子供に飽きるほどの雪を見せてやろうと考えついて、15年ぶりにスキーに行った。越後湯沢からタクシーで目的地へ向かう途中、石打丸山スキー場が見えて、「天空米」という商品があることを思い出した。リフトを運営する日本リフトサービス(新潟県魚沼市、鈴木一彦社長)の100%子会社JLC(同)が販売しているもので、スキー場のリフトに、根もとから刈ったイネをハサガケ(ハセガケ)のようにつるして天日乾燥したコメだ。
生産を始めたのは、2004年。出荷の矢先に新潟県中越地震が発生し、その後どうなったか気になりながら、県内の他の農家へのコンタクトを優先しているうちに時間が経ってしまった。今回、調べてみてため息が出た。塩沢産が5kg9000円、大沢産が同1万円。他の「コシヒカリ」の3~5倍の価格だ。5kg詰め換算で700袋を生産し、今年もすでに完売したという。「価値を創る」とはこういうことかと考えさせられる。
「ハサガケのコメはうまかった」と懐かしそうに言う農家は多い。彼らによれば、刈ったイネを逆さにつるすことで、イネの体に残る栄養が実に集まるし、日光と風にさらしてじっくり乾燥させるスピードもよいのだという。
一方、最近の遠赤外線を使った乾燥機の性能に感動した向きには、「ハサガケの米はまずかった」と言う人もいる。この人たちは、気温や湿度の変化や降雨に対応できない乾燥の状態の不安定さ、管理の難しさから来る品質の悪さが気になっている。確かに、圃場に設えたハサ(架台)を使えば、いったん干し始めたイネを出したり引っ込めたりすることはほとんど不可能だ。賛否は住んでいる地域の秋の気候にもよるかも知れない。
しかし、スキー場のリフトを使えば、夜間や雨天時には比較的簡単にイネを倉庫に収納でき、風や日の差し方に応じて、リフトを動かすことも可能で、「理想的な天日乾燥ができる」という。
しかし、「天空米」の人気の秘密は、恐らくはその味だけではないだろう。「スキー場で作っている」ということ、しかも、自分が乗ったことがあるかもしれないリフトを使っているという面白さも、プラスに働いているに違いない。
そして、太陽信仰とまでは言わないまでも、「日光に当てた」という点が好まれていることもあるはずだ。
高校を卒業した後、恩師を尋ねて酒を飲んだ折、彼は「最近は洗濯物をガスで乾かす乾燥機というものが出ている。それを使っているある家の子供が、『お日様で乾かしたシャツが着たい』と言った。それをどう思いますか」と話した。授業中も、よく行き過ぎた文明を批評する先生だった。トイレに立ったとき、洗面所にその乾燥機が鎮座しているのを見て、ある家の子供とは、共働きの師のご子息であったかと合点がいった。
洗いざらしの、ややゴワゴワしたシャツやタオルの感触が爽やかでもあっただろう。ただ、太陽の力を実感したいというプリミティブでマジカルな願望もあったはずだ。
マンガやエッセーなどで機械乾燥ではない、天日干しの干物を称賛しているのを読んだことがあるし、居酒屋やスーパーの店頭でも、天日干しをウリにしているのを見かけることもある。あるいは天日塩が、通常の食卓塩よりも高い値付けで売られている。
それらが機械乾燥と比べて、品質にどのような差があるかは、これまた意見の分かれるところだろう。しかし、干物でも、塩でも、コメでも、あるいは洗濯物でも、天日乾燥を機械的に、しかも相当に精密かつ理想的な状態で再現することは、不可能ではないはずだ。その機械のエネルギー源に太陽電池などからの太陽エネルギーを使うこともできる。
しかし、それでも「天日乾燥」と「機械乾燥」は分けてとらえられ、売場でも分けて扱われることは続くに違いない。多くの人が、プリミティブでマジカルな願望から逃れられない。健康雑誌に「紫外線に当たることは百害あって一利なし」と書かれていても、夏になれば、人々は日焼け止めを塗ってでも外で裸になって飛び跳ねたがるものなのだ。
何度か触れている茨城県の高松求氏は、ラッカセイ作りの名人でもある。彼は、茎葉ごと収穫した落花生を圃場に積み上げ、笠をかぶせて乾燥してから出荷する方法を取る。この方法なら後で除去した茎葉を圃場に残してくることができ、残さの処分に困ることがないし、燃料も使わない。
しかし、もし実の部分だけ掘り上げて茎葉を分離して収穫するラッカセイ用コンバインと、燃料代も高くない乾燥機が安価に手に入るとなれば、それを使うことを考えるはずだ。乾燥のためにラッカセイを圃場に積み上げ、山の形を崩さず、倒れず、笠が飛ばないように固定する作業が難しいという。その腕前のよさは彼の自慢の一つだが、その難しさが事業継承の障害でもあると感じているのだ。
「でも、100%天日乾燥のラッカセイの値段は3~5倍になりますよ」と言われたら、彼はどう考えるか。そこは費用対効果の計算によるだろうが、選択を左右するファクターは金以外にもう一つある。人の問題だ。
農業人口の減少が喧伝される昨今だが、一方で営農を続ける人たちは常に人手不足に頭を痛めている。仕事があるのは農繁期だけというのでは、なかなか人は集まらない。そこで、収穫後にも仕事を作れるとすれば、それに越したことはないのだ。
石打丸山の場合、魚沼の銘柄米という素材と、リフトという経営資源、そして農村でありしかもレジャー産業もある地域だけに、仕事を作れば人は人手は確保できるという環境に(他の地域よりは)恵まれている。「天空米」はその素材、資源、環境を十分に生かした商品だと言える。
それを支えているのが、太陽から遠ざかった生活をしている都会人の天日願望だというところが、面白い。
※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。