今年7月、米国で鉄板焼きチェーン「Benihana」を成功させたロッキー青木氏が亡くなった。十数年前に一度だけお目にかかって、お話を伺う機会があった。渡米した当時の意気込み、やりたいことをできることと考えること、何事も楽しいことにすること、そんな話を熱心に強い目で語る様子が印象的だった。すべてを楽しいことに転じる氏の考え方は、彼の成功哲学の1つだが、もちろん彼のレストランにもよく表れている。鉄板でステーキを焼く際、フォークとナイフの鮮やかなさばき方に加えて、コショーのミルなど手に触れるさまざまなものをジャグリングのように放り投げて見せるなどのパフォーマンスがなければ、「Benihana」は人気店にはならなかっただろう。
私が実際に「Benihana」で食事をしたのは、青木氏との会見から数年後の1992年、カリフォルニア州トーランスでのことだった。サムライかガンマンのようにナイフを腰に下げて現れたシェフは、文字通りのスター。同席したほかの米国人たちが、ショーが始まる期待に胸を膨らませながら彼を迎え、食事が終わるまでやんやの喝采を送り続けていた光景は忘れられない。彼らはショーを楽しんでいて、あの細切れにされたステーキの味も、ショーの中で繰り広げられた視覚、聴覚と同列の、ある効果の1つだった。
あのとき私は28歳だったが、函館という田舎に住んでいた10代の頃にも、世界には「Benihana」というレストランがあるということ自体は本で読んで知っていて、長年行ってみたいものだと思っていた。倉谷直臣氏の「英会話上達法」(講談社現代新書)という、書名からはちょっと想像がつかない、痛快、抱腹絶倒、そしてためになる本に書かれていた(今年「NKの新・英会話上達法」が出たという嬉しいニュースあり)。
相手をよく知らなければ上手な話などできないとする倉谷氏は、米国人の国民性や制度から生まれた文化などをさまざまに紹介する。その中で意外にも、「Benihana」成功の秘密は、そのパフォーマンスにあるのではないと指摘していた。米国人が「Benihana」で最も喜んだのは、パフォーマンスよりもむしろ、「私のため」の料理だったという。「Benihana」では、肉の焼き方、切り方から、一緒に食べるライスはスチームド(白飯)かフライド(チャーハン)かなどなど、あらゆる料理についてお客に料理の仕方、食べ方を尋ね、その通りに提供する。しかも、料理をするシェフ本人がお客に尋ね、それを目前で実行して見せる。それこそが、人気の秘密だというのだ。
米国人は、そのように「私」「私のため」、翻って「あなた」「あなたのため」を重視する人々だという。そうは言っても、画一的な商品を売るチェーンストアを生んだ国。倉谷氏の関西弁にならって「ほんまかいな?」と、なかなか信じる気になれなかった。しかし、そうなのかと思い始めたのは、2つの体験からだ。
1つは、トーランスの「Benihana」で。ただ茶碗によそっただけのスチームドライスを、同じカウンターに座っていた米国人は面白くもおいしくもなさそうにぎこちなく口に運んでいた。一方、そのつれの米国人は、フライドライスが目の前に置かれると、「ほら! フライドライスだよ! 僕の! 見て! フライドライス!」と大騒ぎ。これはただよそっただけの白飯と違い、直前までシェフが猛烈なターナーさばきで作っているのを、みんなが見ていたのだ。その注目のフライドライスが、「僕のため」のフライドライスだったから、彼は嬉くてしようがなかったのだ。
もう1つ。「マクドナルド」で働く方は気を悪くされないでほしい。ある英会話学校で、女性教師と私の会話(英語)。
教師「あなた、ハンバーガー、好き?」
私「うん。好きだよ」
教師「そう。『マクドナルド』はよく行く?」
私「よくは行かないけれど、ときどき行くよ」
教師「本当? 好きなの?」
私「うん。そうだね。好きだよ」
最後は外交辞令のつもりだったのだが、この人「あんた正気なの?」というものすごく悪い表情を作って、20秒ぐらい首を横に振り続けた。彼女は米国人だ。ハンバーガーは大好きだが、その好物の中にマクドナルド製品は含まれないという話だった。あくまである人の例だが、手作りのハンバーガーとマクドナルド製品は別のものと考えられていた。
以前、ある回転ずしチェーンの幹部が、自社の商品を「すしならぬすし」と言っていた。それと同様と思われる。そう。米国ですしが受けたのも、新鮮な魚と酢飯のハーモニーが受ける以前に、職人が対面で、直に、お客の要望を聞いて料理をしたのが受けたのに違いない。
「Benihana」に行ったのは、米国西海岸の外食チェーンとスーパーの視察旅行でのことだった。それから7年後、99年に同じ地域を訪ねた際、スーパーの変わり様にかなり驚いた。かつて、米国でもスーパーの入口近くの売場は生鮮野菜売場と決まっていた。入って来たお客に鮮度感を訴えるためだ。ところが、今はたいていのスーパーがそうざいなど店内調理した商品を入口付近に固めている。サラダ、ローストした肉、フライ、そしてすしも並ぶ(主にマキロール=巻きずし)。
視察前後に、米国のそうざい、小売、外食に詳しい古田基氏が解説してくれた話になるほどと思った。つまり、今は生の野菜ではなくそうざいが鮮度感を訴えるのだという。キーワードは「fresh」。これは日本語の「新鮮」とはちょっと違うと古田氏は言う。お客の目の前、つまり売場で作った出来たての商品だけに「fresh!」のPOPが付いている。「Benihana」でチャーハンが目の前に置かれるあの感覚こそが、米国で言う「fresh」なのだろう。
視察から10年も経ってしまうので、また見て来なければならないが、表現の仕方はいろいろでも、「fresh」に人気が集まっていることに変わりはないだろう。そして実は日本でもそれが言えそうだと説明したいところだが、長くなるので稿を改める。
※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。