少し前のことだが、札幌のすし店でのこと。スミイカの握りが出て、「うまいですね」とほめた。肉厚で透明感があってつやつやしている。鮮度が良さそうに見え、歯ごたえもありながら、軟らかく噛み切れる。「不思議ですね」と振ると、職人さん、一瞬黙って「これを言ったら、あなたなんて言います?」という表情でこちらをうかがう。
種明かしは、「一度、冷凍するんです」ということだった。鮮度のいい生のイカを仕入れて、さばいてから冷凍庫に入れ、頃合いを見計らって冷蔵庫に移す。すると組織がちょうどよく切れて、軟らかい食感になるという。それ以上詳しくは聞かなかったが、なかなかコツのいる仕事のように感じた。そして、冷凍庫というものにはそういう使い途があるのかと感心した。
冷凍ならではのイカ料理は、ほかにイカゴロを青じそでそっと巻いてそのまま冷凍し、食べるときはぶつ切りにして、やはり凍ったまま提供するというものがある。凍らせただけなのに、ほかのものではなかなか感じられない複雑な味がしてうまいものだ。
同じ狙いで、イカの沖漬けも、よく凍ったままぶつ切りにして食べたものだ。昔は沖漬けはほとんど漁師しか知らない食べ物だったが、商品化されて出回り始めると手土産などとして便利に使われ、その結果、家の冷凍庫のかなりのスペースを沖漬けが占領するようになった。それをときどき取り出して、凍ったまま食べたのだ。
北海道の郷土食をもう1つ。にしん漬けという漬物がある。ダイコン、キャベツ、ニンジン、そして身欠きニシンを麹付けにしたものだ。冬の初めに大きな樽に仕込み、物置に置いておく。ニシンのうまみと野菜の甘みに酸味が加わり、独特の味わいの漬物になる。冬のいちばん寒い時期にこれを物置に取りに行くと、表面が凍っているので、ザクザクと壊しながら取り出す。食卓に出してもまだ凍っている部分があり、それをザクザクと食べるのも厳冬の楽しみの1つだった。
また、北海道にはルイベという料理があるが、あれも冷凍という行程を使う料理だ。寄生虫を殺すために冷凍したことから始まったと聞くが、すし店でイカをいったん冷凍したのと同じく、食べやすい食感も狙っているに違いない。サケにしろクマにしろ、食べると寄生虫にやられそうなので食べたことはないが、マグロはよく食べた。ルイベとして冷凍したものではない。冷凍マグロのサクを凍ったまま切って皿に盛り付け、凍っているうちに食べる。これならドリップが出ないわけで、また解凍した状態とは違った風味を感じて、面白いものだ。
さて、上京して就職後、青森出身の上司と北海道料理がメインの居酒屋に行ったときのこと。マグロの刺身が半解凍の状態で出て来た。私は一瞬「懐かしい」と思ったものの、青森の人は「解凍できてない!」とおかんむりだった。この人の場合は、冷凍とは貯蔵方法の一つで、調理法と受け取る経験は持ち合わせていなかったわけだ。北国同士でも、海ひとつ超えると食文化は全然違うものだと強く感じた。
実際には、アイスクリームやシャーベットなど、氷点下の温度を利用した調理は、決してなじみの薄いものではない。しかし、それが魚介の料理となると、違和感を感じる人もいるわけだ。
その反応は、凍ったものを見て、冬を思い出す場合と、電器製品を思い出す場合とで、違うかもしれない。生まれ育った地域や経験で、いわゆる「冷凍もの」や「冷凍食品」に対するイメージも違っているだろう。
冷凍食品に関する事件の報道が重なる中、イメージ悪化が心配されるのは特定の産地(国)のことだけではない。冷凍というものについても、メリットを打ち出す手を打っていないと、知らず知らずのうちに、イメージを下げていっているかもしれない。
※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。