教育再生懇談会の“携帯禁止”を食産業は笑えるか

携帯電話。うちの子から携帯電話を取り上げようとする邪悪な企ては、必ずや粉砕されるであろう……
携帯電話。うちの子から携帯電話を取り上げようとする邪悪な企ては、必ずや粉砕されるであろう……

携帯電話。うちの子から携帯電話を取り上げようとする邪悪な企ては、必ずや粉砕されるであろう……
携帯電話。うちの子から携帯電話を取り上げようとする邪悪な企ては、必ずや粉砕されるであろう……

全くばかげている。かりそめにも内閣総理大臣が開催する教育再生懇談会が、今月末にまとめる報告書に「小中学生に携帯電話を持たせるべきではない」という内容を盛り込むのだという。何かの問題が起こっていて、それとなんらかの物や事柄が関わっていると推測されたとき、他の物や事柄との関係をよく調べもせずに、他の方法も考えもせずに、とにかくなくしてしまえばいいという考え方は甚だしく合理性に欠け、極めて無責任であり、それを大声で言い出すのはリーダーとしての資質に欠けることの告白であり、有害であり、社会人としてもたいへん恥ずかしいことだ。会議の名簿の中にはノーベル賞受賞者も含まれているということを、私たちはどう納得したらいいのだろうか。

【この記事に対しては、株式会社すかいらーくより事実と違う旨の指摘を含む抗議文をいただきました。この記事を読まれる場合は必ずこちらを合わせてお読みください】

 このサイトにこんなことを書くのは、食に関しても、この種の無責任で有害な言動が多々見られる上に、ろくな批判も受けずに野放しになっている場合が多いと感じるからだ。

 小中学生が携帯電話を持つことにリスクがあることには異論はない。子供がだまされたり、ケガをさせられたり、殺されたりといった事件で、携帯電話さえなければ起きなかった事件というのは、残念ながら今日たくさんある。しかし、それは恐らく、「車にさえ乗っていなければ、電柱に激突して死ぬことはなかった」というのと同じ種類のリスクだ。

 運転の仕方が悪かった場合、適切に整備していなかった場合、酒に酔って居た場合、居眠りしていた場合、強盗に乗り込まれて刃物を突き付けられていた場合、パトカーとカーチェイスをしていた場合などに、人は車といっしょに電柱に激突して死ぬことがある。どれも、車さえ運転していなければ、回避できたと言えなくはない。

 しかし、より優先度の高い対策は、きちんと運転する、整備をする、飲んだら乗らない、徹夜で原稿を書いた後は車を運転しない、ドアロックをする(外国車のマニュアルには、ドアロックするなと書いていることが多いらしいが)、パトカーに追われるようなことをしないということだ。

 国が自動車を禁止するという選択肢もあるにはあるだろう。これはこれで素敵な話だが、できもしないことを勧めたり命じたりすることはリーダー失格なので、それを言う政治家や官僚は(今日までのところ、ほとんど)いない。「言ってみたい」と思った向きは、まず車によってわれわれがどれほどの恩恵を受けているか調べ、その重要さにおののき、どうすればより安全に運用できるかを学習するべきだ。

 子供の携帯電話を取り上げてしまえと考えている人も、同じように考えてみるべきだ。私は、小学生の自分の子供に携帯電話を持ってもらっている。そのおかげで、子供が弁当を忘れたときに私が走らないで済んでいる。地震が起きたとき、即座に「無事か。どこにいるんだ」と聞ける。子供がさびしくなったとき、フラフラと暗い外にさまよい出る前に、私や妻に「早く帰ってきて」とメールを送ることができる。自転車で遠出して道に迷ったとき、子供を連れ去る可能性のある人物いるかもしれない街頭ですきを見せることなく、私に電話をかけて来たこともある。GPSが付いているので、いざとなれば何がなんでも探し出して連れて帰って来てやると、日に一度は闘志を燃やすこともできる。

 それらの恩恵に比べれば、子供が携帯電話をばかげたことに使わないように、物理的な策(携帯キャリアはその種のメニューを用意している)を講じたり、子供に世にあるリスクを繰り返し説明して聞かせたりするなどの手間は、いかほどのことでもない。翻って、子供が携帯を持つことを禁止せよという人は、私と妻とわが子が享受してきた携帯電話の恩恵を、いったい何によって(完全に)代替してくれようというのだろうか。

 内閣総理大臣や官僚を含む教育再生懇談会の関係者には、こうした今日なりの庶民感覚や、子供はきちんと情報を与え、ルールとムードを用意すれば、ちゃんと応えてくれるということを理解している人がいないのだろう。その上で、できもしないことを言い出している。リーダーとしての資質に欠け、有害であり、社会人としてもたいへん恥ずかしいというのは、そこだ。

 中国製冷凍ギョーザの中毒事件が起きるや、すかいらーくグループは一度、全店で「中国製食品の使用中止」をぶち上げた。理由は「消費者の不安感に配慮した」から。これはまさに、できもしないことを言い出して人気取りに走る、無責任で恥ずべき行動だった。しかも、これまで中国製食品の恩恵を受けていながら、看板を守るために切り捨てたり、風評被害を加速しかねない行為に出たことというのは破廉恥であり、教育上もよろしくない。

 教育と言えば、「食育」に関した印刷物、Web、講演などにでたらめが多すぎ、目に余る。これらには、例えばテレビなどにもよく出演する、各界のリーダーたるべき著名人がかかわっているものも多いが、「野菜の種は、F1品種を使わないようにしましょう」「電子レンジで沸かした水を飲まないようにしましょう」という類のことが平気で書かれたり、言われたりしている。

 趣味、嗜好、反帝国主義(?)などのイデオロギーに従って、個人がそうした消費行動なり習慣を実践することには、私は口出ししようとは思わない。それは全く自由だ。ただし、この種の検証されていないこと、自然科学上で証明できないこと、あるいは事実上不可能なことを、世の中にまき散らすために、直接にも間接にも、国家の予算が流れているというのは、全くゆゆしき問題だ。

 私の以前の稿で、セブン-イレブンが「保存料・合成着色料ゼロ」を言い出したことをよいこととして紹介したが、「コンビニ弁当の食品添加物がキレる子供の原因」という誹謗中傷もある中であのような挙に出たのは、中国製食品をストップしたすかいらーくと同じ種類のことではないかと問われる方もいるかもしれない。だが、全然違う。セブン-イレブンは「食品添加物は悪い」とは言っていない。その証拠に、弁当そうざい以外に、それを含む製品は扱っている。そして何より、彼らは「できもしないことを言い出した」のではなく、「できちゃったことを言い出した」のだ。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →