本日、広島原爆忌。4日の日本経済新聞に、「エノラ・ゲイ」元航法士セオドア・V・カーク氏のインタビューが載っていた。戦争を知らない世代の人から「なぜ原爆を落とした」と尋ねられるという。元機長は「墓石に名を刻むな」と言い残して死んだという。それまるごとが試練のような、つらく厳しい人生なのに違いない。国家と個人との関係について、よくよく考えているようにと言われているようだ。もちろん、同じことを被爆者たちが言い続けているのだと感じる。そしてそれは、マンハッタン計画に参加した科学者、技術者たちもまた。
米国の原爆開発プロジェクトは、当初、敵国が先行しているかもしれない核兵器開発に追いつき、追い越し、抑止力を持って国を守るためのはずだった。ところが、途中で“出遅れ”の心配はなかったと分かる。それでも計画は止まらずに兵器は完成し、結局二度も使って大量の人を殺傷し、苦しめ、星条旗を汚した。
開発の終盤では、参加した科学者たちの中から使用に反対する声が上がり、これを実戦に用いず、核兵器をコントロールする体制作りをせよという提案もなされていたという。それでも開発と使用が止まらなかったのは、いろいろな力や思惑が錯綜するように働き合った結果ということなのだろう。核兵器は、使う前からすでに化け物になっていたのだ。
「モンスターを作ってしまったんです」と言っていたのは、7月19日の「NHKスペシャル」「マネー資本主義 第4回~ウォール街の“モンスター”金融工学はなぜ暴走したのか」の中の数学者だった。
この番組は、核兵器や宇宙開発競争が下火になった後、科学者たちがウォール街に吸い寄せられ、さまざまな金融商品を開発した末に、遂にはサブプライム・ローンという“化け物”を作ってしまったというストーリーで、一連の動きをマンハッタン計画にオーバーラップさせる仕立てになっている。
私個人の感想としては、この筋書きはちょっと、悪い意味で言うわけだが、ジャーナリスティックで“面白過ぎる”。
ただ、研究に熱心で、自分の研究を社会に役立てようという熱意を持つ、聡明で善良な研究者たちが、結局は破壊的な力を秘めた何かを作ってしまい、その力に戦き、当時を振り返って自分を好きになれないでいる、そんな姿には同情した。
しかし、こういうことは、これからもいろいろな場で、繰り返し起こるだろう。研究者だけでなく、すべての働く者にとって、個人として不本意な企てに与し得るということは、常に“今そこにある危機”に違いない。
この数年の、食品にまつわる「不祥事」と呼ばれる多くの事件の数々を思い起こしてみる。想像を絶する開き直りで世間を呆れさせた経営者たちもいたが、それらにかかわった社員全員の心を、果たして悪意が貫いていたかどうか。
個別のすべてが分かるわけではないので、これは弁護ではない。しかし、少なくない人々は、自分の会社の中で、それぞれに職務を遂行し、自分の身分、地位、会社の存続、世間体など考え合わせながら、会社や自身が獲得する効用が最大になるように、合理的に判断していただけだったのではないか。
あるいは、全体のよからぬ動きに気付いた場合も、それを止めるには、あまりにも取引コストが大きく(諌めた相手を怒らせて手が付けられない状態になるなど)、止めることが合理的だと判断できなかったのではないか。
そうして、結局のところ、とてつもない不名誉へと突き進んで行ってしまったのに違いない。この種の過ちを回避するには、「モラルを持て」「高く保て」という号令も大切だろうけれど、恐らくそれだけで解決はできないだろう。
マンハッタン計画に参加した研究者や、「エノラ・ゲイ」搭乗員は、別に殺人狂だったわけではないはずだ。やめようと言ったり、命令に従った結果の大きさに恐怖したりという人間としての正常さを持っている人たちがいたのだ。ウォール街に集まった数学者たちが、世界を引っかき回したいと考えていたとも思えない。
これらの大半の人々が“普通の人々”だったはずで、とくにモラルの低い人たちが集まったわけではないだろう。それでも間違いは起きたのだ。そう考えると、働くにはモラル以外の何かが必要だと分かる。おかしい、悪いと思うことがあったら、組織内でどう言われようと扱われようと、異を唱える。それで止められなければ、まず脱出することだ。兵士の脱走は許されないが、ビジネスパーソンには職業選択の自由がある。そして、まず正常な世界に戻って、善後策を考える。
もちろん、それには経済的な力(貯蓄)と自身の自由を守る勇気(職を変える可能性)が必要だ。正義は力を要し、自立なしに自由は獲得されない。どうなっても命令に沿うしかない従属の状態で、正しい判断を貫くことは難しい。そして、「言われた通りにしたら、たくさん死にました」と言って許されるのは、戦時の兵士だけだ。その彼らさえ、苦しんでいることを忘れないようにしたい。
※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。