情緒が論理を凌駕する

Toastmastersのコンテストにて。話の筋が通っているだけでは評価されない
Toastmastersのコンテストにて。話の筋が通っているだけでは評価されない

「ナチュラルとヘルシー」(ウォーレン・J・ベラスコ著、加藤信一郎訳、新宿書房)という本がある。原著は1989年刊と少々古い本だけれども(今も新刊が手に入る)、60年代~80年代の米国の食に関する文化史の本なので、時間が経った今も鮮度が落ちているということはない。むしろ、食に関するハチャメチャな情報が飛び交う昨今、この不思議な状況がどうして生まれたかを考えるのにたくさんのヒントを与えてくれる。

 詳しくは実際に読んでいただくとして、私なりに乱暴に要約するとこんな内容だ。

 66年頃、ヒッピーが健康食品に関心を持ち始めた。これに、その前の時代からの、都市や工業への不安の反映としての加工食品批判、有機食品、ホリスティック(holistic restoration)、環境運動などがからんでくる。ここから、カウンターキュイジン(反体制的料理)が成立していく。

 カウンターキュイジンは、ネットワーク化して活動を広げた。一方、これに対する“主流派”も守りの組織作りを急ぎ、論客を立てて強硬な反撃に出た。つまり、食品添加物、精白糖、精白小麦粉、ビタミン強化シリアル、その他化学物質の擁護などの論陣を張った。

 ところがやがて、食品メーカーの首脳たちが科学者や技術者が説く信念を裏切り始める。ナチュラルとヘルシーがマーケティング戦略に乗せられるようになる。科学者や技術者が反対するにもかかわらず、食品添加物非使用をうたう食品が大量に販売されるようになる。かくして、反体制が商業化した。

 全く、今の日本の状況を分析したり、対策を考えるには格好の教科書のように見える。

 このカウンターキュイジン、商業に取り込まれたという意味では、運動としては挫折したように見える。しかし、普及したという意味では、文化としては勝利してしまった。

 やや話はずれるが、資本主義に抗った学生運動の闘士たちが、その後の日本の経済成長を引っ張った様を連想させられて、良くも悪くも彼らに引きずり回された世代としては非常に面白く感じる。

 その、ストライキが激しい時期に東大に通っていた鹿島茂氏の本(氏の本の話をたびたびさせていただくのは、私のここ数年のマイブームだからという個人的な理由であることをお許し願いたい)を読み返していたら、先日、ある箇所でこれぞと膝を打ってしまった。

「これは私自身も経験したことがあるのでわかるのだが、革命運動というものは、ある思想や主義主張の『論理的な正しさ』から生まれるものではない。それどころか、思想や主義主張が論理的に正しいことを言っている限り、それは絶対に革命には発展しえない」(「ドーダの近代史」朝日新聞社)

 氏はさらに「革命運動というのは、その元になる思想や主義主張が論理的にはかなりおかしくとも、いやむしろ、飛躍と短絡を繰り返すようなハチャメチャなものであればあるほどパワーを持ちうるという性質がある」(同)と続ける。論理的な整合性は沈着・冷静に向かうが、論理的なハチャメチャさは熱狂・騒乱へと向かうから、というのがその理由だ。

 大衆(という言葉に、私は価値の多寡のニュアンスをこめない。また、私自身も大衆を構成している)は、理性と知性によって動きを変えない。情緒と感情で、動きを変える。優れたマーケティングの戦略家は、そのことをよく知っている。だから、変化を訴える勢力とビジネス界は意外と相性が良い。わけのわからない食品がはびこり、わけのわからない消費が蔓延するのは、社会の中では必然であるのかもしれない。

 その“必然”を食い止めるには、そうしようとする側も、情緒や感情に訴える手段を持つ必要がある。ハチャメチャであれとは言わないが、論理的な整合性を強調すればするほど、大衆は従おうとしないものだと理解しておく必要がある。

 私は大勢の前で話すことが苦手で、そのコンプレックスを取り去るべく、8年ほど前からスピーチのクラブに入っている。Toastmastersという米国発祥のクラブだ。

 このクラブにはスピーチのテキスト(マニュアル)があって、それに沿ってトレーニングを積んでいく。初級では10の単元をこなすのだが、これの初期には話の構成を上手に組み立てるといったロジックやレトリックの要素もある。ところが、後半に進むに従って、身振りを生かせとか、視覚に訴えよとかといった、印象の要素も強調される。初級の最も後半の単元では、感情に訴えること、感情を揺さぶることに挑戦せよという内容が出て来て驚かされる。

 入会してしばらくして気が付いたのだが、このクラブは人前で上手に話すことを目的として人が集まるクラブではなくて、強いリーダーシップを身に付けるために集まるクラブだったのだ。米国の政治家や経営者たちの多くがToastmastersのメンバーだと言われているのも、もっともなことだ。

 このクラブに所属していて感じる御利益は、自分のスピーチがうまくなったことではない。人のスピーチの上手下手がわかるようになったことだ。たとえば大統領選後半のオバマのスピーチは確かに優れていたが、どこがどのように効果を上げていたかを、私は友人に説明することができるようになった。

 オバマなり、Toastmastersの教えることなり、米国人について関心するのは、彼らは論理と情緒・感情の違いと、それぞれの特徴と効果を熟知しているということだ。優れたスピーカーは、決してどちらも疎かにしない(余談ながら、日本のほとんどの政治家はどちらも疎かにしているように見える)。ただ、時と場面によって、それをうまく使い分ける。自分が思った通りのことを大勢の人に伝え、人々を実際に行動させるには、自分をそのようにコントロールすることが重要だということを、よく学んでいる。

 こう説明すればわかるように、この雄弁のノウハウは、ヒトラーも得意とするものだった。そう、フォースには暗黒面がある(スター・ウォーズ)。であればこそ、正しい知識を持つ人、自分に正義があると信じている人こそ、この術は身に付けるべきだ。論理に生きる人こそ、感情に訴えることを恐れるべきではない。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →