年
公開年月日:1980/04/01
製作会社:シネマ・プラセット
カラー/サイズ:カラー/スタンダード
上映時間:145分
◆スタッフ
監督:鈴木清順
企画:伊東謙二
製作:荒戸源次郎
脚本:田中陽造
撮影:永塚一栄
美術:木村威夫、多田佳人
照明:大西美津男
音楽:河内紀
録音:岩田広一
編集:神谷信武
助監督:山田純生
スチール:荒木経惟
◆キャスト
原田芳雄(中砂糺)
大谷直子(中砂園、小稲)
藤田敏八(青地豊二郎)
大楠道代(青地周子)
真喜志きさ子(妙子)
麿赤児(先達)
木村有希(盲目の若い女)
玉寄長政(盲目の若い男)
樹木希林(キミ)
佐々木すみ江(宿の女中)
山谷初男(巡査)
玉川伊佐男(甘木医師)
米倉ゆき(豊子)

(参考文献:キネマ旬報映画データベース)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。